第8話
「そ、そんなんじゃない!」
僕はびっくりして上半身を起こした。
「いつも一緒にいるくせに? 月姫、お前とばかり話してるじゃないか」
「それは、光祐達が通ってくるまで、彼女と同年なのは僕だけだったからだよ。他は正高さんとその友人しかいなかったし。でも、最近は光祐とだってよく話してるよね?」
「ふざけた話しかしてないけどな」
「僕とだってたわいもない事ばかりだよ」
「お前と一番仲が良いのは事実だろ」
「そうかも知れないけど、こ、恋仲とかそんなんじゃ……」
「ふうん。顕成が否定するなら俺が……なんてね」
光祐のその一言に心臓がドクンと大きく鳴った。
「……もしかして、光祐こそ月姫が好きなの?」
「いや。そもそも身分が釣り合わないだろ」
「……そういう事を抜きにしたら?」
僕は胸をおさえながら聞いた。
光祐は横たわった格好のまま両腕を組んで頭を乗せ、空を眺めて目を細めた。
「桃の節句の時、彼女が珍しく垂髪にして正装した姿を見た時は驚いたよ。普段はあんなお転婆でもやっぱりお姫様なんだなって。でもそれだけだ」
「それだけって……」
「とにかく! 顕成はじゅうぶん恵まれてると思うという話だよ」
「……衣食住に困らず、気にかけてくれる家族がいるから?」
「そうだよ。お前はあまり知らないだろうが、世の中には貧しい暮らしをしている人がたくさんいる。国司館の教室には俺みたいに貴族でない子もいるけど、それでも比較的豊かな家の子ばかりだよ。小さいうちから一日中働かなくちゃいけなくて、遊ぶ時間もない子もいるんだよ」
僕は黙って頷いた。
「隣の志摩国にいた遠縁の子がそうだった。父親はいなくて母親と一緒に毎日早朝から海に出て働いていたよ。それでも生活は苦しくて普段は薄めた粥くらいしか食べられず、時々近所の人に分けてもらった野菜や採った貝を食べられればよい方だった。僕の古着を母上が送ったんだろうね、一度会いに行った時、小さくなって擦り切れになっても大事に着ていたよ。それでも住む家があるだけ恵まれてるって笑ってたな……」
「その親子は今でも志摩に?」
「いや……昨年、疫病で家族全員亡くなった」
「……」
僕はそれ以上何も聞けなくなってしまった。
光祐の言わんとしたことが分かった気がする。
ただ、僕はそこまで世間知らずじゃない。
伊勢国に来る前、つまりまだ京にいた時、僕は行方不明になった時期がある。乳母の中将内侍が僕を見つけた時、乞食の中にぽつりといたという。
僕はその後、数日間生死の境をさまよった。
そして気が付いた時、僕はそれ以前の記憶を失っていた。
でも、時々夢に見る。
痩せ細ってぼろぼろの着物をまとった子供達。
昼間は市で物乞いをする子や食べ物を盗む子がいる。
夜は今にも倒壊しそうな古い家屋の中で、ぎゅうぎゅうに身を寄せて眠る。
その中に僕もいる――きっと、あれは実体験だ。
鼻が――何ともいえない臭気を覚えている。
「顕成」
光祐は僕の目をじっと見た。
「お前はそのうち京に戻って、冠位とかもらって偉い人になっていくんだろ?」
「さあ……」
「そうなってくれなきゃ困る。そしたらさ、下働きでもいいから俺を呼んでくれよ」
「光祐は京に行きたいの?」
「ああ、行きたい。斎宮にあるような立派な建物がたくさんあるそうじゃないか。一生に一度くらいは自分の目で見てみたい」
「だったら、下働きだなんて言わないで、大学寮に入れば?」
「大学寮? 俺が入れるか?」
「試験に受かればね。僕は京に戻ったら入学したいと思ってるよ」
「なんだそれ。一人が嫌だから俺を誘ってるわけ?」
「そんなつもりはなかったけど――そう言われてみると、君もいた方が心強いな」
「へえ。お前がそんなに俺が好きだとは知らなかったよ。でも俺は無理。今は父上に言われて漢学やら習ってはいるけど、学問に興味がない。可能なら武官を目指すかな」
「いいね、それ。君は頭中将、僕は頭弁っていう感じで二人で蔵人頭になって、時の帝をお支えする。そうなれたら素敵だね」
「俺が頭中将? じゃあお前は光君だな。俺たち二人で恋に歌にと競って宮廷の花となるか」
光祐は頭中将と聞いて『源氏物語』の話にすり替えて茶化したが、僕がしたのはもっと現実的な話だったんだけど。
いや、そうでもないか。
どちらにせよ夢物語だ。
貴族でない光祐や両親のいない僕が任官される事はまずない。
それを心のどこかで分かっていながらも、その頃の僕らには夢を語るだけの未来への希望があった。
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