2/「俺」、33歳、営業職
令和4年2月16日
バス停で並んでコーヒーを飲んでいたら「ゆうや」が車の話をしてきた。昨日の帰りに事務所前を通りかかったら見かけたんだと。
ゆうやは謎の多い店主のことを、車種にかけて「エックスさん」と呼ぶことにしたらしい。そう言われると非常にダサくて残念なのだが、その
ゆうやは、俺より少し早くバス停に着く。そこまではほとんど一本道なので、バス停が見えるようになる前らへんから、ほぼ毎日俺の視界にはゆうやの背中が入る。
ゆうやはいつも下を向いて歩いており、俺はスマホでも見てるんだろうなと思ってはいたけど、あのスタンドに気付いたのがつい先週だと聞いたときは驚いた。年末には開けていたはずだ。本当に周り見えないんだな、気をつけよ。
嫁さんが子どもの関係で日中家に車がないと不便というので、去年からバス通勤を始めた。
バス停の近くには、同級生のじいさんがやっていた税理士事務所がある。いや、正確には「あった」。その同級生というのがフミさんで、コーヒースタンドの店主である。
俺は小中と、友達からはノリと呼ばれてきた。名前が「
フミさんは中二からの転校生で、頭もツラも良かったので地味な性格の割に目立った。じいさんちに同居しており、俺は家が近所だったからよく一緒に帰った。修学旅行の班も一緒で、仲は良かった、と思う。
みんな「フミ」と呼んでいたけど、フミさんが俺のことをかたくなに「ノリさん」というので、俺もそのうちフミさんと呼ぶようになった。フミさんは勉強ができたから、俺と同じ高校には行かなかった。
フミさんのじいさんの事務所が閉鎖されたのは昨年度末ころだったと思う。
営業をやっていると、なじみの客からは税理士の愚痴とかも割と聞く。フミさんのじいさんは、聞いた話ではここ数年で体調を崩し(お察しの意味)、慌てた親族が半ば無理矢理廃業させたという噂だった。大事故前に免許返納みたいな話。
俺は客からフミさんのじいさんの悪い話を聞くたび、中学生だった俺とフミさんに濃いコーヒーを振る舞って大人扱いしてくれたじいさんを思い出し暗い気分になる。それでも相手は客だから、うっすら罪悪感を抱えたまま相槌を打った。俺にできることはない。そうこうしているうちに事務所が閉じ、そして突然フミさんが現れたという流れ。
初めてスタンドに寄ったとき、久々だったけど、すぐフミさんだと分かった。
俺はフミさんに、全然変わってないじゃんとか、自分は大学出て結婚して今は車のディーラーで働いてるとか、聞かれてもないのにべらべらしゃべった。あのなんとも言えない後ろめたさを思い出すと、自分から声をかけたくせにフミさんにしゃべらせる勇気はなかったのだ。
でも、一方的にしゃべるのは結構難しい。俺の話は、フミさんがペットボトルを開けポットに水を注いでお湯を沸かし、それからインスタントコーヒーの瓶の蓋を開け粉をスプーンで掬って紙カップに入れ、いや、どっかでカップを重ねたな、それからお湯を注いで、……あと何をしたか忘れたけど、とにかく、いい感じのコーヒーが準備できるころにはほとんど尽きていた。
そうして押し黙った俺にフミさんは「そうなんだ」とだけ返事をすると、コーヒーを差し出しながら「今度車見せてよ」と言った。
俺は早速週末にフミさんをショールームに招待した。
フミさんは展示車をほとんど悩みもせず即金で買い、俺は上司に褒められた。
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