5月 あなたの願い
今日の演劇部の活動はシナリオの題材選び、という連絡がきていた。
上級生下級生関係なく、皆がやりたいと思う劇を提案するらしい。絶対に何かを提案しなくてはいけない、というわけでは無いらしいけど。でも、ちょっと自分でも探してみたいなぁと思って、昼休みに図書館まで探しにきたのだ。
うちの学校は図書"室"ではなく図書"館"となっている。全四階の大きな施設が部室棟とは正反対の位置に建てられている。この図書館の蔵書の多さも、わが校の目玉の一つとなっている。
ジャンルはSFでも現代でもファンタジーでもなんでもいいと先輩は言っていたけど……。なんとなく私は童話が置いてあるところに足が向いてしまった。
三階の奥の棚、そこには棚の前で白髪の彼を見つけた。やっぱり一枚の絵画のようなその姿に一瞬ためらったけれど、私は練絹君の隣に立った。
「こんにちは、練絹君」
「こんにちは、五津木さん」
赤い瞳をパチリと瞬かせて、練絹君はペコリと会釈した。その手に抱えられているのはやっぱり童話集だった。彼は開いていたページを静かに閉じると、私に向き直ってくれた。
「五津木さんも、童話を読みに来たのですか?」
「演劇部のシナリオに使える題材を探しに来たの。あ、そういえば……!」
私は持ってきていた肩下げ鞄の中から、借りていたものを取り出した。美しい装丁の『人魚姫』を差し出すと、練絹君も宝物に触れるような慎重な仕草で受け取った。
「五津木さんも読んでいただけましたか。この人魚姫について、五津木さんはどのように思われましたか?」
「アニメでは見たことがあったけど、原作はちゃんと読んだことがなかったから新鮮な気分だったよ。そうだなぁ、この物語を読んで私は……」
泡になって消えてしまった人魚姫。でも空に拾い上げられて、300年後には天国へいけるようになる。……それを人魚姫は一番に望んでいたのかな。
「恋をすると、消えてしまうんだなぁって思った。人魚姫も、すずの人形も。恋が
「儚い、ですか。むなしく消えるという意味ですね。では、恋とは意味の無いものだと物語では伝えられているのでしょうか?」
「うーん。自分で儚いと言っておいてあれだけど、でもそんな風には考えたくないわ」
恋、とはっきり呼べるようなものはしたことがないと思う。
だからなのか恋に憧れを持っているのだと思う。恋をすれば、私はきっと夢のような女の子になれると。
うまく言葉にできない私に、練絹君は首をかしげた。
「やはり難しいものです」
「そうだね。練絹君はどんな風に思った?」
「私は、声が、気になりました」
「声? 人魚姫の奪われてしまった声?」
人間になるために、人魚姫は美しい声を海の魔女に奪われてしまった。声、とは確かに人魚姫を象徴するものの一つであるように思う。
結局声が、返ってくることはなかった。
「魔女に奪われてしまった声は、人魚姫が空気に溶けてしまってもずっと海の底でずっと残されているのでしょうか。あのすずの兵隊の、心のように」
「そういえば、人魚姫の声がどうなったかは書かれてなかったね」
「人魚姫が消えても歌声が響くことはあるのでしょうか。もしも聞くことができるのなら、聞いてみたいと思います」
「練絹君って、音楽を聞くのが好きなの?」
人魚姫の声に耳をすますように練絹君は、そっとまぶたを閉じる。
その静かな横顔に問いかけると、しばらくの沈黙の後にゆっくりと彼は口を開いた。
「歌が聞きたいです。好き、なのかはわかりません。けれど、何度も聞きたいと望んで、もう一度と考えてしまいます」
「それってどんな歌なの?」
「題名は知りません。鳥の歌、だったと思います」
背後にあった窓へ、練絹君がするりと視線を流す。
雲間からかすかに漏れている日の光が、練絹君の白い髪を透かしてしまう。肌すらも白く溶けてしまいそうな彼は、そのまま空へ消えてしまいそうだった。
泡になってしまうだなんて馬鹿なことを考えた私の手は、結局何にも触れることはなかった。予鈴が鳴って、私の手が途中で止まったからだ。
「時間です。戻りましょう、五津木さん」
「……そうだね」
能面のような美しい顔が何事もなかったかのようにそう告げる。私も曖昧に頷いて、その背中を追った。
演劇部のシナリオに役立ちそうなものは、結局見つけられなかった。
ーー
放課後の部活動の時間。我が演劇部は紛糾していた。
いくつか出された案のうち、絞りこまれた三つの題材。シンデレラに、赤ずきん、それから長靴を履いた猫だった。
シンデレラを主張したサルシス君が席を立って、大逆転のハッピーエンドの面白さを語る。
「ボクはやはりシンデレラがいいと思います! 逆境に負けない美しさが素晴らしいからね!」
一方で、赤ずきんを推薦する副部長がいやいやと首を横に振る。そして逃れられない災難に巻き込まれる少女の無垢さと不幸のコントラストが良いのだと熱弁する。
「だから赤ずきんがいい! ギャップだよ、ギャップ萌え!」
さらにそこへ対抗するようにクマ先輩が、少し色褪せた生地の手を大きく広げる。クマは自分が、主役になりたいらしい。
「長靴を履いた猫ならぬ、長靴を履いたクマにしようぜ! 今年こそエンクマくんで学校にムーヴメントを巻き起こすんだ!」
三者それぞれのアピールポイントを聞いて、最後には多数決だ。
部長がホワイトボードに各題材の賛成人数を書いていく。そして最終的に選ばれたのはーー
「それでは今年の演劇部は、シンデレラを基に作品を演じることに決定しました。6月から本格練習に入るぞ!」
決まったのは、サルシス君が熱く主張していた『シンデレラ』だった。サルシス君は選ばれて嬉しそうに、白い頬を薔薇色に染めている。
「今年も良い作品を作ろう。とりあえず拍手!」
謎の拍手をして、今日の演劇部の活動は終了した。
シンデレラかぁ。私は舞台に立てるのかな? ……一年目だし、裏方になるかも。とりあえずがんばろう。
そう決意していると、いまだ興奮冷めやらぬサルシス君が話しかけてきた。下前君の尽力によってどうにかこうにか学ラン着用を許された時よりも、喜んでいるように見える。
「五津木くん、シンデレラに決まったよ! キミもシンデレラに賛同してくれたよね、ありがとう!」
「がんばる女の子がメインの話っておもしろそうだと思ったから。サルシス君、シナリオのお手伝いもするんだよね?」
「うん! こういうのは初めてだからドキドキするよ! ……舞台にも立ってみたいけど、初心者がそこまで求めるのは欲張りかな」
照れ笑いを浮かべ、ほっそり長い指で頬をかくサルシス君。当たり前のことなんだけど、その姿を見て彼が普通の高校生なんだと感じた。それと同時に、聞いた言葉に違和感を覚える。
いま、はじめてって言った?
「サルシス君って、演劇初心者なの? この部活に入る前から演劇をやっているものだとばかり……」
「中学の時は何にも所属していなかったよ。そういう活動に憧れはしていたけれど、日本語を勉強するので精一杯だったからね」
「日本語の勉強?」
妖精の国の花の蜜を集めて作った飴細工のように金に輝く髪と、誰もたどり着くことができない海の底のように混じりけの無い青い瞳。見ればすぐに異国の血を引いているとわかるサルシス君だけど、日本語がペラペラだから日本生まれの日本育ちと思ってた。
そんな風に浮かんだ疑問を、私が尋ねなくてもサルシス君は慣れたように答えてくれた。
「ボクはフランス生まれなんだ。小学校まではあっちにいたんだけど、小学6年生のときに家の事情で越してきたんだ。自分の名前を日本語で発音することさえ、初めは難しかったからね」
「そんな短期間で、こんなに話せるようになったんだ。すごいね」
「根気強く教えてくれた学くんが、すごかったんだろうね!」
自分はすごくないよ、と言うサルシス君の姿がとても意外に見えた。いつも立ち居振舞いや発言や学ラン問題とかを通して、彼は目立つことが好きだと思っていたから。だから自分でなく他の人がすごいのだと言うことが違和感になってしまった。
でも、そういえば美しさを主張することはあっても、サルシス君は自慢をしてはいなかった。
「……サルシス君、これから一緒にがんばろうね。困ったらいつでも相談してね」
「もちろんさ! 五津木くんも、困ったらいつでもボクに言ってくれて構わないよ!」
これから、もっとサルシス君のことを知っていこう。
そういう決意を込めて私から差し出した手を、一回り大きい手が思いの外優しく包んでくれた。
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