第2話
やはり、状況がよくわからない。
どうやら、アイザックが私に対して何か言ったらしい、ということはわかった。
壇上に立っている彼の満足げな表情を見る限り、そう推測できる。
壇上に立つ前に目が合った時、何か企んでいそうな顔をしていた。
おそらく、壇上に立った彼はその企みを実行すべく、私に対して何か言っていたのだろう。
まぁ、肝心の私は、それを全く聞いていなかったのだけれど……。
「あのぉ、もう一度初めから言ってもらえますか? 話を聞いていなかったので、状況がよくわからないのですが……」
私はアイザックに言った。
その途端、満足げだった彼の表情が、怒りの表情へと変わった。
どうやら、私のリアクションが、彼の期待していたものと違ったらしい。
「何度も言わせるな! お前との婚約を破棄すると言ったんだ!」
あぁ、婚約を破棄すると言っていたのかぁ。
こんにゃくを廃棄するというのは、私の勘違いだったらしい。
ニアミスだけれど、意味は全然違う。
それで私に注目が集まっていたのかぁ。
うん、納得、納得……。
……ええ!?
婚約破棄!?
意味が分からない。
どうして、そんなことになっているの?
経緯を聞いていなかったから、理由が分からない。
……ん?
ちょっと待って。
もう一つ問題がある。
こんにゃく廃棄が勘違いだったてことは、それってつまり……、こんにゃくは食べられないってことぉ!?
あ……、これはべつにどうでもいいか……。
婚約破棄に比べれば、些細な問題だ。
私は、ダイエット時にこれでもかというほど食べていたこんにゃくへの未練を断ち切り、アイザックに質問する。
「あのぉ、なんで、婚約破棄することになったのでしょうか? 別に婚約破棄はOKなのですが、理由くらい教えてもらえませんか? 話を聞いていなくてすいません」
「だから、何度も言わせるな!」
アイザックは苛立ちを抑えきれないようだ。
彼がドヤ顔で語っていたことを、私が全く聞いていなかったせいで、もう一度最初から説明しなければならないのだ。
彼には同情しかない。
話を聞いていなくて本当に申し訳ない。
彼はいらいらした様子で話を続ける。
「それは、お前がこのミランダ・ブルームのことを、以前から社交場でいじめていたからだ! そんな陰湿な女とは、結婚などできない!」
ミランダというのは、アイザックの隣にいる女性のことらしい。
えっと、あれって、彼の愛人ですよね。
ふむふむ、なるほど。
大体状況はわかった。
まったく、とんだ言いがかりである。
私はそんなことしていない。
どうやら、彼女と結婚するために私に難癖付けて、婚約破棄をしようと目論んでいるみたいだ。
でも、そんな大嘘、誰も信じないと思うけれど。
そう思っていたのだが……。
「おれも見たぞ、あの女がいじめをしているところを!」
「ああ、私も見た。あいつが楽しそうにいじめをしている姿を!」
ほかにも何人か、アイザックに同調する声をあげていた。
あらら……、なるほど、彼らはアイザックに買収されているのか。
周りの人たちも私に疑いの目を向け、ざわめき始める。
買収かぁ、私に罪をかぶせるために、ここまでやるとは……。
あぁ、笑える……。
何そのドヤ顔?
こんなことで、私を追い詰めた気でいるの?
正直、彼に対して怒りは沸いてこない。
むしろ、同情しているくらいである。
彼はここまで必死になって私を悪者にしようとしているのに、私は簡単に言い逃れができるのだから。
哀れなアイザック。
あなたに、引導を渡してあげるわ。
私はグラスを傾け、ワインを一気に喉の奥へ流し込む。
「社交場でいじめ? はっきり言います。私は、そんなことしていません!」
「こんなにも目撃者がいるんだぞ。言い逃れできると思っているのか?」
「そもそも、私には、彼女をいじめることは不可能なのです」
「不可能? 何を言っているんだ。こんなに目撃者がいるんだぞ!」
「いえ、不可能なんですよ。なぜなら、私は本日、社交界デビューしたばかりなんですよ! 以前から社交場でいじめていたなんて、ありえないのです!」
私のこの一言で、ざわついていた会場が、一気に静かになった。
「私がいじめていた現場を目撃したと発言した人が何人かいましたけれど、偽りの証言だったと正直に言えば、今なら見逃してあげますよ」
私のその言葉に対して……。
「あ、あぁ、酒で酔っていたから、あれは気のせいだったみたいだなぁ」
「そう言われてみれば、あれは見間違えだった気がしてきたよ」
アイザックに同調していた者たちが、次々と発言を取り下げていく。
買収して得た信頼など、所詮はその程度のものだ。
これで、彼の味方はいなくなった。
「い、いや、以前からというのは間違いだった。今日だ。今日いじめをしていたのだ!」
焦った表情で、まだ懲りずに私を悪者にしようとするアイザック。
やれやれ……、彼はどんどん墓穴を掘っている。
まるで、嘘を嘘で誤魔化す幼子のようだ。
「今日いじめていた? それこそ、ありえませんよ」
「な、なぜ、そう言い切れる?」
「なぜなら、今日この会場に入ってから、私は豪華なボッチ飯を堪能していただけで、誰とも関わらず、誰とも言葉を交わしていないからです!」
私はドヤ顔で言い放った。
少しだけ悲しいと思うのは、私だけでしょうか……。
「だ、誰とも言葉を交わしていないだと!? せっかく社交場に来ているのに、誰とも関わらず、一人で飯を貪り食っていたというのか!?」
おいやめろ。
改めて声に出して確認されると、恥ずかしいじゃないか。
「ええ、それは、私の周りにいた人たちが、証明してくれますよ」
私は周囲の人たちに視線を送る。
「あ、ああ、私も見ていたよ。彼女は誰とも話していなかった。暗い子だなぁと思って、印象に残っていたんだ」
「そうだ。一人寂しく食事をしていただけだったよ。どうやら一人で食事をすることに、慣れているようだった」
「私は話しかけようとしたんだが、どうも『話しかけないでください』というオーラが出ていたから……」
「彼女が口を動かしていたのは、食べる時だけだった。決して会話などしていなかったよ」
周囲の人たちは、私の味方をしてくれた。
ちょくちょく精神的ダメージを与えてくるけれど、まあ、悪気はないのだろう。
味方してくれたことに免じて許してあげよう。
「どうです? これでもまだ、私がいじめをしていたというのですか? 社交界デビューにビビっていた私が、誰かをいじめるなんて、ありえないのですよ!」
私の言葉に、アイザックはたじろいでいた。
何か、必死に言い訳を探しているに違いない。
ぷぷー、無様ですねぇ。
さっきまでのドヤ顔はどこに言ったんですかぁ?
さらにダメ押しをするように、私の周囲の人たちが声をあげる。
「そうだ、彼女の言う通りだ! 彼女がいじめられていたというならまだしも、いじめていたなんて、到底信じられない!」
「おお、そうだ! こんなに暗い子が、誰かをいじめるなんて勇気があるはずがないだろう!」
「嘘をついてまでを追い込もうとするとは、なんて奴だ! ショックで彼女がこれ以上暗くなったらどうするんだ!」
私の味方をしてくれる人たちが、アイザックに非難の声をあげ始めた。
……皆さん、本当に私の味方ですよね?
悪気のない言葉が私の精神を削ってくるけれど、一応味方なので寛大な心で見逃してあげよう。
「く……、くそっ! こんなはずじゃなかったのに……。陰キャの癖に調子に乗りやがって!」
アイザックは思い通りに事が運ばず、自分の立場が危ぶまれていることに苛立っていた。
あれ?
今、陰キャって言った?
私のことを陰キャって言ったのかぁ!?
「残念でしたねぇ、アイザック。私を悪者にするはずが、自分が悪者になるなんて。今どんな気持ちですかぁ? 悔しいですかぁ? 悔しいですよねぇ?」
陰キャ呼ばわりされて怒り狂った私は、とりあえずアイザックを煽りまくった。
あとから考えてみると、この時の私は冷静ではなかった。
やり過ぎだったと、そこそこ、ほんのちょっぴり、小指の爪ほどには反省している。
「ふ、ふざけやがって! 許さないぞ! 二度とそんな生意気な口がきけないようにしてやる!」
煽り耐性のないアイザックは壇上から飛び降り、私に向かって一直線に走ってきた。
彼はテーブルの上にあったナイフを手に取り、私の目の前でそれを振り上げる。
もうだめかと思ったその時、騒ぎを聞きつけた警備の者たちがやってきて、アイザックを取り押さえた。
「残念でしたねぇ、アイザック。私はまだまだ生意気な口がきけますけどぉ? あなたの行動、何もかも失敗に終わっていますねぇ」
取り押さえられ、地面にひれ伏すアイザックを、さらに煽る私。
このあたりで、ようやく私の怒りも収まってきた。
いろいろとあったけれど、とにかくこれで一応の決着はついた。
アイザックの計画は失敗に終わり、私の完全勝利でこの騒動の幕は閉じた。
しかし、この時の騒動があの事件の引き金になることを、この時の私はまだ知らなかったのだった……。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます