令和4年2月18日

 フミさんの新車点検の日が来た。

 通常は納車1ヶ月でするんだけど、こっちの工場の空きとフミさんの都合がうまく合う日がなくて、とくに不具合もないからということでなあなあになり、延びた。

 この点検は問題がない限り1時間もあれば終わるから、その間はお客さんには普通、ショールームで待ってもらっている。今日も朝イチで車を預かって、俺が車を工場に回している間は、フミさんは店長に預けた。


 フミさんは昔から小さい方で、今もたぶん165までない。対して俺は人並みプラスアルファくらいは背があるので、フミさんのシートポジションのまま運転しようとするとちょっと足元がきつい。本当は、余計なクレームを招かないためにもポジションなんかはいじらないのが一番なんだけど、今回は大丈夫だろう、フミさんだし。

 車を移動させてからショールームに戻ってきたら、フミさんの前にはコーヒーが置かれていた。手をつけた様子はない。俺はフミさんの向かいの椅子を引いて腰掛けながら、「最近遠出した?」と聞いた。

「なんで」

「泥はねてたし、結構距離も伸びてたからさ」

「ああ」

 フミさんは思い出すように上を向き、それから視線を俺まで戻して「うん」と答えた。

「山奥の物件とか見に行ったりしてた」

「仕事?」

「そう」


 フミさんのしゃべりはぶっきらぼうだ。中学のときからずっとそう。

 俺は小学校の最初のうちは地域の児童クラブでサッカーをしていたけど、ちょっとイヤなことがあったので野球に乗り換えた。クラブでは結構いい位置につけていたので、俺は中学に進んでも自信満々で野球部に入った。でもそこで挫折した。俺よりうまいやつなんか掃いて捨てるほどいた。

 俺は1年は頑張ってみたものの、うまいやつだって同じように頑張るから全然追いつけなかった。学年が上がり、でかい・はやい・うまいの揃った新入生が入ってきたのが決定打になって、俺は二年の夏休みを前に部活をやめた。なんというか、自分がなにものでもないとわかってしまって、にわかに毎日がものすごくつまらなくなり、なんにもやる気が出なくなったのだ。そんなふうに俺が時間を持て余しまくっていたときだ、フミさんが転校してきたのは。

 フミさんはその直後の定期テストで、試験時間の半分を残して机に伏せ、爆睡したまま解答用紙を回収されたくせに、学年二位に滑り込んだ。

 俺は勉強はもともと全然だったから、こんな漫画みたいなやついるのかと思って急に学校が面白くなった。俺みたいな部活バカとかその他の凡人とかを見下してた、頭いいキャラで通ってた連中がイラついてるのが痛快だった。だから俺はフミさんに話しかけて友だちになった。


 フミさんはそのころから全然変わらない。聞けばなんでも返事してくれるし、頼みごとも(ほとんど)断られたことはない。愚痴でも、余計なアドバイスとか否定とかもしないで「そうなんだ」とか「へー」つって聞いてくれる。車買うときはさすがにいくつか質問されたけど、フミさんのほうからなんか言われた記憶とか、本当にそれくらいしかない。

 俺は突然、気づいてしまった。

 あれ? もしかして仲良いと思ってたの、俺だけじゃない?


 俺は不意に心配になり、減っていないコーヒーの水面のほうに顔を向けたまま、少し上目でフミさんを見た。

 フミさんは、そんな俺には全然興味ないって顔で、ショールーム天井の剥き出しのトラス梁をじっと見ていた。

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