6月 なんと利口なサンドリヨン


 シンデレラの劇をするといっても、そのまま物語を演じても面白くない。細かな台詞回しや人物設定にオリジナリティを上手く付け加えられれば、もっと魅力的になるのだそうだ。


「ボクは題材の提案者としてちょっとだけ口出しをさせてもらったからね。自分の役に、設定を付け足して貰ったのさ」


 演劇部の練習に使う第三体育館で、床に座って柔軟体操をしていたサルシス君がこっそり教えてくれた。そのサルシス君の背中を押して前屈を手伝っていた私は、一旦手を止めて後ろから顔を覗き込む。


「サルシス君のやる伝令役って、台詞は確か二つしかなかったよね。台詞を増やしてもらったの?」


 伝令役の台詞は二つだけ。

「お城からの招待状を持って参りました」

「舞踏会が開かれます。淑女の皆々様は美しくあられてお越しください」

 ここからさらに台詞を付け加えてもらったのだろうか、と思ったけれどサルシス君は首を横に振って否定した。


「ううん、設定だけさ。伝令役がシンデレラのことを下女だと思って、恋をしてしまうという設定だけ。台詞も出番も増えないよ」

「台詞も出番も増えないなら、設定を付け加えても意味が無いんじゃないの?」

「そんなことないさ!」


 サルシス君はすくっと立ち上がったかと思うと、いまだ腰を屈めたままの状態の私の前にそろりと手を差し出した。少し戸惑いがちな動きで。


「お手を、どうぞ」


 途中から言葉はなぜか萎んでいって、消え入りそうになっている。しかし手はずっと私の前に、所在無さげにこちらへ向けられている。その手をとると力強く引っ張りあげられて、パッと光るようにサルシス君が笑った。


「こんな風に、ね。設定一つで、台詞の仕方も、手の差し出し方も、呼吸の一つだって変わると思うのさ。……自分ではどういう設定をつくればいいのか分からなかったから先輩に相談したんだけどね。でもこうやって設定を考えることで、ボクは演技をしやすくなったと思うよ!」

「そうだったんだ。脇役がお姫様に恋をしてるっていう設定はよくあるけど、あれば確かに演じやすくなるかも」

「うん。ボクも最初は設定をあれこれ考えたんだけどね。先輩達が、最初は単純な方がいいって。設定を細かくしすぎるとガチガチに固まっちゃう可能性があるって言ってたよ! さすがだよねぇ!」


 ふふん、となぜかサルシス君が得意げになっている。

 その青い瞳には先輩達への尊敬の念で輝いている。それが先輩達にもよくわかるのか、彼はとてもかわいがられている。よく最後まで居残って演技指導もしてもらっているみたいだ。

 柔軟体操を一通り終えたサルシス君は、鞄から劇の台本を取り出して開いた。そこには自分の出る場面ばかりでなく、他の場面にもびっしりと書き込みがある。


「伝令役を演じているからというわけでも無いけど、シンデレラを魅力的に思うのはボクにもわかるな」

「サルシス君って、シンデレラみたいな子が好きなの? 真面目で働き者で優しくて」

「ああ、そこじゃないよ! 彼女の賢いところが好きなのさ」

「賢いところ……あったっけ?」


 父の再婚によってできた義母や義姉たちに下女のように扱われるシンデレラ。優しい妖精に手助けされて、お城の舞踏会で王子様と恋に落ちる。いろいろと困難がありつつ、最後には王子様に見つけてもらえてハッピーエンド。

 この物語からは、虐げられても負けずに美しい心を持つ健気な少女という感想しか私は持たなかった。べつに自分の知恵でお城まで行ったわけじゃないし。

 答えのわからない私に、サルシス君の答えが教えられる。


「たとえうまく城に行けたとしてもね、無作法だったり、下品な口調だったり、踊りが下手だったりしたら王子様の目には止まらなかったと思うのさ。シンデレラはただ義母達の命令に従ったわけじゃなくて、自分の魅力を守る努力を怠らなかったんだよ」

「だから賢いの?」

「そうだね。だって彼女は自分の価値をよく知っていたのだから! 自分の居場所は灰にまみれたかまどの前でなく、きらびやかな輝かしい天上の世界だと理解していたのさ! それは誰にだってできることじゃないよ。命令されたようにいることが、一番楽なのだからね!」

「確かに。一生義母達の言いなりだと諦めていたら、努力はできないね」


 つまり自分の魅力をよくわかっていたシンデレラの賢さが、サルシス君にとっては魅力的であると……。なるほど、けっこう深いかもしれない。現代の女の子にもこれは当てはまるのかも? つまり女の子は流行ばかり追いかけるのでなく、自分に一番似合うメイクやファッションをしなさいということかしら?


「絶望するわけもなくて、けれど自分をかえりみない家族に期待する訳でもなくて、自分から希望を見つけてこられるのは素晴らしいことだよね!」

「行動あるのみ、ってことかな」

「そうだね! だからボクも何度でも練習しなくちゃね! 五津木くん、練習に付き合ってくれるかい?」

「いいよ」


 それから全体練習が始まるまで、私はサルシス君の練習に付き合った。端役だからあんまり目立たずに、けれど魅力的な演技にするのはなかなか難しい……。




 演劇部の練習が終わる頃には太陽は沈みかけていた。この間まではすっかり暗くなっていたぐらいだったのに、夏が近づいて来ているせいか日が延びているみたい。


「五津木くん、送らなくても大丈夫かい?」

「大丈夫! まだ明るいし、家まで自転車であっという間だから」


 以前に、サルシス君には家の近くまで送ってもらったことがある。自転車だし心配いらないと言ったんだけど、夜遅くて危ないからと押しきられてしまったのだ。流石に今日も送ってもらうのは申し訳ない。

 手を振って別れると、自転車置き場まで小走りで向かった。鍵を差して自転車を引き出したところで、視線を感じて顔を上げた。そこには自転車を抱えた啓太先輩が立っている。


「啓太先輩! 今、帰りですか?」

「うん、そうだよ。ボブ子さんの演劇部もこの時間に終わるんだね」


 啓太先輩と並ぶと、自然な流れで一緒に帰ることになった。自転車を押しながら、歩いて校門を出る。

 今日はどんなことをしていたのと聞かれて、私はサルシス君に教えてもらったシンデレラの話をした。うんうんと相槌を打ちながらにこにこ笑ってくれる啓太先輩は、シンデレラの賢さの話になるとちょっと考えるような顔になった。


「啓太先輩も、こういうシンデレラの事を魅力的に思いますか?」

「うーん……自分の価値を知っている女の子を魅力的に思うかどうかについてはなんとも。僕が好きだと思う女の子は一人だけだからね。でも、そうだな、共感はするかもしれない」

「共感ですか、シンデレラに?」

「そうだよ」


 啓太先輩がシンデレラに共感すること? 諦めないで努力するところとか? 実際にそう聞いてみると、ふふっと笑いながらやんわり違うよと否定された。


「自分の一番大切なもの以外を切り捨てられるところ。自分の優先するべきものがわかっているところだよ」

「切り捨てて、ましたっけ?」

「だって彼女、義母や義姉だけじゃなくて、実父すら捨てて王子様の元へ向かったじゃないか」


 シンデレラの実父。シンデレラは民間伝承だからいろんなパターンがあるけれど、演劇部が基にしたペロー童話では父親は存命だ。そして義母の言いなりになっている。

 ……でも王子様の元に向かった事が、家族を切り捨てることになるのかな。


「切り捨てた、という程では無い気がしますけど」

「そうかな。灰まみれのみすぼらしい姿で、シンデレラは靴を履いたんでしょう? そんな姿なら何も言わなくても、屋敷で何が行われたかはわかる。シンデレラを好きな王子様が、それを許すかな」

「許せない、かも。……でも、シンデレラは他に服がなかったですし」

「でも、その後シンデレラの家族は、王家の人間に嫌われて今後肩身が狭くなるんだよ。それを賢いシンデレラが気づかないものかな。無理にでも姉のドレスを身にまとっていれば良かったのに」

「そう、なのかな」

「あくまで僕の個人的な意見だよ。もしかしたら違う思惑があったのかもしれないね」


 先輩の言葉を聞いていると、シンデレラのことがよくわからなくなってきた。……いじめられていたんだから、シンデレラが家族を切り捨てたって仕方が無いのかもしれない。でもそんなことを、"あの"シンデレラがするのかな。物語のお姫様は、いつだって心優しくて悪人にすら許しを与えてしまうのだと思っていたから。


「お姫様って、何なんでしょうか?」

「うーん。きっと肩書で考えるから、こんがらがっちゃうんだね。王子様は魔女を剣で刺したら英雄だ。けれど、お姫様がナイフで魔女を刺してはいけないんだ、だってお姫様だからね」

「確かにそういう童話は少ない気がします。……そういえば人魚姫も、結局ナイフを使いませんでした」

「物語はどうしても肩書に縛られちゃうからね。王子様は最後に突然現れてお姫様と結ばれても許されるけど、平民は様々な試練や困難を乗り越えないと結ばれない」


 確かに『白雪姫』なんかは最後に突然現れた王子様がキスをして、お姫様が目を覚ます。それには何の違和感無いけど、これが森の狩人とかだったらどうして? と思うかもしれない。平民がお姫様と結ばれる物語といえば『長靴を履いた猫』とかがあるけど、あれもお姫様と結婚するまでいろんな手順を踏んでいる。


「そういう意味で、ボブ子さんのお友達が演じる伝令役が失恋するのは仕方がないのかもね。彼の肩書が伝令役である以上、お姫様と結ばれるには試練を乗り越えないといけないから。肩書に縛られているうちは結ばれない」

「そういう風に考えると面白いですね。……私達も学生っていう肩書に縛られているから、勉強をしないといけませんね」


 自分で言った言葉に自分で落ち込んでしまった。そう、勉強しないといけないのだ。なぜならもうすぐテストだから。最近部活に夢中になりすぎて、あんまり勉強ができていない気がする。

 は~とため息をついていると、啓太先輩が不思議そうにこちらを見ていた。……啓太先輩、勉強できそうだもんね。


「確かに僕たちは学生の肩書に縛られているけどね。でも僕は、ボブ子さんが「ボブ子さん」であるだけで充分だなぁ」

「えっと、そのままで良いってことですか?」

「うん。それで僕は、「ボブ子さんの隣にいる桂木啓太」になりたい。そのために必要などんな困難も試練も、ーー切り捨てることだってできるよ」


 啓太先輩はたまに、私のことをとても大層なものであるかのように言うことがある。言葉が大袈裟なだけで口調はあまり変わらないし、私に向ける笑顔も変わらない。冗談なのか違うのかわからないから、こういう時は落ち着かない。


「……私の隣って、そんなに難しいものじゃないと思いますよ。今だってこうして隣を歩いてるじゃないですか」

「うん。そうだね」


 何てことないというように啓太先輩が頷いて、私はちょっとホッとする。

 このまま何てことない日々が、続いていけばいいのに。

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