第10話 巫女姫アリシャ

 その日、ヴァールハイトは久しぶりに王宮を訪れていた。

 

 ムグノティス王への聖光セントルクス騎士団の定期活動報告。

 六つの隊の隊長が順番に一カ月交代でこなしている業務だった。居並ぶ重臣たちの前で、報告書を読み上げる。

 ほとんど質問などはされずに、形骸化した報告会であった。


 ただ、ヴァールハイトは気になることがあった。王の面差しが、会うたびにやつれていっていること。心労が溜まっているのだろうか? それとも御病気なのだろうか?


 父シュタールも気づいていて、今日は王女の巫女姫シビル就任祝いにかこつけてを情報を聞き出してくるようにと言われていた。

 

 王女アリシャ。柔らかな金髪に美しい空色の瞳。

 ヴァールハイトの歳の離れた姉が第三王子に嫁いでいることもあり、幼い頃から何度となく顔を合わせてきた五つ年下の姫。

 ヴァールハイトにとっては、心の中に秘めた想いを抱き続けてきた特別な存在だった。

 この度、成人の儀を経て、黎明オルトゥス教会の巫女姫シビルに就任した。これからは光の女神ディエナの神託を受けて、民に伝える役目を果たすことになっている。


 シュタールからの依頼を受けた時から、ヴァールハイトの鼓動は高鳴り続けていた。普段自分の感情を表に出さないように訓練されてきていたが、珍しく頬を紅潮させて興奮している姿は、どこから見ても恋する男だった。


「お久しぶりでございます。アリシャ王女様」


 案内された謁見の間で跪くと、すっかり大人の女性へと成長したアリシャの落ち着いた声が振ってきた。


「ヴァールハイト様。お久しぶりです。どうぞお顔を上げてください」

 

 静かに顔をあげると、まばゆいばかりの光に包まれたようなアリシャが柔らかく微笑んでいる。


「聖光騎士団のお仕事、お忙しそうですね。でもお元気そうで何よりです」

「はい。若輩者ではありますが、誠心誠意努めさせていただいております」

「ヴァールハイト様、少しお時間はありますか?」

「はい」

「それでは、わたくしの庭園散歩の護衛を引き受けてはいただけませんか?」

 王女のすぐ横から、乳母のマリサが止めようと視線を向ける。それを手で制してから、アリシャは凛とした声で宣言する。


義姉様おねえさまの弟であり、エスカルラータ隊隊長のヴァールハイト様が護衛についてくだされば、なんの心配もいりませんよ。皆も、少しの間楽に過ごしていてくださいね」

 優雅に立ち上がって歩き始めた。

 ヴァールハイトが慌てて後ろへ付くと、

「あら、エスコートはしてくださらないのですか?」

 そう言って悪戯っぽい瞳の色に変える。

「謹んでお受けします」

 右の手を差し出すと、アリシャの白魚のような手が恥じらいつつ乗せられた。


 王宮の庭園も、幾何学的に配置されており、背の低い垣根の木々と季節の花々を植えた花壇が整然と整えられている。自然の織りなす美というよりは、人工的な美の香りがするが、それでもそこで咲き誇っている花々は、自然の色や形を誇らしげに披露しているのだった。


 園の真ん中にある噴水のところまできて、アリシャはほっとしたように息を吐いた。

「宮廷内は息苦しいのです。ここだけが、私が息を吸える場所なのです」

 寂しげにそうつぶやくと、ヴァールハイトの視線を真っ直ぐに捉えてきた。

 恋する男は慌てたように顔を引き締めたが、時既に遅し。絡めとられたままに空色の瞳を見つめ続けている。


「ヴァールハイト様、いつか私をここから連れ出してくださいね。約束ですよ」

「は。この身に代えましても、お守りいたします」

 決意を込めた瞳で宣誓すれば、アリシャも心から安心したように微笑んだ。


「ヴァールハイト様、宮廷内がおかしいと感じられませんか?」

 しばらく二人で見つめ合った後、アリシャが真剣な顔でそう尋ねてきた。

「と言いますと?」

「ここのところ、宮廷の使用人たちがどんどん入れ替わっているのです。私はまだ乳母のマリサがいますので安心できるのですが、お父様の周りは医師に至るまで入れ替わっています。黎明オルトゥス教会からのご紹介なので信頼はしているのですが、見知った者たちがどんどん去ってしまうと不安です」


「それは……ご心配ですね」

 ヴァールハイトの脳内にも危険信号が灯った。これは王の顔色の悪さとも関係があるかもしれないと。

「それに……この庭園の庭師は、ほとんど耳の聞こえない者か口のきけない者なのですよ」

「え?」

「メリドゥス教皇様は、困っている人々を救い、仕事を与えることこそ慈悲の心であり、ディエナの意志であるとおっしゃっていました。わたくしもそう思いますし、王宮が積極的に協力していくことは、とても喜ばしいことだと思っております。それにも関わらず、なぜかとても不安になるのです。王宮の声が閉ざされていくような……漠然とした不安です」


 アリシャの言葉に、ヴァールハイトが深く頷いた。


「わかりました。私の方でも調べてみます」

「ありがとう。ヴァールハイト様でしたら、必ずそうおっしゃってくださると思っておりました。頼りにしています」

 見上げてくるアリシャの信頼に応えながら、ヴァールハイトはその肩を抱きしめたくなる。この細い肩にどれほどの重荷を背負っているのかと思うと、できることなら代わってやりたいと思ってしまうのだった。


「でも、そのおかげで、こうしてヴァールハイト様と秘密のお話ができたのですから、疑ってばかりいてはいけませんわね」

 強いて気分を変えるように、明るい声をあげるアリシャ。

「おっしゃる通りですね。私もお話できて光栄です。これからは巫女姫としてお忙しくなりますね」


 ヴァールハイトも明るく言うと、アリシャはちょっと不満そうな顔になった。

「巫女姫と言っても、私はなんの神託も、ディエナの声も聞こえたことが無いのよ。ただ、教皇様が書かれた文章を読み上げるだけ。お役にたっている実感が湧かないわ」

「あなたの声で語られるだけで魅力的だけど」


 思わずポロリと本音が零れてしまい、慌てて口を閉じたヴァールハイト。

「それは、国民としての言葉? それともあなた個人の言葉?」


「……もちろん、国民としてであり……私個人の気持ちでもあります」

「うふふ。じゃあ、私もがんばります。読みあげる時、あなたの顔を思い浮かべながら丁寧に読みあげるようにするわ」

「是非」


 ささやかな二人だけの時間。今度はいつになってしまうのだろうかと思いながら、アリシャとヴァールハイトは互いの顔を心に焼き付けていたのだった。

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