第15話

 結局、僕は月姫と一緒に斎宮へ行くことになった。

 何度もせがまれたからと言うのもあるが、月姫が光祐に頼もうとしたのが決定的だった。


「光祐は駄目だ」

「どうして? 兄上達よりもずっと話が分かると思うけど」

「とにかく駄目」

 光祐は斎王様に懸想をしている――そうは伝えられず、ただ首を左右に振る。


 光祐も父親の代行で月姫と同様、国境から斎宮までの郡行に付き添ったのだ。

 月姫と輿の前で立ち話をしている時、斎王の当子様が御簾を上げて二人を眺めているのを見てしまったらしい。

 女房が慌ててすぐ御簾を下げたが、光祐の脳裏には当子様の姿が焼き付いてしまったと言う。

「陶器のような肌に濃いまつ毛、漆黒の長い髪……生まれて初めてあんなに美しい人を見たよ。前に月姫の正装を見た時とは比にならない」

「月姫を引き合いに出すのは止めて」

「ああ、ごめん。とにかく、同じ人間なのかと疑う程、きれいだったんだよ。お前、あんな姫様と一緒に育ったんだな」

「赤子の頃だし覚えてない」

 月姫を落とすように言われた事が引っかかり、ムカムカしながら返した。

「それに、きれいかどうかは僕には分からないけど、中身は普通の女の子だよ」

 恐ろしくおませで我儘だけど、と付け加えてやりたい位だったが、蒸気して頬を染める光祐の姿を見て止めておいた。

 もう会う事もないだろうから、理想を崩す必要もないか。


 そう思っていたのに、月姫が会わせようかと言い出すから、慌ててちょうど詩を記したばかりの紙を細く折り畳み、渡したのだ。

「前、文だけでもいいって言ってたよね。これを渡すといい。但し僕の名は出さないで」

「なんだ、書いてくれたの?」

 開いて確認しようとする月姫の手を押さえ、

「見ないで」

と止めると、月姫は素直に頷き、

「そうよね。早速花木に結んでお渡しするわ」

と走って行った。

 その数日後――養祖父母の邸にいるところに月姫がやって来て、無理矢理腕を引っ張られ、共に牛車に乗せられた。

「今朝斎姫様に顕成の文を渡したら、ものすごい剣幕で怒られたのよ。何で漢詩なんて渡してきたのよ」

「和歌とは聞いてない。それに今一番好きな詩だから」

「もう、女心が分かってないなあ」

 何で僕が当子様の女心に寄せなきゃいけないんだ。

「それとも顕成、そんなに嫌だったの? この前から怒ってるよね?」

 月姫は首を傾けて僕の顔をじっと見る。

「別に怒ってない」

 僕はほんの少しだけ後退した。

「そう? 怒ってるんじゃなくても、最近、ずっと元気がないよね? 何かあったの?」

「……」

 確かに、ここのところ、ずっと気が沈んでいる。

 それは――

「着きましたよ」

 従者の藤助の声で思考が中断した。


「どんな男の子が来るのか内心楽しみにしてたのに、顕成じゃ話にならないわ」

 案の定、当子様は僕を見てがっかりしていた。

「すみませんっ。知り合いとは知らなくて」

 月姫はびっくりして慌てているようだ。

「月姫に悪気がないのは分かってるわ。振り回して悪かったわね」

「私で良かったでしょう。斎王様はお立場を分かってないようですが」

 溜まりかねて前に一度注意した事がある。

 その時の話を匂わせたのが留めを刺したようだった。

「顕成の説教なんて聞きたくもないわ。もう帰って!」


「ねえ、斎姫様と顕成はどういう関係なの? 親戚とか?」

 聞かれると思った。

 咄嗟に、「兄妹のような関係、かな」と濁す。

「じゃあ斎姫様は顕成の妹君なの?」

 しまった。

 それだと帝の子だと偽るようなものだ。

「それは違う。のようなって言ったろ。僕は近いから歩いて帰る」

 慌てて否定し、逃げるように去るしかなかった。


 何て答えれば良かったのだろう。

 乳兄妹? 中将内侍は僕の実母じゃないのに――

 母親が誰だと聞かれたら何て答えればいいのだ?

 父親は?

 知らされてもいないうえ、僕自身の記憶もないのに。


 そうだ。

 ここのところの気鬱の原因は分かっている。


 先生の任期がこの春に切れるという話を聞いてからだ。

 伊勢介・大掾も同様で、靖時兄弟と和之も帰京することになりそうだ。

 このまま残って家の仕事を継ぐ子や国府で働く子もいる。

 光祐ももその一人で、郡行に付き添ったのもその絡みだった。

 何も決まっていないのは僕だけ――

 親がいないという事は、こういう事なんだ。


 僕も京へ行きたい――初めてそう願った。

 しかし、京には頼る先がもうなくなってしまった。

 斎王当子様の下向により、中将内侍までこちらに来てしまったから。

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