5月 Live イン 公園
5月の大型連休。この間の雨が嘘のような、行楽日和。
我が家にはどこにも行く予定がなかった。
私は別にそれでも良かったのだけれど、妹のセミがぶーたれてしまった。リビングのソファを寝転がって占拠しながら、ぶつぶつと文句を唱えている。
「どこかに行きたい行きたい行きたーい! べつに泊まり掛けじゃなくてもいいから! 遊園地とか動物園とか、行きたい! お姉ちゃんもお母さんたちに頼んでよ! そしたらオッケーしてくれるよ!」
「あんまり騒いだら、またお母さんに叱られるよ」
連休中ずっとこんな調子で、既に一度セミはお母さんから叱られてしまっている。ちなみ、お母さんはいま買い物に行っているし、お父さんは単身赴任中だ。
むくれたまま抗議を続けるセミに、私はしかたなく立ち上がった。
「引っ越してきてそれなりに経ったけど、この近所ってあんまり散策してないよね。ちょっと歩きにいこう」
「……ただの散歩じゃん」
「いま行くんなら、お姉ちゃんが瀬見子に好きなお菓子買ってあげるのになぁ」
「……ジュースもつけてね」
まだ不満そうな色を残していたけれど、セミはソファから立ち上がって出掛ける準備をし始めた。
家を出て二人で向かったのは、川をずっと下っていくルート。駅から反対の、公園がある方角だ。あまりこちらには来ることが無いので、ほとんど初めて見る風景ばかりだ。住宅街が近いからか人通りもそこまで多くなく、川の流れる音がさらさら聞こえる。
ふと隣を歩いていたセミが、私の手を握った。珍しいなとそのつむじを見下ろしていると妹はぽつりと呟いた。
「お姉ちゃんさ、この間、男の子と一緒に帰って来てたよね?」
「え」
顔を上げたセミの表情は、にやにやと面白がっているようだった。そっと視線を外した私を、逃がさないとばかり握った手をゆらゆら揺らす。
「この間、ちょーどお姉ちゃんが帰ってくる姿を見ちゃったんだよね~。お姉ちゃん、もう彼氏できたの?」
「彼氏とかいないから! ……まったく、セミはいつからそんなにませちゃったの?」
「小学生だってコイバナぐらいするでしょ、普通。……それで、結局どうなの?」
「どうって、そもそも誰のことなのか……」
「え、誰かわからないぐらいいろんな男の子と帰ってるの?」
勝手に想像して勝手に引いている妹の頭を、繋いでいるのとは反対の手で軽く小突いておいた。大袈裟に痛がるセミを無視しつつ、その目撃した男の子が誰なのか思い出してみる。
候補としては二人だけだ。演劇部の帰り道に途中まで一緒に帰ったサルシス君。もしくは偶然一緒に帰った啓太先輩だ。
「ねぇ、お姉ちゃん」
「なに?」
「一応言っておくけど、気を付けなよ。一目惚れがダメとか言うつもりはないけどさ、すぐに好意を見せてくる男ってなんか信用ならなくない? お姉ちゃんすぐに、そういうのに引っ掛かりそうだから」
「なにそれ。というか、妹に心配されるようなお姉ちゃんじゃありません~」
「……え~」
二人でじゃれあいながら歩いていると、公園の入り口にいつのまにかたどり着いていた。ペットの散歩に来ている人なども多く、移動型カートでジュースやアイスクリームを売っているところなどもあった。
舗装されたレンガ道を歩いていくと、大きな噴水が小さな虹を作っているのが見えた。周りにはベンチが設置されていて、散歩中のおじいちゃんおばあちゃん達が休憩している。私達も一休みしようかと空いている席を探していると、ギターを抱えた男の子と目が合った。
人工的な銀に髪を染めている男の子は、ニコッと愛想良く笑うと座っていたベンチからすくっと立ち上がって片手をあげた。そして大声で宣言する。
「リブ・イン・公園!」
何人が何事かという風に彼の方へと視線を向ける。しかしベンチに座っていたおじいちゃんおばあちゃん達は彼の姿を確認すると、にこにこ嬉しそうにその様子を見守っていた。
私もぽかんと彼を見つめていると、横のセミが腕を引っ張ってきた。そして無言で立ち去ろうというジェスチャーを送ってくる。
「リブ・イン・公園!」
さらにもう一度、男の子は声を挙げる。再びばっちりと私と目が合った男の子は、きらきらと期待するようにこちらの様子を伺っている。
いや、そんな目で見られても、何を期待されているのかわからない……。
リブってなに? Live? 私は公園に住んでいますっていうこと? あ、でも、この場合命令形? つまり、この公園に住めと言われている? 私に公園に住むことを期待しているの? ボーイスカウトの勧誘?
ぐるぐると知恵を絞って考えていると、男の子も不思議そうに首を傾げはじめた。そしてポンと手を叩く。
「ライブだよ、お姉さん! 俺さ、ここでいつもライブやってるんだよ。でもこの間の英語の授業で、ライブを英語できちんと発音するとリブだってわかったんだよ! 本場の発音って、かっこいいよな!」
そこでようやく男の子の言っている意味が理解できた、と同時に小学生のセミが心底呆れたという感じでため息をついていた。わが妹ながらよくぞここまで見下した顔をするなぁと感心しながら、一応高校受験を乗り越えた者として推定中学生に説明することにした。
「あのね、ライブもリブも同じ
「え、そうなの!」
ギターを抱えた男の子は驚いて固まってしまった。
教えてもよかったのかな? あんなに大声で間違ったことを宣言し続けてたなんて、恥ずかしいよね。でも、教えないと永遠に本人が気づかないままになるし……。
どうやって目の前の子を慰めるべきかを考えていると、ようやく硬直から回答され始めた男の子が輝くような瞳でこちらに向けてきた。
「お姉さん、すっげぇ! 頭いいんだなぁ! じゃあ、ライブ・イン・公園でいいんだな!」
「あ、うん」
すごい、この子。全然へこたれてない。というか、へこたれる気がない。
にこにこ嬉しそうに「ライブ、ライブ」と繰りかえして言う男の子に、なんだか微笑ましい気持ちにすらなってきた。セミが横でぽそりと、「お姉ちゃんが頭いいんじゃなくて、比較対象がおバカなだけじゃん」とこっそりこき下ろしていた。すぐに余計なことは言わせないように、「こら」と叱ってはおいたけど。
「ライブとリブは実は違うんだなぁ。今度、学校の先生にも教えよう!」
「いや、学校の先生は知ってると思うよ……」
「そうなんだ! 先生って頭よかったんだ。あ、でも、先生じゃないのに知っているお姉さんはもっとすごいのか!」
「え、違います」
この程度すごいとか言われてたら、もっと頭の良い人とかどうなることやら……。
ジャーンと急に抱えていたギターをかき鳴らした男の子は、とびっきりの笑顔をまき散らす。
「お礼に一曲歌うよ! 未来のミュージシャン、
大きく息を吸って歌い始めた彼の歌は――「とんでったバナナ」だった。
バナナがつるんととんでった~と歌う彼に合わせて、おじいちゃんおばあちゃん達が待っていましたとばかりに手拍子をしている。
こ、これが、ライブ・イン・公園……。
でも、耳にすぅっと届く綺麗な歌声だ。まるでどこかで聞いたことがあるような。それに本当に楽しそうに歌っている。それが皆に伝わって手拍子をする人はもれなく笑顔になっていてーー人を楽しませる歌っていうのはこういうものなんだと思わせる。
歌い終わると、わらわらと手拍子をしていた人たちがミニ
「……お姉ちゃん、私アイスクリーム食べたい」
「あ、うん。じゃあ、あっちに買いに行こうか」
腕を無理やり引いて行こうとするセミに引きずられて、私は一応翔君の方に会釈してからアイスクリーム屋の方へと向かった。
「また聞きに来てくれよな~!」
後ろから無邪気な声が追いかけてきて思わず笑ってしまって、セミにひどく胡乱な目を向けられてしまった。
「お姉ちゃん、もしかしてああいうのがタイプなの?」
「え、全然違うけど。でも、微笑ましくない?」
「え~、私はああいう人は苦手。っていうかお姉ちゃん、そんな風になんでもかんでも受け入れてたら変なのが寄ってきちゃうよ」
お姉さんぶって説教するセミは、私が買ってあげたソフトクリームを頬にべったりとくっつけて満足そうにしていた。ハンカチを持ってくるのを忘れていた私は、とりあえずクリームが白いひげを作っているとだけ指摘しておいた。
――
家に帰ってから、私は自分の部屋に戻って本を開いていた。練絹君から借りた『人魚姫』の話だ。
だらしなくベッドに寝ころびながらページをめくるけれど、なかなか読み進められない。ただ読むだけじゃなくて、考えながら読んでいるせいかもしれない。やっと最後のシーンまでたどり着いた後、ついついシーツに顔を埋めてしまった。それから慌てて顔を挙げて、ページがしわにならないように本を机の上に避難させる。
「この主人公も、最後消えちゃうのかぁ」
再びベッドに倒れこみながら、ぐるぐると練絹君とあの日話した意味を考えてみる。
『人魚姫』は、『すずの兵隊』と同じくアンデルセン童話だ。童話作家アンデルセンが執筆したものであり、結末が似通ってくるのは当然なのかもしれない。
この二つの終わりで、似ているところはどこだろう。人魚姫も恋をして、けれど叶わなくて泡になって消えてしまった。でも少し違うのは、人魚姫は完全に失恋しているように見えること。すずの兵隊は想いは叶わないようだったけど、両片思いみたいに思える。
「恋をすると、消えちゃうのかな」
でも、それがなぜなのかはわからない。
そして消えてしまったあとに残ってしまったものが何なのかもわからない。
すっかりお手上げになってしまった私は、潔く目をつぶって思考を放棄することにした。
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