今日が一番いい日

増田朋美

今日が一番いい日

その日も寒い日であった。なんだか静岡県なのに、大雪が降ったとかで、久しぶりの大雪に、若い人たちはみんな騒いでいた。まあ、日頃から雪と言うものを見たことのない、静岡県だから、こんな大騒ぎになるんだろうけど、他の県の人から見たら、バカバカしいことだと言って、笑われるかもしれない。

その日、杉ちゃんが、水穂さんにご飯を食べさせようとしていると、いきなり製鉄所の玄関の引き戸がガラッと開いた。

「あれ、こんな大雪の日に、物好きなやつがいるもんだな。おう、今手が離せないの。上がってきてくれる?」

杉ちゃんがでかい声でそう言うと、わかりましたという声がして、誰か二人の人物が入ってくる音がする。やがて、ふすまが勢いよく開いて、

「ねえおじさん遊ぼうよ!」

と、言いながら入ってきたのは田沼武史くんだった。水穂さんは、

「はいはい、一体どうしたの?」

と言いながら、布団の上に起きた。一緒に来たジャックさんが、水穂さんは大丈夫なんですかと聞いたが、水穂さんは、大丈夫ですとだけ答えた。

「それにしてもジャックさんどうしたんです?なんだか、つらそうな顔をしてるけど、なにかあったの?辛いことでもあったのか?」

と、杉ちゃんが言った。武史くんの方は、もうすっかりおじさんと遊ぶ気になっていて、水穂さんに、モーツァルトのソナタを弾いてと、せがんだりしている。水穂さんが、演奏を始めると、杉ちゃんとジャックさんは、ちょっと外へ出ようかと言って、二人は、食堂へ行った。

「それで、どうしたの?なにかあったのか?そんな辛い顔してるんじゃあ、なにかあったよな。一体どうしたの?全部話しちまえよ。」

杉ちゃんにそう言われて、ジャックさんは、

「実は今日学校で、武史が、授業妨害をしたと、先生から呼び出されました。なんでも、先生の話にやじを飛ばすので、なんとかしてくれというのです。ですが、武史が、積極的に授業を受けようとする姿勢を誰かが評価してやってもいいと思うんですが、それは全く無くて、ただ、授業妨害をしたとしか言ってくださいませんので。」

と、大きなため息を付いた。

「そうなんだねえ。まあ確かに、純粋に授業に関わりたいということでもあるのかな。でも、それが授業妨害になってしまうのも、なんか、悲しいよねえ。」

杉ちゃんはとりあえずそれに同意する。それと、同時に、只今戻りましたという声がして、製鉄所を管理しているジョチさんこと曾我正輝さんの帰ってきたことがわかった。

「いやあ、寒いですね。今日は、何でも、大雪が降ると天気予報では言っていましたが、こんな寒くなるとは、思いませでした。他の地域では、どうなっているんでしょうか。雪の少ない静岡で、こんな大雪になるんですからね。まあ、まいったものですね。」

ジョチさんは、二重回しについた雪を手ぬぐいで払いながら、食堂へ入ってきた。

「田沼さんじゃありませんか。なにか相談事でもあるのですか?」

ジャックさんは、ジョチさんにも杉ちゃんに言った事を話した。ジョチさんは、そうですねと少し考え込む仕草をした。

「そうですか。武史くんにしてみれば、授業に参加しているだけだと思いますし、それを授業妨害とみなされてしまうのは、ちょっとつらいですね。」

「ええ、そうなんですよ。それに、英国では、積極的に発言すれば、褒められますよ。それを、授業妨害と取られるのは、僕も日本の学校はよくわかりませんね。この学校が私立であることを、もう少し認識してもらいたいと先生は言ってましたけど、果たして、それがどういう意味なのか、正直わかりませんよ。僕は、どうしたら、いいのですかね。学校を変わるということは、正直、無理な話ですよ。」

ジャックさんは、申し訳無さそうに言った。

「そうですよね。学校を変わったら、たしかに武史くんの負担も大きいでしょう。ですが、武史くんの積極的な発言が、学校では、授業妨害であると言われてしまったら、本人も傷つくのでは?」

ジョチさんがそう言うと、

「ええですから、武史にもまだ話していません。あれほど楽しそうにやっていると、授業で積極的に発言するのを、いけないことだと言うのは、ちょっとかわいそうだなと。」

ジャックさんは、困った顔で言った。

「そうですね、他に、そういう問題のある生徒さんはいらっしゃらないんですか?私立学校であれば、問題のある生徒さんがかなりいるのではないかと、思いますが?」

ジョチさんがそう言うと、

「ええ、何人か、武史の話ですと、いるみたいですけど、そういう子が学校から呼び出されるというのは、聞いたことがありません。それとも、人種が違うとして、武史のせいにしていれば、いいのではないかとでも思い込んでいるんでしょうかね?」

と、ジャックさんは言った。

「はあなるほどね、そういうことも十分ありえるぜ。なんでも、武史くんのせいにして、他の子は何もなかったことにしちゃおうっていう事は、ホントよくあるからね。小久保さんとか、そういう事言ってた。誰か弱いやつがいると、そういう子のせいにしちゃえばいいってなっちまうんだってさ。」

と、杉ちゃんがでかい声で言った。

「そういうことが、日本の学校であるんでしょうか?」

ジャックさんがそうきくと、

「あるある。かえって、途上国の学校のほうが、ちゃんとしてるかもしれないよ。そっちのほうが、ちゃんと教育機関になってるんじゃないの?まあ、学校なんてさ、変なことが平気で起きちゃうところだもん。なんか知らないけど、異常な空間だよね。他の組織では、全然考えられなかったことが、学校では平気で起きたりするんだよね。」

と、杉ちゃんが言った。

「残念ながら、僕も杉ちゃんの言うとおりだと認めます。最近は公開授業をする学校もあるようですが、それは、ただ、こんなに良いことをやっているんだと見せびらかすだけの、儀式に過ぎないと言われています。」

ジョチさんは、そこは済まないという感じで、ジャックさんに言った。

「もし、可能であるのなら、授業参観とか、そういうものはありますか?学校なら、あるはずですよね。それに参加して、授業を拝見されたらいかがでしょう?」

「ええ、授業参観は、来週予定されてはいます。なんでも、皆作文を読むのだとか。それでは、通常の授業と全く同じではありません。そう考えてみると、杉ちゃんの言うとおりですね。授業参観で、そうなるのなら、たしかに、ここは良い学校だと見せびらかしたいのかもしれない。」

ジャックさんは、なるほどと気がついたように言った。

ちょうどこのとき、武史くんが水穂さんのピアノにあわせて、歌を歌っているのが聞こえてきた。学校で教えてもらった歌のようで、長崎の鐘を歌っていた。それはとてもいい声で、子どもにしては珍しい歌い方である。なんだか、オペラ歌手を目指したらいいのではないかと思われる歌い方だった。

「あの歌を聞いていただければ、武史くんに何も汚れは無いことがわかります。大人のいたずらで、武史くんの心を汚くさせてしまうことは、本当によくあることでもあるんですけど、それはできるだけ先延ばしにさせてやりたいものですね。」

ジョチさんは、武史くんの歌を聞きながら言った。

「武史くんは、立派です。大人の汚れのようなものが、無いのですから。」

「立派ですか。」

ジャックさんは、大きなため息を付いた。

「とりあえず、武史くんが本当に、授業妨害をするのであれば、公開授業などで、わかるはずですよ。とりあえず、行ってみたらいかがですか?」

ジョチさんがそう提案すると、

「ありがとうございます。行かせていただきます。」

と、ジャックさんはジョチさんに言った。

その数日後、ジャックさんは、授業参観に行くために、外出用の紋付きに袴を身に着けて、武史くんの学校に行ってみた。みんな、スーツ姿の母親ばかりであるが、所々に父親も混じっている。まあ、いずれにしても武史くんの母親は、もう存在しないので、武史くんの保護者と言ったら、ジャックさんだけであった。確かに、和服姿となると、珍しい格好でもあるのだが、武史くんは、父親が授業参観に来ているのを、何も言わなかった。

「規律、礼、お願いします。」

と、クラス代表が挨拶をして、先生に向かって礼をした。武史くんの担任教師は、なんだか頼りなさそうな女性教師だった。

「はい、では授業を始めます。それでは、今日は、お父さんお母さんも来ているところだし、皆さん用意した作文を読んでもらいましょう。それでは、まずは、浅田くんからどうぞ。」

出席番号は、五十音順に付いている。ジャックさんは、そうやって生徒に番号をつけるのは、刑務所みたいで嫌だなという気がしていたので、あまり好きではなかった。

「作文のテーマは、僕私の家族です。誰でもいいから、家族の誰かについて、お話をしてもらいます。」

先生がそう説明すると、一番始めの生徒が、椅子から立ち上がって作文を読み始めた。大体の生徒は、家族の誰かというと、お母さんの事を書いてしまうようである。何人かの生徒が作文を読んだが、みんな、お母さんは明るくて元気で優しくて、美味しい料理ができたり裁縫ができたり、そんな事をつらつらと朗読しているだけであった。

「はい。では、19番、田沼武史くん、作文を呼んでください。」

先生に言われて武史くんが立ち上がった。

「はい、僕のお母さん、田沼武史。」

武史くんは、そう述べ始めた。なんでいない人間の事を、わざわざ作文に描くのだろうとジャックさんも思ったが、周りの大人達も、嫌そうな顔をしている。

「僕のお母さんは、僕がまだ僕だとわからない頃、家を出ていきました。お母さんは、お父さんのことが嫌いでした。お父さんが、絵を描くために、いろんなところへ行って、いろんな女の人の絵を描いていたのがたまらなく嫌だったんだと行って、よく喧嘩していたそうです。だから僕は、お母さんの顔を知りません。だけど、それでいいと思っています。だって僕は、いつもピアノを弾いてくれる優しいおじさんと、いつも縫い物をしている杉ちゃんと、一緒にいれば寂しくありません。お母さんは、僕に黙って出ていきましたが、それは、しょうがないことだったんだとおじさんはいってくれました。だから、それを嫌だということはなく、そうだったんだと考えをかえるしか方法はないって、杉ちゃんがいいました。その考えは、観音講というもので、見つけたそうです。だから僕は、お父さんが大好きです。お母さんは、嫌いだけど、優しいおじさんが大好きです。だから僕は、将来、優しいおじさんのような、おとなになりたいと思います。田沼武史でした。」

皆、あっけにとられた顔をしている。

それはそうだろう。小学生がこんな作文を描いてきたら、誰でも、おかしな子だと思うにちがいない。それについて反論する生徒がいないのが、まだ、良かった。

「じゃあ、20番高橋俊樹くん。作文を読んでください。」

そう言われて、高橋俊樹くんと言われた生徒が、作文を読み始めた。今度は、また優しいお母さんの話に戻った。それいこう武史くんのような話をする生徒は一人もいなかったが、、、。周りの親たちは、変な子だという感じの目つきでジャックさんを見た。中には、きっと英国人だもん、変なふうに教育してんのよ、みたいなことを言っている親もいる。

30番の生徒が作文を読み終わって、授業は終了した。その後、保護者会が開かれるため、ジャックさんたちは、その場に残っていなければならなかった。生徒は先に自宅へ返して、保護者のみで話し合いをするという会議だった。先生が、とりあえず、生徒たちは学校でどのように過ごしているかを報告したが、すぐに、着飾った親がこんな事をいいだした。

「失礼ですが、田沼という子をいつまでこの学校に置いておくことにしたんですか?」

「ええ、武史くんば、この学校の仲間として、ここにいてもらいます。」

若い先生らしく、抽象的な答えだ。

「そうですけど、あんなふうに発言されては、他の生徒が、困ってしまうのでは?学校というのは、皆同じであることを学ぶ場ですよね?その中に一人だけ、環境の違う子がいるとなると、その妨げになるのではありませんか?」

別の親が勢いよく言った。

「それに、あんなふうに、言われてしまったら、私達のほうがまるで悪者扱いされているみたいですね。私達は、勉強をするためだけに、ここへやっているわけでは無いんですよ。世の中の事を、ちゃんと学ばせるためにいるんです。そんなところに、ああいう子を入れて、なんで、そういう子を入れるんですかね。」

「ええ。そうですとも、英国と日本は、偉いちがいではありますけれども、基本的なことだけは同じなのではないでしょうか。それは、どこの国の混血でも変わらないと思います。それを教えることだって、必要なのではありませんか?」

また別の親が急いで言った。

「ちょっとまってください。国籍なんて、どうでもいい事ではないですか。英国と、日本では、確かに違っている事はありました。でも、一人違っているからと言って。なぜ、その人を排除するような事を、日本では平気でしてしまうのでしょう?」

ジャックさんがそうきくと、

「当たり前じゃないですか。全体の利益を守るために、一つの悪を切り捨てる。それは、どこでも有り得る話でしょうが。」

と、先程の親が言った。

「それで、授業を妨害する子は、出ていってもらわないと、私たちの子どもたちに悪影響が出てしまいますわ。それくらい、おわかりになるものでしょう?」

別の親がまた言った。

「それでも、切り離された人間の事を考えてみてください。自分は異常なのだ、孤独なんだってわかってしまえば、その心の傷は大きなものでしょうに。それのせいで、体も心もボロボロになってしまうこともありえます。それを、考えていただけないでしょうか?」

ジャックさんがそう言うと、

「あなた気は確かですか。そうやって、加害者のことを大事にしようとするのからいけないんです。それより、助けが必要なのは被害者でしょう。武史くんのおかしな発言に対して、えらく傷つけられた子どもたちの事を考えてくださいよ!」

と、ちょっときつく言った親があった。流石にジャックさんもこれはかちんと来た。

「そうですが、でも、誰でも教育を受ける権利というのは、あるのではありませんか!」

ジャックさんは急いでそういったが、周りの親は、嫌な顔をして彼を眺めていた。

「やっぱり英国人ですね。そういうふうに権利がある、権利があるって、すぐ主張する。日本人は黙って耐えることが、理想ではあるんですけど、英国人は、そうじゃなくて、こうしたいこうしたいそればっかり言うのですから、非常に困りますわ。」

女というのは、何故か仲間がいるとでかい声で言ってしまうものだった。一人でいると絶対できないような事を、仲間がいると平気でしてしまう。ジャックさんは、まるで自分が囲み商法にあっているような、そういう気持ちになった。

「武史くんのような生徒をここに置いておくわけにはいきませんよね、あんな授業妨害をされちゃ、私たちも安心してこちらに子どもを預けられませんわ。」

と、一人の親がそういったため、母親たちは、そうだそうだと口々に言いあった。ジャックさんは、なんでこういう事をしなければならないんだろうと辛い時間をじっと耐えた。こういうことを、人間はしなければ行けないのである。ただ何も言えず、黙って耐えていなければならないときが。そういうときこそ、本当の南無阿弥陀仏が出てくるとある本に、描いてあるのであるが、ジャックさんは、そのような文句は何一つ出なかった。

「ちょっとまってください。」

と、彼のそばにいた、中年の男性が、こう切り出した。

「私達は、田沼さんの事を言っているようですが、今の世の中であれば、いつ、妻や夫をなくしてひとり親になる可能性は、私達にもいくらでもあります。自分には関係のないことだと思うかもしれないけど、災害などで命を落とすこともあり得るでしょう。そうしたら、皆さんは、今言ったような発言を果たしてできるでしょうか?学校というものはそれを教えるためにあるんじゃないかと私は思うんですがね。」

みんな、そのような話は嫌だという顔をして彼を見た。

「確かに、国籍も違っていたとか、そういうことであれば、多かれ少なかれちがいがありますよ。ですが、それだって、日本の生活に馴染めてくれば、少しづつ減っていくと思いますよ。それをできるようになるまで待って上げること。それも、また、私達に必要なことでもあるのでは?田沼さんだけを責めても仕方ありません。それは、誰でも起こりうることです。そこを考えて、もう少し発言を控えて貰えないでしょうか?」

この男性は、別に片親家庭というわけではなかった。だって、武史くんと同級生の息子さんもいる。ただ少し違うところは、長年不妊治療などをしていて、他のお母さんたちと、年が離れているところである。

「いかがでしょう。私達は、武史くんが、みんなと同じようになるまで、待っていてあげたらいかがでしょうか?」

母親たちは、あっけにとられたときの顔をしていた。でも、何人かの父親の中には、この男性の意見を最もだと思ってくれたようだ。ジャックさんは、ありがとうございます、と彼に頭を下げた。しかし、その男性は、いえいえ当たり前のことですよと言って、ジャックさんに謝らないでくれと言った。結局、保護者会はあと先生が要点を伝えてお開きになった。親たちが帰っていくさまを見ながら、ジャックさんは、先程の男性に、

「本当にすみません。なんでも、かばってくださって。」

と申し訳無さそうに言ったが、

「いいえ、みなさんもそのうちわかってくれると思いますから、お互いゆっくり待っていましょうね。」

と彼は言った。ジャックさんは、やっと今日が一番いい日だと思うことができたのであった。



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今日が一番いい日 増田朋美 @masubuchi4996

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