第12話 火事と脱獄
幅広な水路と堅牢な石の壁に取り囲まれた監獄。そこに至る唯一の門を塞いでいるのがエスカルラータ隊本部であった。
ヴェルトラーム王国建国当初は数多の城主が分割してこの辺りを治めており、小競り合いも絶えなかったようだ。そんな古の城主によって建てられた城は、敵の侵入を阻むために窓や出入口が少ない作り。逆を返せば内から外へ出づらい仕組みと言うことで、
真ん中に大きな吹抜があり、それを取り囲むように作られた内部は、少ない窓にも関わらず風の流れがある。その吹き抜けの一角に、小さな小さなオレンジ色の火の手が上がったのが、今回の事件の発端だった。
人気の無いところからの出火のため、気付くのが遅れた。
巡回の看守が気づいた時には、もう黒紫色の煙が壁を伝って上へ上へと立ち上り、牢の中の囚人たちがせき込み始めていた。
火を消すために走り回る看守達。
だがちょうど夜勤の看守と交代したばかりで、人数が減った時間帯。
初動が遅れた代償は大き過ぎた。冷たい石壁が焔を食い止めることなく、みるみる赤く燃え始めたのは、あらかじめ壁に塗られた精油のせいか。甘ったるい香りが蔓延し始め、吸い込んでしまった囚人達が鉄格子の向こうでバタバタと倒れ始めた。
一瞬にして、監獄の中は地獄と化した。怒号と叫びが飛び交う。
「俺たちを見殺しにする気か!」
「出してくれ!」
囚人たちは叫びをあげ、鉄格子をガンガン鳴らす。
慌てた看守の一人が鉄格子へと近づいた瞬間、隙間からその首根っこに指を食い込ませた男がいた。腰に括り付けられた鍵の束を見てニヤリ。
「この喉ぼとけ、潰されたく無かったら開けろ!」
恐怖に怯えた看守は、震える指先で牢の鍵を開けた。
中から飛び出た囚人の一人が、看守の手から鍵をひったくる。
よろけたところを再び先ほどの大男に両手で首を掴まれた。一気に強まる指の力。
ゴリッ! 低く鈍い音は周りの音にかき消された。
一言も発さずに絶命した看守。
それが合図となって、集団脱獄が始まった―――
レイルたちが現場に到着した時には、窓から焔が外へ吹き出す勢い。
鉄格子の無い上の階の窓から命からがら飛び降りてくる囚人たちを大きな布を持って下で待ち構える隊士達。ヴァールハイトの指示の元、人命優先の対応がとられていた。
ところが、飛び降りて受け止めてもらえたにも関わらず、囚人たちはいきなり隊士へ襲い掛かってきた。
その雰囲気が尋常では無かった。
歯を剥き涎をたらし、爪を立て、まるで野獣のように獰猛に襲い掛かってくる。何かに操られているかのように、人ならざる動きをする囚人たち。
遅れて到着したレティース班も、その光景に呆然とした。
「どういうことだ? そもそも監獄の中の囚人は聖なる光で浄化された後のはず。火事の恐怖だけでここまで凶暴になるはずがない」
リオルの指摘に頷いたレティース。様子を素早く確認して答える。その言葉には信じがたい思いが溢れていた。
「多分……何か人々が興奮して狂暴化するような薬が使われているのだろう。それが、火事の本当の目的とすれば、誰かが意図的にこの火事を仕組み、薬を含ませたとしか思えない。だが、看守の身元も徹底的に調査してから採用しているはず。そんなことが起こるとは考えづらい」
「考えづらくても、目の前で起こっているんだから、考えてもしかたないよね」
いつでも前向きなユリウスの言葉が、みんなをショックから立ち直らせる。
「ユリウスの言う通りだな。兎に角、彼らの浄化を進めるしかない。万が一彼らが街へ出てしまったら、罪もない人々が被害に遭ってしまう。それだけは食い止め無いと。みんな頼んだぞ」
「了解。んじゃいくぞ!」
レティースの言葉に、ラーゼスが颯爽と駆け出して行った。
何回も何回も、突いても切り裂いても、変わらぬ悪意の塊を前にして皆に焦りが出始めた。そして、炎が巻き上げる甘ったるい香りが、隊士の精神をも狂わせる。
人々を悪の興奮に引きずり込むようなその香りは、
襲われているのは隊士だけでは無い。
必死に消化作業を続けている看守達の背へも、甘い精神攻撃と囚人たちの容赦ない暴力が振るわれていく。
まさに地獄のような光景だった―――
レティ―スの指示で鼻先を覆ってから戦い始めたレティ―ス班。高いバイタリティを持つ彼らは、めげる事無く相手を打ち据えていた。
「俺は元々脳筋だからな。こういう単純作業は向いているんだよ」
そう言って場の空気を和ませるラーゼスは、目が回らないのかと思うほど早いスピードでスピンを繰り返し、取り囲む囚人たちを何回も切り裂いていく。
その回転の度に彼らの体から悪意が消え、やがてその場に頽れた。
猫の俊敏さで相手の頭上を飛び越えたユリウスは、相手が自分を探している瞬間に後ろから心臓へ高速突きを繰り出していく。
「よっしゃー! これで五人目!」
ルキフェルは、一気に三本の矢を放つというすご技を発揮している。念を込めた矢は、まるで吸いこまれるようにピタリと囚人の心臓を射抜いていく。同時に三本を打ち込まれた相手は、急速に悪意を喪失していくのだった。
「ふぅ。今日はいつもよりたくさん矢を持ってきて正解だったな」
「戦う時も美しさと優雅さは忘れたくないね」
動作の隅々まで常に気を配っているナルシスト気味のリオル。精神攻撃に弱い一面を見せたこともあったが今日はそんな素振りも無く勇猛に切り込んでいっている。
高い能力を持ちながらも否定され続けた過去のせいで、だいぶ卑屈になっているものの、だからこそ『言葉』では無い単なる『香り』という物理攻撃には耐性が強かった。
背中にも目があると言われるほどの観察眼を持つレティ―スは、その動きに一切の無駄が無い。相手の眉間を切り裂いた切っ先はそのまま後ろの相手の心臓を貫いていく。計算しつくされた流れるような剣技は、
そんな心強い仲間たちの背を見ながら、レイルはノクティウスの剣をふるい続けていた。
だが、その心中は複雑だった。
いつもなら、たくさん悪意を集められると喜んでいるところ。
だが、今日は違った。
目の前で罪もない看守たちが次々と殺されていく光景は、あの日と重なった。
ライラを失った日―――
なぜ殺されなければならないんだ!
勝手にその将来を潰されるなんて理不尽だ!
お前たちに、誰かの命を踏みにじる権利はない!
煮えたぎるような怒りが沸き上がってきた。
その時、ドクンと大きく左眼が波打った。
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