第13話

 そこにいたのは二人の小さな兄妹だった。

「お母さんはどこ?」

 四歳位の女の子が僕達を見上げて聞く。

「母上は……ひっく、びょ、病気になって、ひっく、いなくなって、おじさんに聞いたらここにいるって」

 泣きじゃくっている六歳位の男の子の方が説明を加える。

 母親がここに?

 ここらは野と川と人気のない古い寺しかない。そしてこの辺りに多くの死体が……。

 

 月姫は妹を、僕は泣いている兄をそっと抱き上げた。

 周囲に漂うのとはまた違う臭いが鼻につく。

 服も身体も長く洗えていないのだろう。

 そして、恐ろしく痩せていて、骨ばっていた。


 目頭が熱くなり、涙が出そうになるのを堪えて留める。

 この子は、いつかの僕と同じだ――


「お家は?」

 月姫は抱いている子に顔を寄せて優しく話しかける。女の子は首を傾げた。

「ひっく。ひっく。わ、わかんない」

 僕が抱いている兄の方がしゃくりあげながら答える。

「じゃあ、一緒においで」

「で、でも、お母さんが……」

「明るくなってから探してあげるから」


 僕達は二人の子供を尹盛の家まで連れて帰った。

「今晩だけここに泊めてあげて。そして明日の朝になったら国府に連れて来て。私から父上に話しておくから」

 尹盛は少し戸惑った表情で月姫と子供達を眺めてから、黙って頷いた。

「じゃあ私は帰る」

 月姫は満足したように踵を返す。

「え? こんな夜中に?」

「では私が付き添いますが……あ、ちょっとお待ちを……」

 子供達が家の中へだだっと走って行ってしまい、尹盛はそちらを追っていってしまった。

 月姫はその様子を少し眺めてから外に出て行く。

「ちょっと待って」

 僕も松明を手に取り、外に出た。


 また星空の下を二人で歩く。

「尹盛にまた迷惑をかけちゃったな」

 僕がつぶやくと、

「私がね。急にやって来て子供の面倒押し付けちゃった。あつかましいよね」

と言って月姫は笑った。

「でも尹盛は、面倒とは思ってないと思うよ」

「そう?」

 月姫は軽く相槌を打った後、いきなり近くの木によじ登り始めた。

「月姫?」

 慌てて僕もついて登ろうとしたが、松明を持っていない右手だけでは難しい。

 仕方なく土の上に置くと、火が消えてしまった。

 自由になった両手で木を登り、太い枝に足をかけると、月姫は既に近くにあった塀の上に移動している。

「あの、いったい……」

「ここ近道よ」

 月姫が振り向いた勢いで、髪を束ねていた紐に細い枝が引っかかって外れ、髪が解ける。

 いつの間にか空が薄群青色に変わっていて、暁月が月姫の肩越しに現れた。

 彼女の髪は金色に縁取られ、さらさらとそよ風になびく。


 幻想的な様に僕が見とれたのも束の間――月姫は慣れた足取りで塀の向こう側に飛び降りた。

 先に見慣れた建物が見え、そこが国司館の敷地内なのだと気付く。

「じゃあ、またね」

と彼女は手を振りながら建物の方へ去って行った。

 木の上に取り残された僕は、小さくなっていく月姫の影をしばらくぼうっと眺めた。





 次の日の朝、尹盛の家に国府の役人が来て、昨夜の兄妹を連れて行った。

 後から気になって僕も国司館に行くと、兄妹は中庭で女房達に体を洗われているところだった。

 水が冷たいのか、くすぐったいのかきゃあきゃあと騒いでいる。

「あの汚いの、月姫のやつが拾って来たんだと」

 正高さんが現れて僕に説明する。

 侮蔑的な言い方にムッとした。

「知ってる。僕も一緒に保護したから」

「え? あいつ、一人で拾って来たって言ってたぞ」

「いや、僕も一緒だったけど……月姫は部屋に?」

「講義の間にいるよ。罰として今日は一日書写らしい」

「罰?」


 僕も講義の間へ……いや、まずは先生に説明しなくては。

 沓を脱いで建物に上がり、寝殿へ向かう。

 ここ国司館は京の上位の貴族のお邸と同じような構造になっていて、寝殿の北側には北の対、南側に中庭を挟んで西の対と東の対が左右対称に並んでいる。

 寝殿と西の対が主に国府の政務用になっているようで、国司の家族の生活空間は北の対に、講義の間がある東の対は来客用のため普段はあまり使われていない。

 先生はやはり寝殿にいらした。


「なるほど。月子は顕成君に会うため夜に外に出たという事か」

「はい。ですので僕も罰を受けます」

「いや、あなたが呼んだわけではないでしょう。いつも娘が巻き込んでしまい、申し訳ないね」

 そんなことないです……と心の中で言いかけたものの、声にはならなかった。

「日中ならまだしも、夜中に女房や郎党達の目を盗んで一人で出て行ったのだ。それがどれだけ危険な行為なのか分からせるための罰だからね」

 僕も昨夜、一人で来たと聞いて少し怒ってしまったことを思い出して少し頷く。

「机に向かわせておけば落ち着くかと思いきや、返って男まさりに育ってしまっている。男子に混ざって講義を受けるのはもう止めさせるべきだとあれの母親にも前々から責められていてね。しかし、兄達よりも物覚えが良いものだから、それが面白くて、もう少し、もう少しだけと続けているうちに止めさせる機会を逃してしまった」

「ええ、月姫は確かに一番優秀だと思います」

「いやいや、流石にあなたには及ばないが……。あなたと月子が他の子供達にもいい刺激になっていたのも事実だからね。しかし、それもあともう少しで終わりだが」

「え、終わりとは?」

「私の国司の任期ももう終わりだからね。正式な除目は春だが」


 ――月姫達が帰京する。

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