令和4年3月10日
朝、出掛けに電話があった。でもちょうど靴を履いてるタイミングだったのかな、その場ではわからず。着信に気づいたのは、私が大神先生にカードを渡し、お湯が沸くのを待つのにスマホを取り出してからだった。電話がかかってきてから15分くらい経っていた。
「母です」
私は履歴を見、思わず声を上げた。数秒の沈黙のあと大神先生は「僕に言ってます?」と聞いてきた。
私は、いえ、無視してくださいと返事をし、その着信履歴を見つめた。
私と母、そんなにうまくいっていなかった。と、思う。
もちろん、母には感謝している。私と、4つ年上の姉を女手ひとつで育ててくれた。母は派遣社員で、姉も私も高校は近くの県立しか選べなかったけれど、母に文句を言ったことはなかった。母が頑張っているのはわかっていたので。
姉は高校を出た後、経理の専門学校に行った。そのころまだ中学生だった私は漠然と、うちの家計じゃ高校のあとはすぐ就職だと思い込んでいたから、姉の進学は青天の霹靂で、もちろん私も、と期待した。
そうすると学校帰りに通りかかる美容室が、急に手の届くものに見え始めた。どこもお洒落だけどそれぞれ雰囲気が違って、あんなところで働きたいな、いやあっちもいいな、と悩むのは楽しかった。どのお店で働いていても、妄想の未来の自分の姿は最高だった。だから姉と同じ高校に行き、お下がりの地味な制服を着るのだってそんなに嫌じゃなかった。
でも、高校2年のとき母に美容師の専門学校に行きたいと伝えたら、母は取り合ってくれなかった。「沙織が行ったのは経理の学校でしょ」と、にべもなかった。
私は母とけんかさえできなかった。母がダメだと言う以上、望みなんかなかったので。
結局、私は高校を出ると市役所に就職した。母はすごく喜んでくれ、私もありがとうとは言った。確かにそれなりに嬉しかったのだ、そのときは。でも私はそのお祝いに母がくれた腕時計を、初出勤の日の朝、玄関を出てすぐ外し、鞄の内ポケットにそっとしまった。それから一度も身につけていない。
普通に話はしてたし、姉が結婚して家を出てからは二人で出かけることも増えたから、ご近所さんには仲良し母娘と思われていたと思う。
でも私は、母が姉の家に行くと聞いたとき、ただただほっとした。
それからというもの母と私とのやりとりは、母が電話してくる世間話や愚痴を私が聞くだけになった。愚痴といっても大したものではなく、半分くらいは実は自慢なのかなって内容で、私もテレビとか見ながら適当に相づちを打って。母本人がどう思ってるかはわからないけど、私にとってはとても上っ面なやりとり。
でも、たぶんこの着信はそういう話じゃない。何を話したいんだろう。死んだと嘘をついていた言い訳かな。
母が美容師の専門学校はダメと言ったのはおそらく、卒業後がそんなに堅実ではなく(実際のところは知らないからイメージの問題)、それと費用が見合わなかったからだ。ふわふわした当時の私の夢は、今の私が見ると都合よく現実離れした真剣味も足りないもので、それを無責任に応援しなかった母はきっと、賢明な女だった。
なのにまだ私の頭には、怒り続けている高校生の私がいる。そのときちゃんと話してくれて、ちゃんと言わせてくれていたら。そしたら私と母との今の関係はもっと違っていたはずだと言って。
思い出せばまた性懲りもなく、母を責める私。
私は母に、電話をかけ直さなかった。
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