4/「私」、29歳、公務員

令和4年3月7日

 父が死んだのは2度目だ。いや、もちろん、実際は1回なのだけども。


 小さい頃から、母には「父は死んだ」と聞かされてきたので、私はてっきりそうなんだと思っていた。実際、覚えている限りでは、うちは母と姉と私の3人家族で、父という立場の人がその中に入り込んできたことはない。

 姉は7年前に結婚し、しばらく賃貸で暮らしていたけど、その後少し離れたところに家を建てた。母は姉の2人目の出産を機に、そっちに同居するようになった。家のローンがあるから、子ども(母からしたら孫だ)の世話を見る人がいれば姉も仕事に戻りやすいというのが大きかったのだと思う。旦那さんも快諾したそうだ。もちろん単に良い人だという可能性もある。

 そうして始まった私の一人暮らしは、さしたるイベントもないまま3年目がもうすぐ終わりそう。そんなときだった。家庭裁判所から封筒が来たのは。


 私は、ポストの中で宅配ピザやマンションのチラシに埋もれていたそれを、玄関で靴も脱がないままひとまず開封して中を覗いた。ちょっとクリーム色っぽいコピー用紙が三つ折りになって数枚入っていた。私の職場と同じ色の紙だ。色っていうか、質か。

 私は靴を脱ぎ、ジャケットをクローゼットにかけてから、ソファに座ると深呼吸して封筒の中身を取り出した。

 別に、何かお金を払えとかじゃなかった。ただ、冒頭のことがわかった。私の父が本当に死んだのは、どうやら割と最近らしい。


 そんなわけで、私は今日、バスを待っている。

 このバス停から裁判所方面に行けるバスは1時間に2本だけだ。市役所の窓口業務という仕事柄、裁判所の書類はちょくちょく見るけど、それが自分宛ってだけでこんなに緊張するとは思わなかった。遅れちゃいけないと思って、手紙に書かれた時間の30分前には着ける時間を選んだら、バスは8時半くらいのに乗ることになった。

 今日は有休を取った。バス停にも、大事をとって定刻の15分前に来た。

 でも、失敗したなと思った。道、結構混んでいて。バスは時間どおりには来そうにない。普段乗るバスはもっと早いし、反対方向だから気がつかなかった。抜かった。


 この件、姉に電話をしたら、姉のところにも同じ手紙が来たらしい。電話口の姉の声はいつもより元気がなかった。

 私が姉に「行く?」と聞いたら、姉は「迷ってる」って返事だった。ネットで調べたら、裁判所で遺言書を見るだけの日で、行かなくても別に損はないらしい。

 私も職場の人から、別に行っても行かなくてもいいはずと言われている。でも私は行くことにした。自分の父という人にちょっと興味が出てきたので。娘2人と四半世紀近く音信不通だった人が、何を言い残して死んだのか。好奇心が怖さを上回った。


 道の向かい側には大きなスーパーがある。こっちから見えるところにドーナツ屋さんが入っていて、もう開いている。でも、道を渡って広い駐車場を横切り、コーヒーを買って帰ってくるのはちょっと勇気が必要だ。万一バスが時間どおりに来ちゃったら、間に合わなくなるかも。

 かといって、なあ。私はスマホを見た。いつもはいつまでも見ていられるSNSが今日は目が滑って、ソワソワを鎮めるのに全然役に立たない。私はスマホをスリープにして鞄に投げ込み、自販機でもないかなと思って周りを見渡した。


 少し先に人がいる。紙カップを受け取っているのが見える。そういえばあの辺、確かにお店っぽいのがあったな。

 私はバスが来る方に少し伸びをし、まだ来る気配がないのを確認すると、小走りでそのお店に向かった。

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