第6話 エスカルラータ隊は緋色

 その夜、ヴァールハイトはもう一度、父シュタールの書斎を訪れていた。

 

 シュタールは珍しく寛いだ様子で、葉巻をくゆらせている。だが、ヴァールハイトはその瞳に宿るほんの微細な感情も見逃しはしなかった。


「父上、何か気になることでもありましたか」

 その言葉に、シュタールの眼差しが父親になった。

「ヴァールハイト、お前も一人前の男になったな。相手の些細な変化から真実を読み解く。リーダーとして、家長として大切な資質だ」

「ありがとうございます」

 父親からの最大の賛辞をもらって、ヴァールハイトも素直に喜びを表す。


「あの者、もしかすると失われたルヴゥラン家の末裔かもしれぬな」

「ルヴゥラン家……それは、以前父上が話されていたグランドール家の前の公爵家のことですね。北門の守護は昔は夜の神ノクティウスの加護を受けていた一族だったが、闇の神の存在が脅威となったため断罪されたと」

「ノクティウスの剣のことを聞いてな。ふと思い出したんだ」

 シュタールはため息を誤魔化すようにゆっくりと紫煙を吐き出した。


「とは言っても、ルヴゥラン家当主が断罪され、家名断絶となったのは百二十年も前の枢機卿の御代のこと。公の記録も残されていない。真実は分らない」

「生き残りがいる可能性はほとんど無いと?」

「だから、これは単なる推測だ」

「私は危険な人物を巻き込んでしまったのでしょうか?」

 ヴァールハイトの不安を和らげるように、シュタールが笑いかける。


「いや、私はそうは思っていない。元々我がヴェルトラーム王国はディエナとノクティウス、両神のご加護を受けて建国され繁栄してきたのだ。だから本来は、ノクティウスの加護も必要なはず。今は悪に傾き危険な神とされているが、この状態が良いわけでは無いと思っているのだよ。教会はディエナの光だけが頼りと言っているが、光が強ければ、それだけ影も増える。均衡が崩れたこと自体が問題なのかもしれない」

「なるほど。そう考えると、レイルとノクティウスの剣の存在は、偏った今の世を正す起爆剤になるかも知れませんね」


 シュタールは静かに頷くと、ヴァールハイトの目を真っ直ぐに見た。


「部下の力をより良く使う、それこそがリーダーの役目だ。だが覚えておけ。そなたの使命は、この国の治安を守ることだ。いかなる時もそれが最優先だ」

「はい」



 聖光セントルクス騎士団には、城壁の形と同じく六つの隊があり、王宮を中心として、六等分した地域を守備範囲として活動している。それはそのまま六公爵の領地と合致する。三百年前の戦いの時に協力し合った人々は、その連携を生かした王都づくりをした。六つの領地間に検問などは無く、共同統治に近い形になっている。


 だが、長い年月を過ごすうちに、様々な軋轢が生まれていたのもまた事実だった。

 そして、六公爵領内でも、時々下克上のような騒動が起こっていた。


 北門を守備する公爵家の交代について、公式の記録は残っていない。

 なぜノクティウスとの関係に気づけたかと言えば、シュッツガルド家の当時の家長の日記が発見されたからだった。そこに記されていた言葉の端々を繋ぎ合わせて、導き出された推論に過ぎなかった。

 


 次の日の朝、レイルはヴァールハイトとルキフェルと共に、エスカルラータ隊本部へと向かった。入隊の『宣誓の儀』を行った後、本格的に騎士として活動を始めるための準備も必要だった。

 まずは白い軍服を作らなければならない。


 聖光騎士団の六つの隊は色の名前が付けられている。制服の装飾部分や白いマントの裏地に、それぞれ配属の隊の色が使われていて、共闘するような際にも見分けが付くようになっていた。

 それぞれの色は次の通り。北門を守るプラティアード隊は銀色。北東のアスール隊は青。北西のモラード隊は紫、南東のベルデ隊は緑、南西のセレッサ隊は桜色だった。

 そして、ヴァールハイト率いるエスカルラータ隊は緋色。


 緋色、赤か……レイルの脳裏にあの日の真っ赤な鮮血が蘇る。

 あの日、妹が殺された日―——そして、自分が左眼を失った日。


 思わず皮肉な笑みが漏れた。


 眼帯の色と揃いなんて、なんて出来過ぎた偶然かと思った。そこには、レイルの決意が込められていたからだ。

 あの日の憤りを、絶対に忘れないと再度心に誓った。



 ルキフェルに案内されて向かった裁縫室の前には、非番の隊員が裾のほつれやボタンがとれたと言いながら頻繁に出入りしている姿があった。


「すみません。新人の採寸をお願いに来たのですが」

 ルキフェルが受付にそう申し出ると、受付の愛想のよい女の子が「ラヴィーナさーん」と奥へ声をかけた。呼ばれて静かに顔を出した女性は、レイルと同じ黒髪を後ろで無造作に括っただけの姿。表情は乏しく、にこりともしないが、琥珀色の瞳は思慮深い光を宿していて、陶器のように透き通る白肌がとても美しかった。


「どうぞ、こちらへ。採寸しますので」


 カーテンの後ろへとレイルを案内した。


「ああ、ラヴィーナちゃん、そっけないんだよな」

「だけど、そこがいいんだよね」

「俺は受付のクロシェちゃんの方がいい。ね、次の非番の日にデートしない?」

 彼女たち目当てと思しき隊士達が聞こえよがしに色々言っているのが聞こえてくる。


「私は毎日忙しいです」

 だがクロシェちゃんと呼ばれた受付の女の子は、にこやかな笑顔でばっさりと誘いを断っていた。



「服を脱いでいただけますか」

 巻き尺を手に見上げてくるラヴィーナ。

 無表情に下着まで脱ぎ掛けたレイルを慌てて引き止める。

「そこまで脱がなくて大丈夫です」

 傷だらけの上半身が露わになって、ラヴィーナの瞳が一瞬曇った。下着の向こうへ秘された傷跡を労るように、そっと巻き尺で測り始めた。


 十三の歳から今まで、レイルは一人で旅をしてきた。それは決して簡単な事では無く、何度も死の危険を潜り抜けて来た。体の傷はその証だった。


 無表情でテキパキと採寸を終わらせたラヴィーナが、徐にレイルの左眼帯に触れた。即座に後ろに飛び退くレイル。


「ご、ごめんなさい。それも、新しいのを作っておこうと思ったから……」

 小さな声で弁明してから言葉を続けた。


「ヴァールハイト様から、なるべく早く仕上げて欲しいと言われました。三日で仕上げます。貴方が一番戦いやすい服になるよう努めます。これ以上、傷が増えないように」


 その言葉にレイルはハッとした。

 そしてラヴィーナが如何にプロフェッショナルな仕立て職人であるかに気づく。


 軍服は装飾品ではない。隊士が己の力を最大限に発揮し、その身を守るために在るもの。

 だから彼女はありったけの聖なる光ルミノーサを注ぎ込んで隊服を縫い続けてきたのだろう。


「ありがとう。でも、無理はしないでくれ」

 

 今度はラヴィーナが驚いたように顔を上げた。

 そして初めて柔らかな笑みを浮かべたのだった。


「はい。お気遣いありがとうございます」

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