第9話 妹の死

  初仕事を終えて部屋へ戻ったのは、朝日も昇り切った頃。流石に緊張していたようで、ベッドに横になるとアッと言う間に眠りに落ちてしまった。


 『上手くやったな―――聖光セントルクス騎士団に入隊とは、お前は大した奴だな。想像以上の成果を上げてくれたぞ』

 

 頭の中に響いた声に、レイルは揺り起こされた。気づけばもう夕暮れ時の淡い光に影が長くなっている。 

 どうやら食事もせずに眠り続けていたらしい。テーブルの上には用意された食事が冷たくなっていた。



『誰だ!』


 頭の声に向かって叫ぶ。


『久しぶりだな。と言っても、俺はお前の左眼を通してお前のことをずっと見ていたがな』


『あの時の男か?』

『そうだ』

『話しかけてくるなんて初めてだな』

『まあな、お前がその剣を大いに使ってくれたから、大分力が戻ってきたおかげだ』


『……お前は、ノクティウスだったんだな』

『今頃気づいたのか?』

『剣のことを聞いてな』


『で、考えが変わったのか?』

『今更契約は無効にはならないんだろう』

『そうだな』

『つまり、ライラのことも無効じゃないはずだよな』

『―——そうだな』

『ならいい』

『そうか』


 レイルはのっそりと起き上がるとグラスに水を注いで一杯飲み干す。そして旅の荷物の中から、小さな竪琴リラを取り出してポロンと弦を弾いた。

 

 ライラ―——音楽が好きだった妹へ手作りをした竪琴リラ


 流行り病で両親が亡くなった後、貧しい生活の中でなんとか生き延びていたのは、二つ年下の妹がいたからだった。ライラを生かしたい。ライラを幸せにしたい。

 その一心で働いていたのに……あの日、全てが終わってしまった。

  

 何にも無い二人きりのあばら家へ、なぜ盗賊がやってきたのか?

 知っている。ライラを捉えるためだ。捉えてどこかへ売り飛ばそうとしたに違いない。


 その日、レイルは収穫したカルトフェルを町に売りに行って遅くなってしまった。夕闇迫る坂を必死に駆けあがって辿り着いた時、大勢の男たちが二人の家に入っていくところだった。

 中からライラの叫び声が聞こえてきた。

 心臓が飛び出そうなくらい驚いたが、慌てて大きな石を掴んで走り出した。


 泣き叫ぶライラの腕を掴んで引きずって行こうとしている大男の背が見えた。

 風のように周りの男たちの足元をすり抜けて強く地を蹴った。振り上げた石を体ごと大男の頭に投げおろす。だが、気配を察した男に振り向きざまに振り払われてしまった。大男の一撃に十三歳になったばかりの細いレイルの体など、軽く吹っ飛ばされた。

 煤けた壁にぶち当たって、グハッと胃液が飛び出しそうになる。

 だが、このままではライラが危ないとすかさず立ち上がると、ライラと男の間に突進した。


「うおおおおっ!」

 

 鬱陶しそうな顔をした男、腰の剣を引き抜いた。

 素早く突きを繰り出され、ライラを庇いながら身軽に後ろへ飛びのいたが、その勢いで壁に激突したライラが小さな呻きをあげる。

 一瞬ライラに気がとられた。その瞬間、奴の繰り出した剣がレイルの左眼を突き刺した。


 目の前に広がった赤。脳天に突き抜ける痛みに、声も出ずに頽れた。


「死ね!」


 振り降ろされた切っ先が腹に刺さると思った瞬間。レイルは柔らかい体に覆いかぶされた。


「うっ」


 ライラの口から血が噴き出した。心臓を一突き。死の恐怖とレイルの無事を祈る複雑な表情のままに絶命した。


 ライラの笑顔の記憶がかき消されるほどに、衝撃的な最期の表情かお


 体の内からぶるぶる震えながら、抑えようの無い怒りがレイルの全身を駆け抜けた。


 ライラの肋骨に阻まれて、レイルの心臓まで突き抜けずに済んだ剣。

 それを引き抜こうとして、大男は思いがけず苦戦していた。

 乱暴に引き抜こうとするたびに、ゆらゆらと揺れるライラの体。

 もうろうとする視界の中、レイルは声にならない怒りを叫び続けていた。


『やめろ! これ以上ライラを苦しめるな! 傷つけるな!』


 その時、切り裂かれた左眼がドクンと大きく波打った。

 そして頭の中に声が響く―――


『手を貸してほしいか?』

『誰だ?』

『手を貸してほしいか?』


 見えざる声は繰り返す。


『ああ、貸してほしい。あの野郎をぶっ殺す!』

『ならば契約成立だ』


 何者との契約? 

 一瞬不安に思ったが、突然思いもよらぬ力が沸き上がり、レイルは妹の体を押しのけて飛び起きることができた。驚いて剣から手を離した大男。レイルはその剣を迷いなく妹の体から引き抜くと一気に大男の脳天へ振り下ろした―——



 その後の記憶はない。気が付いた時には、周りに盗賊たちの死体が転がっていた。


 その数、十数人ほど。

 

 こんな十三歳の少年が一人で倒せる数ではない。だが、彼しか生き残っていなかった。


 そう……レイルしか。


 ふと我に返ると、目の痛みに悶えた。辛うじて残っている意識でライラのところへと這いずっていく。


 ライラ! ごめん! 俺のために。

 俺なんかのために!


 真っ赤な涙を流しながら、レイルはライラの体に縋りついていた。



 その時、またしてもあの声が響いた。


『まるで狂戦士ベルセルクのようだったな。だが、思った以上に優秀な戦士だ。これは期待できるな。契約成立だ』


「お前は何者だ!」

 レイルは顔を上げてくうに問いかけた。


『私は……いずれわかる』


「そんな怪しい奴との契約はいらない!」

『そうなのか? だがその剣はもうお前の物だ。そしてその剣があれば、お前の妹を生き返らせることができると言われてもか?』


「な!」


 痛みも忘れて飛び起きた。


「お前は何者だ! 本当にライラを生き返らせることなんてできるのか!」

『そうだな。私は元々再生の能力に長けているのだよ。でも今は力が封じられていて足りない。その力を取り戻すために、お前に力を貸して欲しいんだ。そう、お前の左眼を俺の視界とし、その剣に悪を引き寄せてくれれば、私の力も戻ってくる。私の力が戻れば、お前の妹の蘇生も夢ではないだろう』


 レイルは胡散臭い申し出に、言葉を無くす。

 だが、ライラが生き返るなら……もう一度、ライラと会えるなら……そのためだったら、悪魔に魂を売っても惜しくないとも思う。


「この剣は悪を吸い寄せる剣なのか?」

『そうだよ。だから、彼らの悪意を吸い取った。数時間後には善人になって町へ降りていくだろうから彼らの体は放っておいていいぞ』


「どういうことだ? こいつらは死んで無いのか? ライラは死んでしまったのに! そんなのずるい! 許せない!」

『まあまあ、落ち着いて聞け。お前が俺と契約したことによって、その剣は『悪意を集める剣』となった。これからは人々の悪意を集め続けてくれ。これは人殺しでは無いから心おきなく剣が振れるだろう? お前が悪意を集めてくれれば、この世から悪意が減り、俺はそれだけ元気になる。そうしたらお前の力になれるという訳だ。決して損な契約では無いと思うがな』

盗賊こいつらが生きていること自体が許せない!」

『ははは! だが、死んで罪を償うのと、生きて償うの、どちらが大変かと言えば、生きて償うほうだと思うがな』


 レイルは混乱していた。

 男の言うことなんて、何一つ頭に入って来ない。

 ただひたすらに、ライラの命も、己の運命も捻じ曲げられたような気がした。

 行き場の無い悲しみと悔しさ、怒りでぐちゃぐちゃだった。


 でも……このまま何もせずに一人で生きていくこともまた、到底考えられなかった。


 だったら……この男のでもなんでもなってやろう。


 いつの日か、ライラを取り戻すために―――



 

『これからはちょくちょくこうやって話しかけてくるのか? ノクティウス』

 遠い記憶をまた頭の引き出しにしまい込むと、レイルは淡々とノクティウスに問いかけた。

『いや……レイル、お前と一緒さ。会いたい人に会える日までは、力を蓄えることに専念するよ』

『そうか……』


 レイルはもう一度竪琴リラを鳴らした。

 優しい音色が、始まったばかりの夜の闇へと広がっていった。






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