第11話 地下の祭壇

 建国以来、連綿と続く黎明オルトゥス教会の第三十七代教皇、メリドゥスは、地下の祭壇に置かれたガラスケースに手をかざし皮肉な笑みを浮かべた。


 ボウッと青白い光が強くなるガラスケース。

 中に収められているのは闇色の鏡、『ノクティウスの目』。


 かつては、夜の世界と昼の世界を繋ぐ窓口のような役目を果たしていて、双子の兄妹神の仲が良好な頃は、この鏡を通して一時を共に過ごしていたとされている。


 だが、今その鏡は聖なる光ルミノーサに満たされたガラスケースの中に封印されていた。

 

 ディルトルム大聖堂の地下聖堂は、むき出しの岩肌の中に祭壇のみが設置されている。ガラスケースが発する聖なる光ルミノーサが揺らめいてはいるが、その光は闇を圧するほどでは無く、薄暗い空間が広がっていた。

 聖堂と言うよりは、監獄のようにじめじめとしていて、寧ろ墓場のようだ。


「フッフッフッ。お苦しいですか? そうでしょうね。でも、あなたがいくら足掻いてもそこから出ることはできませんよ。封印が解ける日は永遠にきませんからね」


 傷一つない透き通るガラスは、その内なる鏡に映し出された様々な映像をはっきりと透過して見せる。それは貧しい人々のやせ細った姿であったり、差別を受けた人々が鞭うたれる姿。耐え切れなくなった人々の不満、暴力。


 そんな悲しい出来事が、毎日、いや毎分、毎秒、次から次へと移し出されている。


 これがこの国の現状であった。

 王の失政を被弾する声があがり、世の中は暗く不安定に傾き続ける。

 負の連鎖を止めるために人々が唱えるのは、ディエナの加護。

 黎明オルトゥス教会へ救いを求め信仰心を篤くする人々が増えていた。


「闇の神ノクティウス、あなたが放つ悪の脅威から助けてくれるのは黎明オルトゥス教会しかないと人々は気づき始めているようですね。だから諦めてそこで大人しくしていてください。光の女神ディエナもそれを望んでいますよ」


 もの言わぬ鏡にそう告げると、メリドゥス教皇は背を向けて去っていった。

 後には青白い聖なる光ルミノーサが揺らめくばかり―――




 レイルがレティース班に配属になって一か月が過ぎた。

 勤務のリズムにも慣れて、班のメンバーともなんとか意思疎通ができるようになってきたところ。


 普段のレティース班は、三人ずつの二手に分かれて街中を巡回していることが多い。

 今日のメンバーはユリウスとラーゼス。二人とも陽気で細かいことを気にしないので、レイルにとって気が楽な組み合わせだった。


「ああー、腹減った!」

 市場の外側を遠巻きに歩きながら、気が抜けた様にユリウスが呟いた。

「んじゃ、そろそろ行くか!」

「そうこなくっちゃ」


 その言葉と同時に、ラーゼスがガシッとレイルの首に腕を巻き付けた。

 迷惑そうに皺を寄せるレイル。だがおとなしくそのまま引っ張られて行く。

『一体どこへ?』と問う気は無いようだ。


「ここ、ここ」

 ユリウスがはしゃいだように指差す先には、昼時のためか長い行列ができている。こんなに人気の店で食べようと思っているらしい。

「ここさ、この間の女の子、名前はミリアムって言うんだけれどね、彼女を紹介した店だよ。やーっぱり。あの美貌じゃ人気がでるよねー」


 その言葉に、レイルはようやく合点がいったような顔になった。

 ミリアムとは、あの初仕事の時助けた女性のことらしい。そういえば、手伝い募集のお店を紹介すると言っていたなと思い出したのだ。 


 男三人白軍服のままに最後尾に並ぶと、慌てた人々が「前へどうぞ」と声をかけてきたが、ユリウスは軽い調子で言う。

「いいの、いいの、俺たち今休憩中。こうしてのんびりするのがいいんだよ。それに俺たちがこうやって並んでいられるってことは、平和ってことだからねー」

 

 下級貴族の出身だと言っていたユリウス。『ヴァールハイト隊長でなかったら、今も俺は無職だったよ』と笑いながら言っていた。そのせいか、気さくで決まり事などにしばられない、臨機応援な考え方ができるタイプだった。

 そんなユリウスを、レイルは好ましく思っていた。


「こう見えて俺たち、ちゃんと四方八方へ意識を飛ばしているんだよ。警戒は怠っていないってこと。お! 右斜め方向に美人発見!」

 どこまでが本気でどこからがふざけているのか、わかりづらいラーゼス。

 だが、いつでも戦闘態勢に移れるように、自慢の筋肉が緊張しているのが伝わってくる。


「……」

 二人の話に相槌を打つでもなく、黙って聞いているだけのレイルだったが、本人も気づかぬくらい微細な信頼の色が、その目に滲み始めていた。


 ようやく順番が来て席につくと、店の女性が感激したように礼を言ってくる。

「あの……あの時は助けてくれて、こんな素敵なお店を紹介してくれて、ありがとうございました」

 深々と頭を下げた後、涙の光る瞳を細めた。

 化粧を落として普通の街娘の恰好をしたミリアムは、あの時のケバケバしさが微塵も残っていない。少し顔がふっくらして柔らかい雰囲気になっていた。


「どうよ。仕事に慣れた?」

 ユリウスの声に頬を赤らめると、興奮気味に語ってきた。

「はい。フローレスさんは、お料理が上手で、私にもとっても優しくしてくれます。おばあちゃんができたみたいで、嬉しくて……」

 途中から、また涙声になった。


「そりゃ良かったな。んじゃ、ここの名物料理を頼む」

 腹の空いたラーゼスは空気を読まずに注文を始めた。

 

「はい! ライカ鳥の唐揚げと、ハヌル肉のパイ詰めがお勧めです」

「それ頼むな」

「はい!」


 店の中はたくさんの人が入れ替わり立ち代わり食べに来ている。別人のように明るくなったミリアムが、てきぱきと客をさばいていた。奥ではこの店のオーナーのフローレスが、ニコニコしながら調理をしているのが見える。

 自分の子を亡くしていたフローレスにとっても、孫娘を授かったような気持ちになっているらしい。


 どちらか一方だけではない幸せの姿が眩しくて、レイルは思わず目を瞑った。



 朝番から帰っての夕食後。

 宵の口の生暖かい空気の中を、切り裂くように鐘の音が鳴り響いた。


 一体何が起こったのかと窓から街を見渡せば、エスカルラータ隊本部奥の暗がりから濛々と黒い煙と赤い火の手が上がっている。

 ちょうど監獄のある辺り。


「レイル、緊急出動だ! 監獄で火事が起きたらしい」

 勢いよく扉を開けたルキフェルに頷いて、素早く支度をしたレイルも飛び出した。




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