令和4年3月3日

 今朝のニュースの締めはひな祭りの話題だった。食卓を挟んで向かいに座ったお母さんは、横のテレビから前の私のほうへ顔を向け、じっとこっちを見た。

 私は目玉焼きを、下に敷かれたベーコンごとご飯の上に移動し、黄身を突き崩しながら「なに?」と聞いた。

 お母さんは「ひな人形、出したほうがよかったかな?」と聞いてきた。私は、さあねえ、と返事をし、ご飯を口いっぱい頬張った。

 お醤油かけるの忘れたな。


 昨日の帰り、オオガさんはエンジンをかけるとラジオを消した。私が話しやすいようにって気配りだったのかなと思う、逆に緊張したけど。密室だし。

 それでも私は結構、しゃべった。こういう話できるのオオガさんしかいない気がしたので。私はこれまで誰にも言わなかったことを散々愚痴った。悪気はないって知っているから気持ちのやり場がない。誰も悪くない。みんな良かれと思ってのこと、私のためを思ってくれているのはしっかりわかってる。だから私はみんな好きだ。だからこそはっきりイヤだと伝えられない。イヤなものはイヤなのに、言うわけにいかない。傷つけたくないから。それでへらへら笑ってやり過ごすけど、そのたび自分にも相手にもウソついてるみたいに感じる。自分が不誠実だなと思う。それが私はつらい。

 私は、勢い任せに選んだ言葉が思った以上に極端に思えて、なんだか自分が悲劇のヒロインを気取っているみたいで、恥ずかしくなって下を向いた。

 オオガさんはそれには何もフォローをせず、ただウィンカーを出すと一瞬こっちを見(そのまま助手席の私を通り過ぎて後ろまで見た。つまりただの巻き込み確認)、こともなげに「それはそれ、これはこれでしょ」と言いながら左にハンドルを切った。

 正直、どれがどれで何が何なのかよくわからなかったけど。私が、オオガさんはそういうのないんですかと聞いたら、オオガさんは平然と「いっぱいある」って返事した。

 そうなんだ。いや、そりゃそうだろうな。


 口の中のものを飲み込んで、私はお母さんに話しかけた。お母さんはまたテレビのほうに顔を向けていたけど、私の声を聞いてこっちを向いた。もうひな祭りの話題は終わって、次の情報番組になっている。

「あのさ。やっぱり彼氏っていたほうがいいのかな」

 たぶん、もちろん、と言われるんだろうな、と私は思っていた。だから、そう言われてもがっかりなんかしない。またいつもみたいに「だよね」と返して、いつもみたいにモヤモヤして、それで終わり。それを飲み下してこそ大人。そんな感じだ。

 でも、お母さんは「さあ?」という返事だった。

「ちえりが欲しいか次第じゃない?」

「そうなんだ。結婚は?」

「そうねえそれも……。ただまあ、子どもは。それだけはタイムリミットあるからね」

 あー、そっちかあ。私はまたその場を濁すように笑って、残りのご飯を食べ終えると器を重ねて席を立った。


 たぶん、私のモヤモヤはずっと消えない。ひとつ消えたと思ったら、また新しく生まれる。でもそれはもう、仕方ないんだろうな、と思う。


 いつものタンブラーを鞄に入れる。いってきます、と言って家を出た。

 財布の中には今月のカードが入っている。捺された2つのハンコも私が消しゴムを削った自作で、オオガさんに押しつけた。

 いっぱいくればくるほどハンコの菜の花が増えて、カードに描かれた線路沿いの景色が充実するデザイン。先月のラジオ体操と比べて諦めたコンセプトをあたため続け、結局作ってしまったもの。

 今のところ、これが私の最高傑作だ。

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