第7話

「えいっ! やあ!」

 砂浜で木刀を振り声を張り上げる。

 いつの間にかそれが僕の朝の日課になっていた。


 汗を拭いて海を眺める。

 静かな波の音。水平線の向こうには微かに尾張国の山が見える。


 伊勢国に来てから二年が過ぎ、僕は十二歳になっていた。


「顕成!」

 呼ばれて振り返ると、僕と同じ背格好の男が手を挙げて笑いながら向かって来る。

 学友の一人で同い年の光祐みつすけだ。

「こんな遠くまでどうしたの?」

「ああ、本当に遠いな。俺には尹盛さんのような従者はいないから大変だったよ」

「まさか一人で来たの?」

「いや父上と。斎宮寮に用があるって聞いて、馬でついてきた」

 光祐の父親は伊勢国府の書生をしている。

 その関係で月に数回、斎宮寮まで来る用事があるようだった。

「僕に会うため?」

「うんにゃ。斎王様目当てに決まってるだろう?」

「は? 斎王様?」

 光祐は僕の肩に腕を回してにやっと笑う。

「お前の乳兄妹だっていうじゃないか。紹介してくれよ」

 僕はため息をついた。

「知らないの? まだ野宮ののみやに入られたばかりだよ」

「野宮って?」

「京は嵯峨にある宮殿。しばらく斎王様はそこに留まって潔斎されるんだよ。伊勢群行は来年の秋になるんじゃないかな」

「何だ。そうならそうと、講義の時に教えてくれよー」

 光祐は腕を解いて嘆く素振りを見せた。

「はははは。群行の時はその行列を現物しにくる人が集まってお祭り騒ぎになるそうだよ。はるばる来たのに残念だったね。僕と詩作でもして行く?」

「何が楽しくてそんな事」

「じゃあ……」

 僕は足元に置いてあった木刀一本を光祐に向かって放り投げる。

「君は武芸に明るいんだよね? 相手してよ」

 光祐は受け取った木刀を構えて僕に向き合った。

「父上は書生なんてやってるけど、うちの一族は平家の家人だからね。確かに武芸も習わされたよ」

「そう。僕も尹盛さんと時々手合わせ……っと! いきなり突いてこないでよ」

「これが実践向きだよ。お上品な武芸じゃ役に立たないぞ。それっ」

 縦に横にと飛んでくる木刀を必死になって受け止めた。

 光祐からの攻撃を防御するのが精一杯だ。

 速い。そして重い。

 彼の動きは僕の動きと全然違う。

 何度か刀を合わせた後、僕は降参した。

「はあはあ。負けを認める……よ」

 そう言って、木刀を横に放り投げて砂浜に寝ころんだ。

「あーあ。一度も攻撃できなかった」

 光祐も隣に並んで横たわる。

「でも、まあ……貴族のお坊ちゃまの割にはやるじゃないか」

「そう? 貴族……かどうかは分からないけど」

 そう呟くと少し沈黙が流れた。

「お前、まだ昔の記憶が戻らないの?」

「うん。前には時々ふっと思い浮かぶような事もあったけど、最近は全くそれもない」

「そうか。だけど貴族ではあるだろ? 尹盛さんの妹が乳母だったんだし。乳母がつくなんて貴族のお坊ちゃまだという証拠じゃないか」

「母親は貴族じゃないって、祖母が話してるの聞いたんだ」

「でも父親が貴族なのは違いないだろ? 月姫の女房連中が高貴なお方の子だと噂してるの聞いたことあるぞ」

「知らない。幼名と今の呼び名以外、氏も分からないし……」

 光祐は体を起こして僕を見下ろした。

「お前さ。それで自分の事かわいそうな奴だって思ってるわけじゃないよな?」

「え……?」

「両親がいないとは言え、乳母にそのご両親、尹盛さんにあんなに大事にされて、食べるもの着るもの寝る場所に困らない。更に国府の教室では一番の及第生で、国守の先生には気に入られ将来を期待されている。おまけに唯一の姫君とは恋仲で? 人生薔薇色じゃないか」

「ちょっと待った。最後の何?」

「人生薔薇色って?」

「違う。誰が誰と恋仲だって?」

「お前と月姫に決まってるだろ」

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