令和4年2月21日

 出掛けにさおりから預かった空のタンブラーをカードと一緒にフミさんに差し出しながら、俺は「こないださおりに会ったっしょ」と聞いた。


 2日しか空いていないのに、ここに来るのをすごく待ち侘びた気がする。さおりから、フミさんと話したと聞いたせいだ。そんなわけでいつもより早めに家を出たから、まだゆうやは来ていない。でもフミさんは、俺からタンブラーを受け取りながら怪訝な顔で言った。

「さおり?」

 フミさんに覚えがなさそうで、俺はにわかに不安になった。もっとも、俺の不安はきちんと形になる前に、フミさんが無事思い出したので解消された。

「ああ、カナサオさんのことか。会ったよ」


 カナサオというのは、中学の頃のさおりのあだ名である。クラスにサオリが2人いたから、金谷かなやさおりがカナサオ、藤沢沙織がフジサオ。フミさんはタンブラーの蓋をひねって外し、カウンターに置きながら続けた。

「今はサササオだって言われた」

「栞と一葉も会った?」

「うん」


 俺は引き続き「かわいいね」なりなんなりのお褒めの言葉が出てくるもんだと思って受け取る準備をしたけど、フミさんはタンブラーの中を覗くだけで続きはなかった。フミさんが目を細め、タンブラーをひっくり返すと、どうやらさおりが仕込んでいたらしく、丸まったメモが滑り出てきた。

 フミさんはタンブラーを置くとメモを広げ、紙面に目を落とした。そのあと俺のほうは見もせずにメモをカウンターに伏せてお湯を沸かし始める。

 俺はなんとなくソワソワした。さおりは俺のことは、中学のころは笹井くん、そのあとも一典くんと段階を踏んできたのに、フミさんのことは苗字も名前もすっとばしていきなり「フミ」だった。もしかしてフミさん、俺よりもさおりと仲良かったんじゃない?

 だったとしてもずいぶん昔のことなのに、だから別にいいんだけど、俺は急に焦りを感じ、「なんて書いてあったの」と聞きながらメモのほうに手を伸ばした。ところがフミさんは存外に機敏な動きで俺より先にメモを取ると、背後に隠しながら言った。

「だめ。見せない」

「いいじゃん。嫁さんなんだから」

「そう思うなら自分でカナサオさんに聞いて」

「サササオだって」


 フミさんの本業は弁護士である。車の契約のときに職業を書いてもらい、知った。そのフミさんが見せるのを拒否するというのは。

 仮に、さおりがフミさんの仕事を知っていて。それでフミさんに相談したい、俺に聞かせたくない話があるんだと思うと、俺は急にめちゃくちゃ心がざわついて思わず目を泳がせた。さおりにそんな気配はまったくない、ないのだけど、俺が気がついてないだけか?

 フミさんは、取手のついたビーカーにお湯を注ぎながら俺を見、ため息をついた。「さすがに不憫」という顔でフミさんは、あのね、と言った。

「カナ、じゃないサササオさんが、ノリさんが見るかもしれないところにノリさんに言えない内容のメモなんか入れるわけないでしょ」

「そんなら別に見たっていいんじゃん」

「僕が見られたくないんだってば……」


 フミさんはビーカーの中に粉を入れてかき混ぜると、メモの取り出されたタンブラーにそれを注いで蓋をし、少し不機嫌な顔のまま、カードと一緒に俺に渡した。

 俺はなんとなく自分の黒歴史のことを思い出しながら、とても今更ではあるものの、フミさんにもフミさんが見ている世界があるんだろうな、と思った。

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