第2話

 西暦2***年。アメリカ合衆国、某州。航空宇宙局支部にて。

 月日が経つのは早いものだと、十七歳になったアポロ・ヘリオスはつくづく思う。

 上司に言い渡された国上層部の無茶振りから早三年。あれからアポロ達はあれよあれよと宇宙に行く為の訓練学校に通わされ、研究者なのにサバイバルキャンプも出来る猛者に育て上げられた。

 そして現在、航空宇宙局本部長官であるアレックス・ベネディ氏に連れられ、アポロはきょうだい達より一足早く宇宙局が管轄しているロケット開発施設内を歩いていた。

 廊下やフロアを行き来する職員達に会釈しながら、アレックス氏は軽快にアポロに話し掛ける。


「人類史において初めて月面着陸したのはアポロ11号だった。月日は流れ、今度は同じ名を冠する君が新惑星に降り立つなんて、何ともロマンがあるよな!! 君もそう思わないかい?」

「いえ、ただの偶然だと思いますよ。それにあれから無人探査機での惑星ジオアースの研究も大分進んで、金星と火星の惑星環境を合わせた感じみたいですし、俺達が現地まで赴いて調査する必要もなさそうなんですよね」


 アポロは言いながら乾いた笑いしか出てこない。宇宙は確かに未知やロマンがあるが、彼自身好き好んで宇宙船に乗る訳ではない。宇宙に触れる機会なぞ所詮映画の中だけで充分だと人生の大半思ってきたタイプだ。自分は兎も角、大事なきょうだい達に宇宙で何かあればと思うと今から不安で仕方がない。不安そうな顔をするアポロにアレックス氏は「そんなことはないさ」と言い切る。


「東洋のことわざに“百聞は一見にしかず”というものがある。確かに君の言う通り、ジオアースの研究は三年前よりも進んでいるし、解明されたことも少しある。だが、それはモニター越しや無人探査機が送信してくるデータ上の話で我々人類が実際に目で見た訳ではないだろう? 君達研究者が現地に赴いて解ることも沢山あるはずだよ」

「そうでしょうか」

「ああ、そうさ。もしかしたら君達が次代の人類を背負って立つこともあるかも知れない。だってアポロ計画が始動した当初、人類が月面に生活拠点を持つだなんて誰も思っていなかっただろう。だが現在では月面に人間はプラントを持ち、日常生活が出来ている。私は君達が何を持ち帰ってくるか楽しみで仕方がないのさ」


 そう語るアレックス氏は本当に楽しそうな笑みを見せていて、アポロは夢を持っている人は輝いて見えると思わず目を細めた。

 アレックス氏に続いてフロアを歩いていると、段々と職員達と会わなくなり人手が少ないエリアに進んでいく。開発施設の立ち入り禁止区域内、開発ドックの奥、LED照明に照らされたそのフロアには厳重なセキュリティロックが掛けられた特殊合金製だと思われる扉がデンと存在を主張するように立ちはだかる。

 アレックス氏は手慣れた様子で扉横の虹彩認証をパスし、パスコードを打ち込む。最後にカードキーをタッチパネルにかざすと、重厚な金属製閂が自動で動き、薄暗い室内に通ずる通路があらわれた。

 手招きされるまま、室内通路を通り抜けエアーシャワーを浴び、最奥に進むと眼前にあらわれたのは。


「さあアポロ君、見たまえ。これが国の技術の総力を集めて開発した最新鋭宇宙船ノアだ。内部もじっくり見ていってくれ」

「いや長官。流石にこの船は大きすぎませんか……」


 天井照明に照らされ鈍色に光るその宇宙船はさながら巨大な鯨のようにアポロには見えた。長官が自身のホロデバイスを操作すると船中央辺りから折りたたみ式の階段が展開される。鼻歌交じりにその階段を登るアレックス氏に続いて、アポロはどきどきと心臓が落ち着かないまま後に続く。

 船内は訓練学校で受講したときに使われた模型スペースシャトルの内部のような内装だった。ホロデバイスに送信された船内装備や基本スペック、航行する際の注意事項等をアレックス氏から説明される。どうやら太陽系外の新銀河系まで航行するのに充分すぎる艦船強度や稟議書で要望した設備や装備以外にも色々取り揃えてくれたようで、これなら五年間不自由無く職務を全う出来そうだと思い直す。

 アポロが最も驚いたのは、あのジェームスがEDEN内にある門外不出のゲノムバンクを3分の2程この宇宙船に搭載させたことだ。最新式の人工子宮装置や時間経過装置、更には人工培養装置や、機械部品の製造から加工組立に使う設備も一式EDENからの寄贈品だという。確かに稟議書には要望で書かせて頂いたが、半分以上高望みだったので実際に全て採用されるとは思っていなかった。これからお世話になる宇宙船ノアの全体図を見学し終わり、アポロはアレックス氏に頭を下げた。


「長官。このような素晴らしい宇宙船を造って下さり、誠にありがとうございました。長官の期待に添えるかはまだわかりませんが、必ず成果をあげて戻ってきます」


 顔を上げると、アレックス氏は満面の笑みを浮かべ、アポロの肩を叩いた。


「喜んでくれて良かった。本当に期待しているよ。頑張って来てくれ」


 二人はこれからの航行に期待しながら、がしりと握手を交わしたのだった。



 ✽ ✽ ✽



 宇宙局内の寄宿舎に戻ると、多目的スペースにてディアナがふわっとした笑みを浮かべながら大学ノートに何かを書き込んでいた。彼女は電子機器が発達しきった現在でもアナログな筆記用具を愛している。アポロが彼女の座るテーブルに着くと、ディアナは「あっ、おかえり〜」とペンを書く手を止めアポロを労った。ちらりとノートに書かれた内容を見ると学校での座学を可愛らしい文字できれいにまとめていたり、日常生活で起こった出来事の感想や食堂で美味しかったメニューだったりと、彼女らしさに溢れている。


「ホロデバイスがあるから、そっちにメモを取れば良いのに」


 そうアポロが口にすると、ディアナは曖昧に笑って。


「でもそれだと味気ないでしょ? もしかしたらクラウドサービスが使えなくなることもあるかもだしね。私は便利さよりも若干不便なアナログが好きなの」

「ふぅん、そんなもんかね?」

「案外楽しいものだよ。アポロも気が向いたらやってみると良いかもね」


 そうアポロに押し付けない程度に好きな物をすすめる。彼女はいつも少しだけ変わっていて、けれどそれがアポロには心地よいのだ。大事な研究員仲間で、一ヶ月年下の妹で、家族同然の存在で。そんなディアナに常に救われていると思っている。それを言うとディアナは、いつものようにふんわり笑いながら。


「それを云うなら私の方こそ。君が居てくれるから私は救われているの。これからもよろしくね」


 そう口にする。血のつながりこそ無いが出来た妹がいて、アポロは改めて有り難い身の上だと天に感謝した。



 ✽ ✽ ✽



 ディアナと共に食堂に行くと、マリエラと官兵衛が味違いのカラフルなパフェを食しながら、ホロデバイスで何かを見ていた。二人でそっと近付き覗き込むと、だいぶ昔にアポロも観たことがある火星を題材にした宇宙映画がホロデバイスに映し出されていた。


「随分古い映画を見てるな」


 アポロがそう言うと、ホロデバイスから視線を外したマリエラがアポロの方を見た。


「古くても面白ければそれで良いとアタシは思うのよ。まあ、非現実的な想定は多いと思うけどね」

「確かに面白いよな、主人公のメンタルが鋼鉄すぎて」


 アポロの感想にマリエラは「それは言えてる」と笑う。火星探査の任務中に竜巻に巻き込まれ、仲間は火星から脱出したのに一人取り残された不運な宇宙飛行士の物語は、アポロがこれまで観た宇宙映画の中でもっとも笑える物だった。ディアナと官兵衛は初見なのか、傷の手当をした後ビデオ記録を撮る主人公の口調に笑っている。


「先輩、この人無事に脱出できるんですかね? 一人きりで大丈夫なんですか?」

「ネタバレしたくないから、それはいえないな」


 取り敢えずパフェが溶けるから早く食べなよとすすめると、官兵衛は瞬く間に食べ終わり頭を押さえる。どうやらアイスクリームのせいで頭が冷えたらしい。マリエラはそんな官兵衛の様子を呆れたように見つめ、自身はゆっくり美味しそうにパフェを味わう。食べ終わると皆でアポロと官兵衛の寄宿室に行き、映画の続きを備え付けのホロプロジェクターで映し出して観た。

 前半のコメディドラマのような話から一転、途中主人公に立ちはだかる危機的状況にハラハラし、ラストスパートからの怒涛の展開に観終わった後、官兵衛とディアナは晴れやかな笑顔で「面白かった〜。ハッピーエンドで良かったね〜」とキャッキャしている。

 アポロとマリエラは一度観たことがあったが、改めて宇宙飛行士同様に訓練した現在に観てみると。


「いやぁ、流石に一人ではあそこまで頑張れないよな。メンタル強すぎだって。俺なら絶対無理」

「偶々植物学者だったから助かったようなものよね。アタシとアポロだったら半月持てば良い方だと思う」


 二人はぼんやりとやっぱりこの映画の主人公は色々な意味でやばい奴と思うのだった。

 アポロはホロデバイスに表示された印が付けられている日付を見つつ、深く溜め息を吐いた。

 約一ヶ月半後、アポロ達が地球から飛び立つ日。マリエラはアポロの隣に座りながら、不安で押しつぶされそうな長兄にポケットから取り出したお気に入りのキャンディを差し出したのだった。



 ✽ ✽ ✽



 一ヶ月半後、某日午前中。アメリカ合衆国某州、航空宇宙局ロケット発射基地内にて。宇宙に飛び立つ日、アポロ達ジオアース調査メンバーはひっそりと見送りをされていた。何せ国家機密の極秘計画だ、当然マスメディアなどは居ない。宇宙服に身を包んだアポロ達を見送りに来たEDEN統括理事長ジェームスは至極楽しそうな顔をした。


「似合っているじゃないか。リーダーとして頑張って成果を上げてくれたまえよ」

「博士は相変わらず俺に重圧かけるのがお上手ですね」


 見えない火花が飛び散る中、二人の間に割って入ったのはディアナだった。にこりと朗らかな笑みでジェームスの方を見つつ、口を開く。


「博士。皆で頑張って来ます。だから、あまりアポロをいじめないでください」

「私の子供達の中で一番食えないのが君だったな、本当に可愛くない娘だよ」

「褒めてくださり光栄に存じます〜。博士も私の中では一番意地が悪い人だと思っているので、私達以外の他のきょうだい達はいじめないでくださいね」

「気には留めておくよ」


 話し終えるなりディアナはアポロの手を引いて、宇宙船ノアの内部に入っていった。宇宙局本部長官アレックス氏はジェームスの隣で「理事長は性格が悪いのですね」と云われ、ジェームスは悪びれもせずのたまう。


「それはそうです。古今東西、研究者というものは己が探究心を満たしていくうちに性格が悪く成長するものですからな」

「では貴方の手塩に掛けて育成されたあの四人も、いずれ貴方のようになってしまわれるのですかね」


 アレックス氏の問いにジェームスは首を横に振る。


「あの子達は多分大丈夫でしょうな。何といったって長兄から素直でお人好しですから」


 その顔は曲がりなりにも子を持つ親のもので。アレックス氏は素直ではないと内心子供達に不器用な愛情を注ぐジェームスに呆れたのである。

 アレックス氏とジェームスは管制室に入り、カウントダウンを聞きながらまだ人類が踏破していない未知の新銀河系に思いを馳せる。そしてカウントの完了とともに滑走路から地面を離れた宇宙船を笑顔で見送ったのだった。

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