4月 ナンバー1
全科目を合わせた私の平均点は79点。
伊藤先生から返却された実力テストの結果を見ながら、私は喜ぶべきなのか悲しむべきなのか考えていた。
「テスト結果、人それぞれ良いも悪いもあったと思います。でも高校生活は始まったばかりですし、みんなまだまだ伸びる余地がありますよ。わからないことがあれば気軽に僕や他の先生に聞いてくださいね。それでは、朝のホームルームを終わります」
教卓前に立っていた伊藤先生が空になった茶封筒を手に、ペコリと頭を下げる。
この一週間で先生やクラスとも大分馴染めたように思う。伊藤先生は生徒にも丁寧でいつも穏やかだからすごく親しまれて、クラスの皆もタダちゃん先生やヨッシー先生なんて呼ぶ子もいるぐらい。
でも……。
窓際の席にちらりと見ると、練絹君がいつも通り一人だけの風景を作っていた。背筋が綺麗に伸びていてすらりと伸びた手足が、うまい具合に机と椅子に収まっている。魂をかけて精巧に作られた人形のようなその姿の周りには余計な人の姿は入りこまない。なぜなら、誰もが彼の空気を壊すことを畏れて近づこうとしないからだ。かくいう私も、部活見学の日以降は挨拶ぐらいしかしていない。
「ボブ子ちゃん」
「わっ、良ちゃん! どうしたの?」
練絹君をじっと観察していて、良ちゃんが近づいてきていたことに声をかけられるまで気づかなかった。そんな私を、良ちゃんが意味深な様子で笑う。……勘違い、されてるようなそうじゃないような。
「ねっ、職員室前に今回のテスト結果の順位が貼り出されてるんだって。見に行かない?」
「ええ……。見たい?」
「こういう結果発表って気になるんだもん。ね、行こう」
良ちゃんに連れられて、職員室前まで試験結果の順位表を見に行く。
でも、今時こういう順位を貼り出すなんて珍しいなぁ。最近は、個人にだけ結果を教えるところが多いんだけど。
順位結果発表の前にはそれなりに人が集まっていた。どうやら、順位は上位五十名のみを貼り出しているらしい。それじゃあ私の名前は載っていないな。
「あ」
「え、良ちゃんの名前載ってた?」
「ううん。私じゃなくて、一位のところの名前が……」
良ちゃんが言うテスト結果一位のところの名前を見ると、そこには「練絹八十」の文字が印字されていた。さすが新入生代表。
感嘆のため息をついたのと重なるように、誰かのため息が隣から漏れた。ちらりと目だけで横を見ると、そこには絶望しきった横顔があった。いつの日か、寝不足になってまで実力テストに望んでいた眼鏡の男の子。
「また、まただ……。また、1位になれなかった。時間が、時間が足りなかったのか? もっといっぱい、頑張らないと。……僕だから。僕は劣っているから、だから、人よりもずっと」
「学くん、次は体育だからそろそろ移動しないと! ボクは最近、休日にジョギングをしているんだ! フォームも研究しているからね! 美しくゴールを決めるボクを観賞して、存分に癒されておくれ!」
「あ、おい……押すな、本田! 廊下は走らないでくれたまえ!」
ぶつぶつと自分に呪いでもかけているかのような呟いていた眼鏡の子の背中を、急に現れた金髪の子が有無も言わさず押していく。嵐のような勢いで去っていく二人組を見送ってから、私もあること気づいて隣の良ちゃんの腕を引っ張って自教室に急いだ。
うちのクラスも次は体育の授業だ。
隣のクラスとの合同体育の時間。
今日は、短距離走のタイムを測るらしい。
「それではまず女子のグループからタイム測定をする。男子はその間、ストレッチでもしておけ」
体育の先生の指示に従って、女子のグループで列をつくる。順番はクラス混合の名前順で、私は隣のクラスの女の子の糸川さんと一緒に走ることになった。
すぐに順番が回ってきて、二人でほとんど同じくらいにのっそりゴール。あとは他の女子が走る姿を眺めるだけだ。暇なので糸川さんーーイトちゃんと、自然とおしゃべりすることになる。
「そっちのクラスって、あの新入生代表してた男の子がいるんでしょ? どんな子なの?」
「練絹君? そうだね、なんか、ミステリアスな感じ?」
「ああ、それっぽいね。すっごく綺麗だけど、綺麗すぎて近寄りがたい感じがする」
話題は、新入生代表挨拶で全校生徒に強烈な印象を与えた練絹君のことになった。イトちゃんが彼を近づきにくいと表現したことに、納得しながらもちょっと苦い気持ちにもなる。自分もうまく話せないくせに、それは違うと言いたくなってしまう。
「うちのクラスにも目立つ人がいるよ。でも、あの二人組は親しみやすい感じかな。ほら、あの二人」
ちょっと離れたところでしゃべったり、ふざけたり、真面目に柔軟体操をしている男子の列。イトちゃんが指差したのは、何度か見かけたことのある金髪の子の眼鏡の子の二人組だった。
「あの二人、隣のクラスだったのね」
「あ、顔は知ってた? 目立つもんね、あの二人。金髪の方が本田サルシス君で、眼鏡の方が
「へえ。あの二人も目立ってるよね」
本田サルシス君は、手足がすらりと伸びている遠目でもわかるモデル体型だ。運動の邪魔にならないように一つにまとめられたポニーテールは、彼が少し首を傾けるだけでもきらきら光る。しかしその輝きにも負けないぐらい、顔立ちは抜群に整っている。ちょっと笑っただけでも目が離せないぐらい魅力的で、特に青い瞳が宝石のように彼を彩っている。
下前学君の方は、男子にしては小柄だけれどバランスのとれた体躯をしている。大きめな眼鏡で隠されてはいるけど、口元や鼻筋だけ見ても彼の顔が綺麗ということがわかる。顔は小さくて、女子は下手に隣に並びたくないと思ってしまいそう。表情はつんとしたものだけれど、それでも不快感を人にまったく与えないのはきっと顔が良いからだろう。
ーーというのが、イトちゃんのクラスの評価らしい。
「まぁ、あの二人が目立っているのはそれだけが理由じゃないんだけどね」
「えっ、どういうこと」
「ああいうこと」
突然よく通る声が響いてきた。声の持ち主は話題になっていた本田サルシス君だ。胸に手を当てて、高らかに演説をし始める。
「タイムも大切だけれど、それは一番重要なものではないのさ! タイムではこの本田サルシスの美しさを測ることはできないのだからね! そしてたとえ、どんな単位ができたとしてもこのボクの美しさは測れない! なぜなら、ボクの美しさは無限に溢れているから!」
本田君の突然の決めポーズと宣言に、私や同じクラスの人達は思わずポカンとしてしまう。しかしイトちゃんたち隣のクラスの人達は最早慣れているような雰囲気だった。
「本田、もういいから! わかったから! 静かにしたまえ!」
しかし隣のクラスで一人だけ、下前学君が慌てたように立ち上がり、本田君を落ち着かせようと声を上げる。
……ずっと思ってたんだけど、あの下前君って口癖のように「~したまえ」って言ってるような気がする。名前がシタマエなだけに?
「あのシタマエ君って本名? あだな?」
そう聞くとブッとイトちゃんが笑いだしてしまった。やっぱり考えることは同じらしい。
「あはは! 本名だよ、言いたくなる気持ちもわかるけど」
「だって、あまりにも名が体を表しているから……わざと?」
「えー。下前君は、たぶんそんな器用じゃないと思うなぁ」
もし彼がわざとやってるんだとしたら、真面目に見えておもしろい子い顔だなぁ。ねらってなくてもおもしろいけど。騒ぎすぎて先生に叱られながらやり取りしている2人に思わず笑いながら観察してしまう。
叱られたサルシス君と下前君は、これ以上騒がないようにと男子グループで一番最初に走ることになったみたいだった。
声援に応えるように周囲に手を振る本田君と、うつむいて恥ずかしそうな顔をしている下前君。二人はスタートラインに立って、ピストルの合図で走り出した。
軽やかに駆けていったのは、本田君だった。まるでランニングシューズのCMのように美しいフォームで走っている。……あれ、隣にいるはずの下前君の姿が見えなーーいた。
スタートすぐあたりで、まるで陸に上がって水が足りなくなった河童のように倒れていた。いつのまに倒れていたのかわからない、百年も前からここにいるんだと言わんばかりに彼は倒れ伏したままぴくりとも動かなかった。
やっと下前君の状態に気づいた体育の先生が、慌てたように駆け寄っている。
「大丈夫か、下前! 気分でも悪いのか?」
「…………」
頭をわずかに上下させた下前君は、ようやくモゾモゾと手足を動かしはじめた。その姿も干からびかけたイモリみたいでーー彼はもしかしたら、干からびかけた生き物のモノマネが得意なのかもしれないわ。あ、でも、河童は生き物じゃないか。
既にゴールをしていた本田君も戻ってきて、トラックの途中で何かを拾った。
「学くん、キミの眼鏡は無事だよ! ほら、ボクが保護したからにはもう安心さ!」
「あ、ああ。ありがとう、本田」
「それにしてもいつのまに転んでいたんだい? 隣をふと見たら眼鏡だけがボクを追いかけてきたから、キミが透明人間にでもなったのかと思ったよ!」
「……励ますつもりがあるのなら、もう何も言わず放っておいてくれたまえ」
「そうかい? じゃあ……」
「眼鏡は放らないでくれたまえ!」
「え、だって、放ってと頼むものだから」
トラックから拾ったはず眼鏡を、下前君の手元めがけて無造作に本田君は放り投げてしまった。
自ら地面に飛び込むように身を伸ばした下前君は、ノーガードで顔から倒れていったけれども両手には奇跡的に眼鏡が収まっていた。
す、すごい。すごいわ、彼。なんという
「下前、走れる元気があるんなら、もう一回タイムを計るぞ~」
「……はい」
本田君と騒ぐ姿を見て先生も心配無いと思ったのか元の位置に戻っていく。ようやく眼鏡をかけ直した下前君はのろのろとスタート地点に立ち直し、走り出した。
結果。足が生えかけたオタマジャクシみたいな姿で下前君は測定を終えた。
「いつもあんな感じで騒いでいるのよね。あの二人って、中学から付き合いがあるみたい」
「そうなんだ。一見でこぼこコンビって感じだけど、仲いいんだね」
イトちゃんとおしゃべりに夢中になっていると、後ろに並んでいた女の子たちがざわざわと騒ぎ始めた。そして何人かで、応援しちゃう? なんて相談しあっている。
いつのまに男子の列も半分以上走り終わっていて、次に測定するのが練絹君みたいだった。
「練絹君、がんばって~!」
「応援してるよ~!」
練絹君がスタートラインに立った瞬間、後ろの女の子たちが一斉に声を上げた。普段は近づくことすら戸惑ってしまう分、こういう場面では皆で声をかけたくなってしまうのかもしれない。声援への返事のようにぺこりと丁寧に練絹君が頭を下げると、女の子達がきゃっと喜ぶ。
隣のイトちゃんが、思わずといったようにため息をついた。そしてこそこそと私に耳打ちをする。
「練絹君の人気ってうちのクラスの二人組と違って、なんていうか、崇めるみたいな感じよね。やっぱりちょっと、近寄りがたいなぁ」
「そ、そうかもね」
応援する女の子達にちょっと引き気味のイトちゃん。そんな彼女の手前言いだしにくいけど、私も練絹君を応援したいと思ってしまう側だ。
ど、どうしよう、かな。私も応援しちゃう? でもイトちゃんの隣ではちょっと……心の中でぐらいならいいよね。よし、テレパシーで応援しよう。
練絹君、練絹君……。
聞こえていますか? 私は今、あなたの脳内に直接語りかけています。あまり力んではいきません。力を込めすぎると、体が硬くなってむしろ走りが遅くなります。リラックスをするのです。深呼吸をして、吐き出す息とともに足を踏み出すのです。
当たっているからどうか定かでないアドバイスを念で送っていると、合図のピストルが鳴った。
練絹君は隣で走っている男の子をあっという間に引き離して、瞬きする間にゴールをしてしまう。記録をとっていた先生が、高校記録に近いタイムを出していると嬉しそうに告げていた。
「……すごかったね」
自分が息を止めていたことに気づいて、全身の力を抜きながらイトちゃんに話しかける。しかしイトちゃんは練絹君の方をまったく見ておらず、私を見て生温かい笑みを浮かべた。
「そうだね、すごかったね。ボブ子ちゃんの想いが通じたのかもね。熱心にお祈りしてたもんね」
「え? いや、お祈りっていうか、がんばって~ぐらいで……」
「わかったわかった」
「絶対にわかってないよね?」
勝手に何かがわかった気でいるイトちゃんから、ちょっとだけ視線を動かして練絹君を見る。
周りがわいわいと騒いでいる中心にいるのに、彼はやっぱり見えない穴の底にいるみたいな静けさを保っている。
不意に、彼が顔を持ち上げて空を見上げた。その視線を辿ってみると、空に紛れるようにして白いモンシロチョウがひらりと舞っていた。
ーー
放課後。
今日は初めて部活に参加する。結局私が入部届けを出したのは、演劇部だ。まったく演技の経験とかないけど、大丈夫かな。今日の演劇部の集合場所である部室棟4階の部室までの道のりすらしんどい人間なのに……。
やっと階段を上りきってはーっと息をついたところ、後ろから軽やかな足音が響いてきた。あっという間にその音は4階に辿り着いて、私の横を追い抜いていった。夜の星が流れていったような輝きが、きらきらと私の視線を奪う。
合同体育でも見かけた、本田君だ。
聞き慣れない不思議な音程の鼻歌を奏でながら、彼は私の目的地であった演劇部の部室へと入っていった。そういえば、劇を見に行った時に彼の姿もあった気がする。
私も追いかけるように、演劇部の部室へと入っていった。
今日の演劇部の活動は、全員の自己紹介と今後の予定についての説明のみだった。以前にクマの先輩が言っていたように、走り込みや腹筋などの体力作りが基礎練習に組み込まれている。
もともと文系の部活をやろうと思っていた私にはちょっときついかも……。家でも腹筋とかやった方がいいのかな。
今日の部活動を終えて考え込んでいると、横から突然きらきらしたものが現れた。青い瞳は目が合うと、花開くように笑みを形作った。
「えっと、本田、君?」
「Non! サルシスと呼んでくれないかい、えっと、五津木くん、だったよね? ほら、ボクはこんなにも美しいからね! 同じくらい美しいボクの名前で、呼んでほしいのさっ!」
「えっと、うん、サルシス君」
「Oui! ボクたち同じ一年生同士、これからよろしくねっ!」
手をサッと下から
「ところで先程悩んでいるようだったけど、どうかしたのかい?」
「あ、大したことじゃないんだよ。ただ、自分の体力にちょっと不安があって。家でも筋トレとかした方がいいのかなって……」
「なるほど、いい心がけだね! うん! ボクもなんだか、やる気が出てきたよ!」
めらめらとやる気に燃えているサルシス君。彼は華やかで人目をひくし、声もよく通っている。すぐにでも舞台に上がれそうよね。
「お、やる気だな、新入生」
ぬっと現れたのは、クマ先輩だった。クマ先輩は今日も、その着ぐるみ姿でいる。他の先輩は皆制服なのに、何故クマだけ新入生歓迎の時のままなんだろう……。
「まぁ、そんなに気を張るなって! うちの演劇部は全体の雰囲気を一番重視してる! 演劇は一人じゃできないからな。むやみに厳しくしたりしないし、遅れそうになったら手を差しのべる。まぁ気楽にがんばれ、期待の新人!」
楽しげに語ったクマ先輩がバシバシとサルシス君の背中を叩く。が、途中でその手はぺしっとはねのけられてしまった。宙に浮いたままクマの手が行方を失っている隙に、サルシス君はスッと体を離して私に笑顔を向けた。
「じゃあ、これからも共にがんばろう!」
「あ、うん」
サルシス君は私にだけ別れの挨拶をすると、他の演劇部の人達へと挨拶に行ってしまった。ちらりとクマ先輩の様子を確認すると、まだ同じポーズで固まっている。かと思いきや、クマの首だけぐるんとこっちに向いた。
「俺、なんかまずった? やっちゃった? 横から見て、どう思った?」
「ウザかったんじゃないですか」
「え……。お前も結構きつい言葉を投げてくるね。慰めてくれると思っちゃった」
「あれ。クマ先輩、自分の問題のあるところを聞きたかったんじゃないんですか」
「そうだけどさぁ」
表情の変わらない布とプラスチックの顔のくせに、クマ先輩は感情表現がうるさい。頭を抱えて、ぐるぐると体を揺らしている様子は結構邪魔だ。
周りもそう思ったのか、他の演劇部の先輩が近づいてきてクマ先輩を軽く膝蹴りする。
「新人に絡むなよ、クマ。怯えられてどうすんだ」
「うっ……。皆に責められてつらい。演劇部のマスコット、エンクマ君なのに」
「お前は人との距離を一気に詰めすぎなんだよ。クラスでも同じような失敗してただろうが」
泣き真似をする図体のでかいクマ。……あんまりかわいくないな。
呆れていると、女の先輩が私に声をかけてきてくれた。クマ先輩はいつもあんな感じだから、放っておいてもいいらしい。
とりあえず、演劇部の活動一日目は問題なく終わった。
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