明けがたの空

夏限定盛蕎麦定食

明けがたの空

 今日もまた誰もいない図書館の本を借りに来た。


 自分の手にした本のタイトルは英語でなんと書いてあるか、わからなかったが著者の欄には『キェルケゴール』という聞いたことがありそうな名前が記されていた。


 自分は最近、哲学にハマっている。哲学はいいぞ。書いてあることは難解だが、少しでも理解すると人生の意味を悟ったような根本的に賢くなれる気がする。

 ……正直に言うと言葉が中二心をくすぐられる。今回だってサブタイトルに『死の病』と書かれてる。なにそれちょーかっこいい!


 うちの学校は図書館と言っても部屋一室が図書館になっているのではない。

 玄関すぐの大広間。その角にちょこんと居座っている。


 このご時世、誰も紙媒体に興味がないのかいつも人影はない。

 広間は吹き抜けになっており二階の廊下から見下ろせるが今ここに自分がいることに誰も気付きはしないだろう。


 受付に寂しく置かれているペンと図書カード入れ。そこでちょっとした事務作業を済ます。図書カード入れの中はすかすかで自分のを入れても数枚程度。ほんとに寂しい。


 セキュリティー面皆無な図書館を後にして学校から出るために玄関で下履きに履き替える。玄関を抜けてふと見上げると思ったよりも空はまだ青かった。部活動などに入ってない自分にとって、あとは家に帰りただ真っ暗な夜を迎えるだけだった。


 校庭から熱心に体を動かすのを横目に帰り道を歩く。ああいうの見てると委員会にでも入ればよかったかなって思ったけどすぐにその考えを振り払った。それこそ委員会とか入ったらあいつに会うしな。


「あ、あきらちゃーん! まってー!」


 そういや明日だっけな塾の説明聞きに行くの。もうそんな時期か。


「暁ちゃん!? 呼んでるんだけど!!!」

「あ、俺か」


 後ろを振り向くと汗だくの女の子が立っていた。


 その子の名前は落合天おちあいそらそらは自分の幼馴染でバカで元気なやつだ。小学校の頃、勉強も人より出来ないくせになぜか生徒会長になれて、そして中学生になった今も生徒会長をやっている。


 理由はその元気と親しみやすさだろう。男女学年教師問わずみんなから好かれている。そんな彼女とは中学生になってだんだんと遠い存在になっていたから正直いま何故こうして喋りかけてくるのか不思議でならなかった。


「で、なにか用?」


 生徒会長自らわざわざ一般生徒になにか提出物とか要求してくることとかあるのかな。知らんけど。


「い、いやまあ……。たまたま帰るところだったからいっしょに帰ろっかなって」


 全力疾走で、たまたま、帰るところ、か。


「あ! そういえば図書館にいたじゃん! なに借りたの?」

「え。なんで知ってるの」

「あ、えっと……。 たまたまさ二階の廊下にいて、見えたから。 それで急いで教室に荷物取ってきて走ってきた!」

「別に待ってないんだけど」

「いいじゃん! たまにはいっしょに帰ろー」


 すると天は慣れた手つきで腕に絡んできた。


「なっ……!」

「……あ。 ごめん」


 俺が腕をからまれたことに対して驚いた様子を取るとすぐさま腕を解放してくれた。


「ごめん。 昔の気分でしちゃった」

「ま、まあそうだな。俺たちはもう子供じゃねえしな。中学生だしな」


 さほど乱れてないけど気持ち的に服を正した。


「……」

「……」


 無言の時間が続く。さっきまで元気だった天がこうも静かになるのは初めて見た。ひっそりとした空気のままいつしか校門を出る。そういえばこうやって人と一緒に帰るのはいつぶりだろ、なんて少し思った。


「そういえばさ!」


 この静寂を断ち切ったのはもちろん天の方だった。


「こうやってさ、二人でこうやって帰るのはひさしぶりだね」

「そうだな」

「小学校ぶりくらい? と、言っても六年生くらいからはあんまし二人きりってことは少なかったけど」

「たしかに」

「あ! でも中学の始業式はいっしょに行ったよね。初めて制服着てさ、並んでお互いの両親にたくさん撮られてさ」

「そういえばあったなそんなこと」


 その時自分の両親が妙にニヤニヤしながら撮ってて、こそばゆかったのをいまでも覚えてる。多分天の両親もそうだったはず。


「なつかしいね」


 天はニカっと笑っていた。


「まあでも、いまはそういうこと全然なくてほんとに残念だよ」

「え、あ、えと……。そう、だね」

そらはさ、いまでは立派な第三中学校の生徒会長だし」

「え、あ。え、えへへ、ありがとうございます」


 天はわかりやすく口を歪ませて笑う。その笑顔に自分は心の奥底でズキリと痛んだ気がした。


「……そういや、いいのかよ」

「? なにが?」

「生徒会の仕事。急がしくないのかよ」

「あー、生徒会ね。なんかさ、居ても居なくてもいっしょだー、って今日は休んじゃった」

「ふーん」

「あ! でもでも、ちゃんといつもはしっかりやってるよ! 私あんまり書類まとめるのとか得意じゃないけど、副会長とかに教えてもらいながらがんばってるし!」

「……へー」


 副会長か。あのインテリクソメガネのことだろう。少し顔がいいからって女の子からもてはやされてるってだけなやつ。


「……ねぇ、聞いてる?」

「え。ああ、きいてるきいてる。で、その副会長様がなんだって?」

「そう! それでね、副会長はね、すごいんだよ。書類書くのとかまとめるのとか早くてね。どれくらい早いかっていうと私の十倍くらい!」

「……そうなんだ」


 叩けば叩くほどあいつの話題が出てくる。もしかしたらもしかするとそうなのかもしれない。


「天さ」

「ん? なに?」

「やっぱり俺に構ってる暇ないんじゃないか」

「別にそんなことないけど」

「ほら、生徒会長になったばっかでいろいろと大変な時期じゃないのか?」

「まー、へーきへーき。一日くらい、明日がんばればだいじょぶ」

 天は笑っていたが俺は少し先に歩いて話を続けた。

「天やっぱ学校に戻ったほうがいいよ」

「……え?」

「生徒会長になったばっかで急がしいだろうし、こんなところで旧友と話してる場合じゃないよ」

「きゅうゆうって?」

「……昔の友達ってこと」

「暁ちゃんは昔の友達じゃないよ」


 振り向くと天の瞳が少し潤んでいた。


「だー! もう!」


 俺は天の肩を掴み、体を百八十度回転させて学校の方に向けさせた。


「俺もさ、これから塾に行かなきゃ行けないしさ。そっちもいろいろと急がしいだろうし、お互いがんばろってことで。そっちは生徒会がんばれよな」


 天の背中を両手で軽く押した。その反動で天は一歩進んだ。天はなにも言わなかった。


 俺はその背中に背を向けて帰路に着く。言いたいことはたくさんあったが自分の心に蓋をする。これでいい、これでいいんだと自分に言い聞かす。


 それから少し歩いて振り向くと生徒の集団が自分の後ろからぞろぞろと帰ってきてるのがわかった。


 その手前。天はあれから一歩も動いていなかった。そして顔は見えなかったが肩が震えているのがわかった。


「あの、ばかっ」


 バックも捨てて走り戻り、正面から天の顔を自分の胸にうずめた。「うわー、大胆!」と見当違いな声が聞こえるがその感じだと生徒会長が泣いてると気付いてる人はいないだろう。


 観衆はそのまま通りがかり胸の中でしくしくと泣く声以外は耳に入らなかった。


 やがて静かになり「いいよ」と聞こえたので体を離す。まだ顔には涙がくっついていたが天はそれを袖で無理矢理ごしごしと拭った。


 なにも言わずに目を合わせられなかったがお互いに向き合う。なんと口にしたらいいかわからず自分はまごまごしてしまう。


「……ありがと」


 天のほうから言葉がこぼれる。


「別に、礼なんて」


 本心だった。たぶん悪いのは俺だろうし。


「それに元気な生徒会長さんが道端で一人で泣いてたら、明日学校中大パニックだろ?」


「へへ。そう、だね」


 少しでも刺激すれば涙が溢れそうな瞳で天は無理に笑っていた。


「えっと……じゃ、帰るか」

「……うん」


 太陽がそろそろ沈みかけていて空の色は青色から変わりつつあった。放り投げていたかばんを取りにいき、また一緒にお家へと帰っていく。今度はなるべく歩幅を合わせるように注意しながら。


「ね、暁ちゃんはさ」

「ん」

「暁ちゃんは小学生の頃のこと覚えてる?」

「小学生の頃……。低学年の時はちょっと覚えてないかもな」

「そんなに昔ではないんだけどね。高学年の頃なんだけど……」

「高学年? 天が生徒会長になったこととか?」

「んー。ちょっとおしいかな。私がね、生徒会長になるときのことなんだけど」


 天が生徒会長になるとき? そのとき天が生徒会長になることより劇的なことなんてあったっけ。正直思い出せない。


「ちょっと覚えてないかも」

「……そっか」


 自分の返答に天は顔を曇らせた。かばんを握る力も強くなった気がする。


「ごめん。覚えてなくて」

「いいよ、別に」

「…………よければ教えてもらってもいいですか」


 天の悲しい表情を見ているとずるしてでも思い出そう、そう思った。


「いいよ、無理に思い出そうとしなくても。大したことじゃないから」

「でも気になるし。せめてヒントだけでも!」

「えー」

「お願い!」

「……じゃあ、生徒会選挙」

「せいとかいせんきょ……?」


 生徒会選挙。たしか小学校五年生のときにあった。なんとしてでも思い出そうと頭の隅から隅まで動かして脳をフル回転させる。


「思い出した?」

「んー……なんだろ。天の応援演説のときに誰もやらないから幼馴染の俺に押し付けられたこととかかな」

「覚えてたんだ!」


 天は急に明るい声色になり表情が晴れた。さっきまで泣いてたことも忘れて目を輝かせていた。いつも以上の天だった。


「じゃあさ! そのとき言ってたことも覚えてる?」

「ま、まあね」


 本当は嘘だ。だって小学生とはいえ応援演説は堅苦しい内容だろう。そんなもんを全文ずっと覚えててろってのが無理あるだろ。でもそんなことはいまの天の前で言うには場違いだと思う。


「ほんと?」

「ホントホント」

「……じゃ、あのときからずっと変わってない?」


 あのとき?なんだろ。中学生にはなったけどそこまで変わってはない気がする。


「うん」


 だから自分は生返事に答えた。


「そ、そうなんだ」


 視線をずらし、顔を背ける天。


 その行動は嫌悪や心残りなどのネガティブな感情から来る行動じゃないことはすぐわかった。


 楽しいような物悲しいような。


 居心地が良いような悪いような。


 よく分からない気持ちが伝わってきて自分も平常心を失ってしどろもどろしてしまう。


 すー、はー、と天の吸って吐く音が心臓の音を狂わす。


 よし、という掛け声と共に駆け足だって前に進み、少し離れたところでくるっと回りこちらを向く。

 このあと天が言う言葉に心当たりがある。だってそれは自分が言った言葉だと思い出したからだ。


 天は深呼吸をして最後の力の充電をする。


 その後ろの景色の先には綺麗な夕焼けが映っていた。昼間とは異なる紅黄色に染まる空がまるで朝焼けのように感じられた。




***




「続きまして落合天さんの応援演説を坂井暁さかいあきらさんお願いいたします」


「はい! 五年二組、坂井暁は同じく五年二組の落合天さんを生徒会長に推薦します! 落合天さんは僕の幼馴染です。その幼馴染は頭が悪く、運動も音痴で生徒会長には向いていないかもしれません。ですが、彼女はやりたいと自ら志願して僕に応援演説を頼みこんだので、その熱意に応えて今日この場で応援演説に足を運んだ次第です。落合天さんは元気が取り柄です。いつも明るくて周りのみんなを笑顔にします。僕は頭のいい生徒会長より元気な生徒会長にこの学校を引っ張ってもらいたいです。そんな明るくて元気でとびっきり素敵な笑顔をする幼馴染を僕は大好きです!」

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