8月 あとのまつりさ、灰かぶり


 今日は夏休みの演劇部活動日だ。

 夏の大会ももうすぐということで、今回は最終調整となる。裏方で照明をする私だって気は抜けないのだ。

 しかし肩の力が入った私をたしなめるように、体育館の舞台前に立って本日の予定を説明していた演劇部部長が全体に声かけをする。


「ーーというのが今日の予定だ。まぁ、いつも通りにな。調整の今日に力込め過ぎて本番に力が入らなくなるのも困るだろ。メリハリを大事にな。じゃ、今日は全員でグラウンド五周からな。行くぞ~」


 緩く腕を上げながら体育館の外に出ていく部長の背中に、お~とこれまた緩い返事をする先輩達がぞろぞろとついていく。

 なんだか拍子抜けしてしまって、はぁーと無意識に深く息を吐いてしまった。思ったより緊張していたみたいだ。同じように隣でも長いため息が吐かれる。……あれ、ため息もあくびみたいにうつるんだっけ?

 横を見ると、自慢の輝く金髪をポニーテールにしたサルシス君と目があった。


「やっぱり先輩達はすごいよね。ボク達の緊張なんてお見通しで、あんな風にさらっと和らげてくれる。あんな風に早くなりたいね!」

「うん。やっぱり、そうだよね!」


 目をきらきらと輝かせて夢を語るような口振りのサルシス君に、今度はその熱意が私にうつってくる。大きく頷いて賛同すると、サルシス君もうんうんと首を振って、しばらくお互い頷き合う時間をつくってしまった。


「おーい、お前ら。早くグラウンドに出るぞー、他の奴らに置いていかれるぞ」


 演劇部の先輩に声をかけられて、私達二人は慌ててグラウンドへと飛び出した。夏の日差しが容赦なく照っている。暑いというより、日光が痛いという感じだ。

 既に走り出している他の部員の人たちの後ろにくっついて、私とサルシス君も走り出す。

 グラウンド五周くらい軽いと思っていたけど、なかなかきついなぁ。夏休みに入ってから、基礎トレーニングを疎かにしてたし……。横を見ると、サルシス君は暑そうにしながらも軽い足取りで走っている。


「サルシス君、夏休み中もちゃんとトレーニングしてた? 私、久しぶりだから結構きついかも」

「そうだね。朝のジョギングは欠かさないようにしてるよ。でも、五津木くんも入部当初より体力がついたんじゃないかな。この間学くんが、すごい勢いで君が追いかけてきたって――」

「え、下前君?」


 私が下前君を追いかけた時ってあったっけ? しかもすごい勢いで? 一瞬、それらしいものが思いつかなかったけど、かわいらしい浴衣の後ろ姿がふと頭の中に浮かんだ。あ、もしかして……。


「お祭りのときのこと、下前君はサルシス君に話したんだね」

「うん。……ボクが言うのもおかしいかもしれないけど、学くんのことありがとう」

「ええっと、どういたしまして?」


 サルシス君にお礼を言われてしまった。内容が内容なだけに内緒話みたいになるのは当然なんだけど、いつになく静かな彼の声色に、ちょっと驚いてしまった。

 でも、そんなお礼を言われるようなことしたかな。追い立て漁がごとく追い回しただけだし。……結局、下前君のお兄さんには何も言えなかったし。そんな事情も、サルシス君は知っているのかしら。

 隣で走るサルシス君はいつものサルシス君で、その横顔からはなにもわからなかった。私が口を開きかけた時、私とサルシス君は後ろからドンっと衝撃を受けた。驚いて二人して振り返るとそこにはクマ先輩――の頭部だけがあった。首から下はシャツを着た人間の姿をしている。


「どうしたどうした、一年生! こんな列の後ろになっちゃって! バテたのか? 今日は暑いもんなぁ! だけど、そんな時には頼れるエンクマ先輩がいるぞ! 疲れたのなら背中を押しながら走るぞ!」


 ぶんぶんと人間の腕を元気よく振り回すと同時に、頭部のクマの頭がぐらぐら揺れる。まぁ、確かにこんな暑さの中で着ぐるみで走るなんてできないもんね。……いや、でもそれなら頭のクマ先輩も取り外しするべきなんじゃあ? 体育祭の時の部活対抗リレーの時はパフォーマンスだったから、頭のクマ先輩も必要だったけど。


「クマ先輩……頭をどうにかしようと思わなかったんですか?」

「おおっと。その言い方は俺の脳みそがやばいみたいに聞こえちゃうぞ! まぁ、俺も演劇部のマスコットという役割を担っているからな。部活中はできるだけエンクマであろうという、俺なりの演劇魂だ」

「おお……」


 エンクマ先輩が珍しく、演劇部の先輩らしい格好いいことを言っている……。思わず感嘆の声を上げてしまった。それからハッと気づいて隣のサルシス君の顔色を確認した。

 あ、あいかわらずの無表情。

 いつもは表情でもくるくる踊るように感情を表現するサルシス君が無表情。もはやいつものことになってしまったけど、あまりの変わりように毎回どきりとしてしまう。それでも、クマ先輩はめげずに話しかけるんだけどね。すごいなぁ。


「どうしたどうした、冴えない顔だなぁサルシス! よしよし! 俺が背中を押してやろう!」

「やめてください」

「なんだよぅ、押させろよぉ。先輩面させてくれよぉ」

「やめてください。……貴方に押されるぐらいなら、ボクが貴方を押して走ります」

「おっと、言ったな! だが、残念だったな! それは俺の役目だ!」

「だから、やめてくださいと何度も言っているんですが!」


 背中を押すだの押さないだの、妙な言い争いになってしまった。ついにはどちらがどちらの背後に立つかの勝負になっていて、ぐるぐると円を描くような追いかけっこになってしまっている。

 こんなに暑いのによくあんな風に動けるなぁ、なんて考えながら私は距離ととりつつ普通に校庭のトラックを走る。……でもあんな風に競争できるぐらい、サルシス君もクマ先輩との距離が縮まったのかな。

 二人の子供みたいな争いにちょっとホッとしたけれど、その後部長に「ちゃんと走れ」と二人とも怒られてしまっていた。




 グラウンドでのランニングを終えてから、事前に決められた班での細かな調整と練習が始まった。サルシス君は登壇する役者のグループ、私は裏方の照明グループだ。ちなみにエンクマ先輩は裏方の演出グループだ。


「そろそろお昼休憩に入るぞ! 一時間後にまた、舞台前に集合してくれ!」


 部長からの声かけでお昼休憩になった。午後からは全体を通すリハーサルになる。いまのうちに英気を養っておかないと……。

 家から持参してきたカツサンドを昼食に、自動販売機で買ったリンゴジュースで喉を潤す。もしゃもしゃ足りなくなった栄養を補給していると、演劇部の先輩の一人が私の方に近づいてきた。


「ねぇ五津木さん、サルシス君見なかった? ちょっと全体の立ち位置のことで話したいことがあるんだけど」

「見てないです。……いないんですか、サルシス君?」

「そうなの。いつもなら探さなくても、すぐに目に入るんだけどねぇ。体育館はもう見まわったし、どこに行ったのかな。飲み物でも買いに行ったのかもね」


 サルシス君を見かけたら探していたことを伝えて、と先輩は去っていった。

 ごくりと口の中に残っていたカツサンドを呑み込んで、私はちょっとだけ嫌な予感を覚える。思い出したのは、6月くらいに立ち入り禁止の屋上へと侵入したサルシス君のことだ。

 また、あそこに行ったわけじゃないよね……?

 確かめるだけ、と思って私は屋上へと足を向けた。夏休みだから本校舎に人はほとんどいなくて、陰になっている屋上への階段は夏だというのに涼しい感じがする。階段を上りきって屋上の扉に手をかける。本来なら鍵がかかっているはずなのに、扉はきしんだ音をたてながらすんなりと開いてしまった。

 ――そこにサルシス君はいなかった。けれど、心がひやりと冷たくなるような黒い瞳と目が合った。


「なんだ、後輩。性懲りもなくまた来たのか?」

「……ヒヨリ先輩、またおいでって前に言ってませんでしたっけ?」


 会ったのは夏休みが始まる前の一度だけ。けれど一度見たら忘れないぐらい恐ろしいような魅力を持っている。

 私の記憶の中の姿と変わらず、ヒヨリ先輩は歪なくせに美しい笑みを浮かべてこちらを馬鹿にしていた。屋上の床に座り込んでいるからこちらを見上げているはずなのに、なぜか見下ろされているように思えてしまう。


「俺みたいなやつの言葉をそのまま信じたのか? たださえクソみたいに太陽が照っているんだ。これ以上俺の気分を害してくれるなよ」


 帰れ、とでも言うようにしっしっと手を振るヒヨリ先輩。

 こっちだってサルシス君を探しに来ただけであってヒヨリ先輩に会いにきたわけじゃない。帰ったっていい、わけだけどなんだかイラっとして正反対の行動に出る。ヒヨリ先輩のすぐ横にまでいって、そのままアスファルトに腰を下ろした。

 隣に並んだ私に、ヒヨリ先輩が眉間にしわを寄せて心底意味が分からないという顔をする。


「どうした暑さで気が狂ったか? それともはっきりと言葉にしないとわからないか、ひよっこ後輩」

「だって、先輩みたいなやつのことをそのまま信じちゃいけないんでしょう? じゃあ帰って欲しそうな素振りを見せたヒヨリ先輩は、逆に私にここにいて欲しいってわけです」

「……めんどくさい」


 ぼそっと低い声でつぶやいたかと思うと、ヒヨリ先輩は音もなくフェンスに背中をもたれかけた。その横顔は汗一つかいていなくて涼しげに見える。

 それにしても、夏休みだっていうのに先輩はなんで学校にいるんだろう。不良っぽいのに。


「先輩、実は学校大好きなんですか? 夏休みにまで屋上に来てるなんて」

「はぁ? ……そういうお前はどうなんだ」

「私は部活ですよ。演劇部なんです、今年はシンデレラをやるんですよ。文化祭でもやるんでぜひ見に来てください」

「シンデレラ? ……ああ、最後にはこの世からシンデレラが消えてハッピーエンドってやつな」

「先輩、どこの世界のシンデレラですか、それ? ひねくれ者の世界ではそういうお話なんですか?」


 「この世からシンデレラが消えてハッピーエンド」なんて意味不明なことを言われて、思わず非難の声を上げてしまう。演劇部で練習していくうちに、題材にも愛着を持っていくのだ。シンデレラという作品のことを悪いように言われてしまうと、ムッとしてしまう。

 そんな私に、今日ようやくヒヨリ先輩が楽しそうな顔をした。


「本当のことだろう? 「シンデレラ」は「灰かぶり」という意味のあだ名だ。つまり義姉達に働かされて灰まみれになっている奴のためのもの。王子様と結婚して灰にまみれる必要がなくなったのなら、「シンデレラ」はこの世から消えるだろうが」

「そう言われれば、確かにそうですけど。そういうひねくれた言い方だと勘違いします」


 言いたいことはわからないでもない。

 つまり不幸な「シンデレラ」は幸せになったのだから、「シンデレラ」じゃなくなってしまったのだ。良いことのはず……なんだけど、なぜかしっくりこない。童話に触れていくうちに、「シンデレラ」っていう名前に愛着を持っちゃったからかな。


「まぁ、惜しいことをしたな元「灰かぶり」は。主人公は「灰かぶり」って名前を売っぱらって最高の地位を手に入れたーーはずが、ただの平凡なつまらない人間に成り下がった!」


 心底愉快だ、とヒヨリ先輩は喉を鳴らして満足そうだ。……この人、本当にひねくれてるんだ。シンデレラは王子様と結ばれて幸せにーーなったはずだよね? ヒヨリ先輩のせいで不安になってきた。


「王子様と結婚したんですよ。女の子みんなが一度は見る夢じゃないですか」

「憧れのシンデレラストーリー、という奴か。ほらみろ、結局お前らは「シンデレラ」のお話が好みなんだろ。本当の少女の名前は少しも世の中に広まらない。灰かぶりじゃない主人公は世の中に埋没する!」

「ま、埋没したっていいじゃないですか。王子様と結ばれて幸せなんですから。先輩だってハッピーエンドって言ってたじゃないですか」

「それが誰にとってのハッピーエンドかは知らないけどな」


 ふんと鼻で笑うヒヨリ先輩。

 ただのひねくれた解釈、という風にヒヨリ先輩は思わせてくれない。それこそが真実であるというようにもっともらしく、だけどどうでも良い暇潰しという様子で語る。


「灰かぶりの名を冠する物語は、古くから語り継がれて愛されてきたんだ。「シンデレラ」の名前のままだったら、主人公は永遠の命ぐらい手にいれてたかもしれないな」

「急にシンデレラが幻想の生き物じみてきましたね……。先輩も「シンデレラ」好きなんですか?」

「まぁ、ネズミやトカゲを捕まえてこれるぐらい剛胆な灰かぶりの方が好感は持てるな。……王子様と結婚したら、そんなことできないだろ」

「そんなことしたら、王子様には引かれるかもしれないですね……」


 演劇部で舞台をする前から、「シンデレラ」という名前には親しみを持っている。だから突然、主人公は「ジャンヌ」なんて言われても受け入れられないかもしれない。

 ……それって、「灰かぶり」じゃない主人公には興味が無くなってしまうっていうことのなのかな。

 考え込み過ぎたせいか、頭がふらふらしてきた。そういえば、今って何時だったっけ?


「うそ! もう休憩終わっちゃう! 私、戻りますね!」

「なんだ、暇潰しはもう終わりか。もう少し後輩のおしゃべりに付き合ってやってもいいんだぞ?」


 急いで戻らないとっていう時に限ってヒヨリ先輩は引き留めるみたいな素振りを見せる。その口元はゆるうりと楽しげに引き伸ばされている。本当に、この人はひねくれているわ!


「しょうがないからまた来てあげます! それじゃあ!」

「次は、もう少し楽しませろよ」


 ヒヨリ先輩の言葉を背後に聞きつつ、慌てて屋上の階段をかけ下りる。休憩時間はあと八分だ。

 息も絶え絶えに体育館に着いたら、最初に探していたはずのサルシス君が不思議そうな顔をして迎えてくれた。


「やぁ、五津木くん、どこに行っていたんだい?」

「ちょ、ちょっとね! サルシス君こそ、休憩時間はどこに行っていたの? 先輩が探していたよ」

「家庭科室で、衣装の最終調整をしていたんだよ! これでリハーサルも本番もバッチリさ! ボクの輝きも増しているだろう!」


 くるりとその場で一回転して衣装を見せてくれるサルシス君。胸に手を当てて深呼吸しながら、私は似合っているよと声をかける。

 そこで先輩達が集合の号令をかけてきた。

 ……もうすぐ本番なのに、いまさら「シンデレラ」の見方が変わってしまいそう。ヒヨリ先輩のせいだ。




 ーー




 数日後。

 演劇の大会で、私たちは「優秀賞」だった。「最優秀賞」にはわずかに届かない。

 来年こそは必ず、とサルシス君と誓いあった。

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