令和4年2月11日
今日は学校は休みだけれど、ということは時間に追われなくて済むので、僕はいつもの時間に家を出てバス停(の近くのダサい名前の税理士事務所のところ)に向かった。
もしかしたら平日以外は開いていないかもしれないなと思ったけど、店構えをじっくり見て店名を探すには好都合だ。カードを持っているノリさんでさえ名前を知らないのだから、一筋縄でいくわけがない。
たどり着いたそのコーヒースタンドは、はたして、今日はぴしゃりと窓を閉めていた。道路側から窓のまわりをつぶさに観察する。掃き出し窓の枠の、腰高のところまでを板で塞いで、上半分の空間に無理矢理普通の窓を枠ごと嵌めてある。外側に取り付けられた、あまり奥行きのないカウンターの素材や金具も、ホームセンターで揃えられそうな感じ。これはなかなか好ましい素人くささだ。
店員がいないなら遠慮はいらない。窓ガラスごしに中を覗き込んでみる。やっぱり、結構立派そうな道具が並んでいる。僕が入るには色々躊躇する、おしゃれなコーヒーショップにあるのと同じような道具に見えた。
こんなものを並べておきながら「インスタント」を出すというのだから、思い込みを利用した詐欺じゃないかとも思ったが、ノリさんが知っていたということは隠してはいないのだろう。だったら別にいいのかもしれない。何より値段は、僕が躊躇するコーヒーショップの5分の1くらいだし。
店名を探すのを忘れていた。僕は慌てて窓から離れ、バス停側とは反対方向に数歩離れて、あらためてスタンドのほうを眺めてみた。税理士事務所の出入り口も掃き出し窓だ。たぶん、最初は道に面した間口が全部掃き出し窓だったのだ。それをあとから一部だけ窓に変えて、内側を仕切ってコーヒースタンドにした。……いや。そうだろうか?
ふと、もしかしたらこの店は、もともとは事務所のお客さんの待合室とかだったんじゃないか、だとすると税理士事務所がコーヒースタンドもやっているというだけで、スタンドに別に名前なんかついていないんじゃないかという考えが浮かんで、僕は事務所内を覗き込んだ。
税理士事務所がどういうことをする事務所なのかはよく知らない。税金関係の何かということだけ。けれども、僕から見えた中の様子は、どうも、仕事をしていそうな気配はあんまりなかった。
もちろん今日が休みだということはあるのだろうけど、机の上に積まれた書類は半分くらい紐でしばられていたし、本棚に並んだ本も、ちゃんと並んでいるままのものと、積み上げて紐でしばってあるものがある。僕から見て左手の、少し高いところにある窓から入った光で、埃がきらきらしていた。
段ボールもいくつもあった。中身が入っていそうなもの、組み立てられた箱にまだ半分くらいしか入っていないもの。畳まれたままのもたくさんある。
もしかしてこの事務所、もうつぶれちゃっているのかも。僕はそこで急に、あのスタンドの中に入ってみたい、という気持ちを抑えられなくなった。
ステンレスの、高そうなコーヒーの機械や道具に囲まれた狭いブース。見てみたくないわけがない。大丈夫だ。どうせ、この出入り口には鍵がかかっていて、手をかけて開けようとしたって開くわけがないのだ。開かなければ僕の犯行は未遂に終わる。絶対に未遂に終わるのだから、だったら試してみてもいいじゃないか——
不意にバスのエンジン音が聞こえ、僕は手を引っ込めた。バス停を見る。止まったバスは、降車側のドアだけを開けた。よかった。バスを待っている間に僕のほうを見ていた人はいなかった。
バスから、ひょろっとした男性が降りてきた。鞄を斜めがけにして、片手には僕が入れないおしゃれなコーヒーショップのカップを持っている。
その人はこっちを見た。僕は思わず、その場を逃げ出した。
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