令和4年3月1日

 3月になった。あちこちで梅が咲いている。桜の開花予報も出た。私は昨日のうちに名前を書いておいた今月のカードを財布に入れ、家を出た。

 先月のラジオ体操風カードは「なつかしさ」をテーマにリサーチして決めた。その方向性については、幼稚園みたいなかわいい感じに全振りするのか、それともレトロモダンな感じにするのかは、結構最後まで悩んだ。最終的に、前者にするとなんとなくオオガさんがかわいそうな気がして(だって多分、大多数の人はオオガさんが自分で選んでると思っている)後者にした。

 スタンドの前に人がいる。早速、今月のカードに名前を書いていた。私はちょっとうれしくなり、その人を慌てさせないよう近づく歩調を緩めた。


 オオガさんは、私がカードを作りたいと申し出たとき、謝礼はどうしたらいい? と聞いてきた。私は、個人的に恥ずかしい思いをした名刺のリベンジをしたかっただけなので、お金なんかいらないと言ったのだけど。オオガさんは無表情、というか真顔で、スキルの安売りはしないほうがいいよ、と言った。

 私はそれをそのときは、厚意を無碍にされた気がして、なんだかいやな感じの人だなあと思ったのだけど。お母さんに話したら、私が甘いと言われた。

 お母さんはドラッグストアのパートに出ていて、そこで「ほかの人より上手いから」という理由でPOP作りを任されている。それなのにほかの人とお給料は変わらず、その分仕事が増えるだけ。

 お母さんは、家事に全然協力的じゃなかったお父さんのことも持ち出して、「その人、自分に見えない他人の苦労もちゃんと認めてるってことでしょう」と言った。まあ、そう言われればそうなのかな? 大袈裟な気もするけど。

 そしてお母さんは流れるように、「で? どうなの?」と聞いてきた。やっぱりそうなるのだ。そりゃ弁護士なんてなかなかのレア物件だろうけれども。私は適当にはぐらかした。


 私。全然、恋愛というのがわからない。男女は友達を極めちゃいけないのかな、と思うけど、私の感じる世間の常識では、異性間の仲の延長には必ず恋愛やセックスがあり、結婚はそれと切り離せない。そんな「常識」からこぼれた人に無自覚な「フツー」の人が振りまく独りよがりな善意を、私は迷惑だとも言えずにへらへら笑ってやり過ごす。でも根本的には解決してないから何度だって同じことが起きて。それがときどき鬱陶しくて、めんどくさくてたまらなくなる。

 誰か同じような人、私と籍だけ入れてくれないかな。そしたらお互い、人を紹介されることもなくなり、周りの人も安心してWin-Winだ。あれ、でもこれ偽装結婚になるのかな?


 そんなことを考えながら歩いていたら、歩調を緩めていたせいもあって、妙にとぼとぼして見えたのかもしれない。オオガさんがカウンターからこっちを気にしているのが見えて、私は気を取り直すように背を伸ばした。


 スタンドの前で財布を取り出し、オオガさんにカードを渡した。今日はポットのお湯をこれから沸かすパターン。でもオオガさんはペットボトルを開けかけたところで止め、怪訝な顔でこっちを見ている。

「今日は紙カップでいいの?」

「あ、いやタンブラーあります。すみません」

 私は慌てて鞄からタンブラーを取り出し、それを渡しながら、言った。

「あの、大神おおが先生。聞きたいことあるんですけど」

 オオガさんはこっちを一瞥した。

「相談? お金取るよ」

「あ。じゃあいいです」


 私、オオガさんとは結構、仲良しだと思う。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る