4月 制服論争
それは朝、一年生の教室がある二階廊下に響いてきた。
ちょっと甲高い、男の子の声。
「いい加減にしたまえ! 君は大馬鹿者だ!」
登校中だった私は廊下で盛大に行われている喧嘩ーーというより一方的な説教に遭遇することになった。皆が注目を集めているけどそこまで深刻になってないのは、騒動をよく起こす二人組だからかもしれない。
いや、現在説教中の下前君としては、サルシス君の起こす騒ぎに巻き込まれているだけなのかもしれないけど……。それに今回は説教したくなる気持ちもよくわかる。
サルシス君は、昔ながらの学ランを着ていた。白い肌に光を集めたような金髪、そして人の心を捕らえてしまう青い瞳。全体的に淡い色で構成されているサルシス君には、黒の学ランがコントラストとなってよく似合っている。ーーしかし、うちの制服はブレザーなのだ。
「僕は友人としても、生徒会の一員としても、お前の行動を見逃すわけにはいかないぞ。こんなことをした理由を言ってみたまえ」
「学くん、見てわからないのかい?」
サルシス君が、肩より長い金髪を手でバサッと払いのける。ふわりと光が広がって、まるでそこだけスポットライトに照らされているみたいだ。腰に手をあてながら自信満々に胸を反らし、見せつけるように彼は笑った。
「ボクにすごく似合っているじゃないかっ!」
ただそれだけ。それだけなのに、彼は文句ないだろうと言いたげに、得意気だ。向かい合って歪みのない笑みを浴びせられた下前君はむっとしたように口をへの字にして説教の態勢を崩さない。
「この学校では、指定された制服の着用が決められているんだ! ちゃんと校則は守りたまえ!」
「でも、学ランの方がボクの輝きが増すじゃないか! 夜の方が星が輝いて見えるように、黒の学ランがボクの輝きを引き立てるのさ!」
「ああ、もう! お前こそ見てわからないのか! 僕は怒っているんだぞ!」
「え? じゃあ学くんは、ボクに学ランは似合わないと言うのかい?」
「それは……似合っているとは思うが。いや、話を反らさないでくれたまえ!」
一瞬サルシス君のペースに流されそうになった下前君が、ぶんぶんと頭を振って抵抗する。その様子に、サルシス君は真面目だねぇと楽しげに笑う。
いつまでも終わらなそうね、この問答。というより、下前君が遊ばれてしまっている感じもある。でも、困ったな。私は二人の横をすり抜けて自分の教室に行きたい。でも、この中を平然と通りすぎるのもちょっと……階段を下りて、違う階段からもう一回上がって行こうかな。
そうしてしまおうと決めた直後に、青い瞳と視線がぶつかってしまった。
「そうだ! 他の人の意見も取り入れよう!」
サルシス君はずんずんと私の目の前までやって来る。その後ろの下前君は、怪訝そうな表情をこちらに向けてくる。
「おはよう、五津木くん」
「……おはよう、サルシス君」
「今日は良い天気だね! こんな朝に、学ラン姿のボクは一層美しく見えるだろう!」
「はぁ」
思わずため息のような返事をしてしまったけれど、サルシス君はまったく気にした様子は無い。むしろ、ふふふと満足げに笑いをこぼしている。
「ボクの美しさにため息がもれてしまうみたいだね。やっぱりキミも、ボクに似合うのは学ランだと思うだろう? やっぱり、似合うものを着るべきだよね!」
「えぇっと、似合っているとは思うけど」
「ほら、学くん! 五津木くんも、ボクが制服を着ることに賛成だって!」
いや、賛成とまでは言ってない。
しかしサルシス君の喜ぶ姿は、否定の言葉を思わず戸惑ってしまう魔力がある。彼はその場でくるりと一回転すると、全身のスタイルを際立たせるようにポーズを決める。
「いや、お前の勢いに流されただけだろう……。すまないな、えっと、五津木さん?」
「あ、はい、五津木です。はじめまして」
「ご丁寧にどうも。僕は下前だ、下前学」
下前君は自己紹介をするとぺこりと頭を下げてお辞儀をする。その拍子にずるりと眼鏡がずれて落としてしまいそうになるのを慌てて手で押さえてから、彼は誤魔化すように勢いよくサルシス君の方へ振り返った。
「とにかくだ! お前の制服がいくら似合っていても、見逃せる問題ではない! 職員室についてきてもらうぞ!」
「そうだね! 先生たちにもぜひボクの姿を見てもらおう! それじゃあ五津木くん、また部活でね!」
「絡んでしまって悪かったな、五津木さん」
下前君は憮然とした表情でサルシス君を連れていこうとするけれど、肝心のサルシス君はシークレットサービスに先導される大スターみたいに周囲に手を振りながら去っていった。
……演劇部って、あれくらいできなきゃいけないのかな。そうなると、まだまだ私の登るべき坂は険しく長いわ。
あれは特別だろ~とツッコむクマ先輩の姿が私の頭の中にぽんと浮かんだ。
昼休み。
今日は良ちゃんやイトちゃんと一緒に食堂で食べることになった。うちの学校の食堂は本校舎最上階の五階にある。毎回階段を上るのは億劫だけれど、おいしいメニューばかりだからつい行きたくなっちゃうのだ。
今日は何のメニューを頼もうかと盛り上っていると、向かいからまだ学ランを着ているサルシス君が人目を集めながら悠々と歩いてきた。
「あれ、サルシス君。制服、先生からお咎め無しだったの?」
「やぁ、五津木くん。先生とは四時間ほど意見を闘わせていたのだけどね! 今日のところは根負けしてもらったよ!」
きらきら輝く笑顔を見せるサルシス君。
四時間ってことは、つまり午前の授業まるまる使ってたってことか……。
「そういえば、下前君は?」
「生徒会の資料に、過去の事例として制服以外を着用していたことがあるか探してくれているんだ! お前の熱意をどうにか合法にしてやるって。学くんはすごいよねぇ」
サルシス君が下前君を褒め称えるけれど、私の横でイトちゃんがこっそり首を横に振る。実際に隣のクラスの現場を見ていたイトちゃんいわく、下前君疲れきった顔をして「とりあえず過去の事例は探すが、熱意だけでは校則は曲げられないぞ」と言ったらしい。
「じゃあ、これからサルシス君も一人で食堂?」
「いいや! 折角だし、ボクは屋上で気分転換でもしようと思ってね!」
「屋上? あれ、屋上って立ち入り禁止じゃなかったっけ?」
確か入学式の日に、伊藤先生が口頭で注意していたはずだ。屋上は老朽化が進んでいるから立ち入り禁止だって。それに鍵がかかっていたはずだけど。
「でも、せっかく屋上があるのに、入れないなんて勿体ないだろう。職員室を出るときにせっかくだから鍵を借りていいですか、と聞いたら好きにしろって快く言ってくれたよ!」
チャリっと音をたててサルシス君が手のひらを開く。するとそこには、古いデザインの鍵が鈍く光っていた。
好きにしろっていうのは、全然快くは無いと思うけど。
「それじゃあね!」
「うん、じゃあ……」
軽やかに去っていくサルシス君の後ろ姿は、映画のワンシーンのように絵になっていた。
ーー
放課後。今日は特に部活動も無いので、まっすぐ帰ることにした。
玄関ホールを出てすぐのところで良ちゃん達とお別れして、私は自転車置場に向かう。自分の自転車のロックを外したところで、「ボブ子さん」と声をかけられた。
「啓太先輩。こんにちは」
「こんにちは、ボブ子さん。これから帰るのかな?」
そこには自転車を押している啓太先輩がいた。
啓太先輩とはたまに朝の通学路で一緒になることがなる。偶然だね、なんて嬉しそうに笑う先輩はいつも子供みたいだった。
「途中まで一緒に帰ってもいいかな?」
「いいですよ」
「ほんと? よかった。それじゃあ、行こうか」
特に帰りを急ぐでもなく、私達は自転車を押しながら歩いていくことにした。
道中で、啓太先輩は私の話ばかり聞いてくる。とても興味深そうにあれこれ聞いてくれるのは話をしていて楽しいけれど、いいのかな? 私が今日のお昼に何を食べたとか、どんな授業が好きとか、他人にはそんなに面白いことじゃないし。
「啓太先輩のことも聞いていいですか?」
「僕のこと? ボブ子さんが聞いてくれるの? いいよ、なんでも聞いて」
「そうですね……。啓太先輩ってルールは守る方ですか? それともルールを無視しちゃいますか?」
「それはまた不思議な質問だね」
「実は今日ーー」
朝から起きた、サルシス君と下前君の制服論争について話した。ふぅんと軽い相づちを打った啓太先輩は、そうだなぁと答えてくれた。
「基本的にはルールを守るよ。例えば校則なんかは、下手に無視しちゃうと先生からの説教が待ってるでしょ。僕は出来るだけ波風たたせずに、静かに暮らしたいから。それに、」
呼吸をするタイミングで言葉を切った啓太先輩は、私の目と目を合わせた。啓太先輩の目の色がどんなものなのかわかるぐらい。不意にゆるりと目を細めた啓太先輩は、言葉の続きを内緒事のようにささやく。
「約束事は大切だよ。それがどんなに人を縛って、拘束してしまうものでも。だって愛してるから、約束するんだもの」
ね、そうだよね。
ちょうど私達の別れる場所。川を渡る橋の前で立ち止まった啓太先輩は、いつもの笑顔を浮かべてひらりと手を振った。
「それじゃあ、ボブ子さん。またね」
「……はい、また」
いつものように私が去るまで見送ろうとする啓太先輩に、私は自転車にまたがってペダルを踏んだ。
ふわりと冷たい風が頬を撫でるなか、私の頭の中には啓太先輩の言葉が響いていた。
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