第2話 治療

「特級回復能力者の御酒仁ごしゅじんさんですね! 時間がありません。その服ではまずいので、すぐこれに着替えて私の後に着いて来てください!!」


 テレポート後、何も見えない暗室に移動したと思ったら、押し扉をけたたましい音共に開けて緑色の手術着姿の女性が飛び込んで来た。すぐさま御酒仁に駆け寄ると身体全体にスプレーで何かを吹きかけ、手に液体をぶっ掛けた後、同じ色の手術着を手渡す。


「え、え?」

「聞こえませんでしたか!? 早くこれに着替えて下さい!!」


 すぐに着替えろと言われても、こんな場所では着替えたくない。

 隣では先ほどのテレポート能力者が片膝を付いて、ぜえぜえと呻くような声をあげている。きっと能力を発動して消耗しているからだろうが汗が酷く、むせ返るような表現しがたい臭いが鼻を刺激し続けている。それに加え女性の目の前だ。色んな意味でこんな場所で着替えられるはずがない。


 そんな風に御酒仁が戸惑っていると、痺れを切らしたのか女性が服を脱がしにかかってきた。


「ちょ、わ、わかりました。すぐに着替えますから!」


 一体どんな羞恥プレイだと、御酒仁は頬を赤くしながらこの状況から解放されるのならと、急いで手術着に着替える。

 着替え終わると、女性は引きづるような勢いで御酒仁を腕を引っ張り、すぐ隣の部屋に引きずり込んだ。


 御酒仁ごしゅじんが引きずり込まれた部屋はどうやら手術室のようで、部屋の中央には手術台と眩いばかりに輝く照明が、そして部屋の至る所にモニターや計器類が設置されている。

 部屋中には医師と思わしき人物が複数いて、その内の一人が額から大粒の汗を流しながら手術台に向かって両手を向けている。人垣に囲まれてよく見えないが、時折緑色の光が間から漏れ出していることから、恐らく回復能力を行使しているのだろう。

 他の人達は手持ち無沙汰というより、皆ソワソワとした様子で何かをしたいがどうにもできないもどかしさを感じる。その中の一部の人が、部屋に入ってきたばかりの御酒仁を何かを期待するような目でジッと見ている。


「特級回復能力者の御酒仁さんが到着しました!」


 先ほど部屋に引きづり込んだ女性が皆にそう告げると、部屋にいる人たちが「特級か」、「これで助かる」などと口々に言い始めた。それとほぼ同時に回復能力を行使していた人が、御酒仁を見て安堵の表情を見せた後、そのまま糸が切れた様に倒れ込んだ。


「患者は二十代の女性ヒーローです。怪獣との戦闘で負傷し、腹部及び右腕に大きな損傷があります。しかしながら私達の手には負えない状況でして……」


 幾人かが倒れ込んだ人を支え介抱する中、その内の一人が御酒仁の方へと駆け寄ってきて現状を説明する。


「手に負えない状況って…皆さん医者か回復能力者なんですよね?」


 わかってはいるが、聞かずにはいられなかった。別に責めているわけではない。人を治すプロで駄目なら、ほぼ動物相手の治癒経験しかない御酒仁が治せるとは到底思えないためだ。


「恥ずかしながらその通りです。ですが彼女は身体が強靭すぎて血管にすら針も通りませんし、メスで皮膚を切ることも出来ないんです。それに何故か今のところ一級の回復能力者ではまったく回復効果が無く…… とっ、とにかく急いでください!」

「……わかりました。ただあまり期待はしないで下さい」


 一級能力者で効果がないのなら、自分が治療したところで無意味だろう。しかし人命が掛かっている以上やるだけのことはやってみるしかない。そんな気持ちで御酒仁は手術台の方へ近づいていき、あと一歩のところで立ち止まる。


 なんだこの鼻につく嫌な臭いは。

 何かが焦げ付いたような刺激臭が御酒仁ごしゅじんの鼻を刺激する。


 手術台に近づけば近づくほど、嗅いだ経験のない嫌な臭い強まっていき本能が近づくのを拒否する。

 しかし立ち止まるわけにも行かない。気の進まない身体を理性で押し進め、さらに一歩踏み出す。


 手術台の前までいくと先ほどまでは人垣に隠されていて、あまり良く見えなかった女性患者の現状がよりはっきりと確認出来た。

 女性はスラリとした長身で黒い服を身に纏っていて、一見綺麗な顔に軽く擦り傷が出来ているだけで、どこも怪我をしていないように見えた。が、少し目線を動かして別の場所を確認した瞬間それは間違いだったことに気づく。

 服の色のせいで気づくのが遅れたが、よくよく見れば着ている服は怪獣の攻撃でも受けたのか、引き裂かれボロ布のようになってしまっている。そんな服の隙間を黒ずんだ血が埋めているような状態だった。

 手術台から垂れ下がった本来なら綺麗だっただろう金色の髪は、濁った黒い血がベットリと付着しており見る影もない。

 特に酷いのは右腕で腕全体が赤く腫れあがっていて、一部は炭化すらしている。指先は爛れ原型を留めていない。そんな酷い有様の腕を見て、喉の奥か何かが込み上げてくる感覚を覚えると同時に、嫌な臭いの原因を悟る。


 これは俺の力じゃどう考えても無理だ。

 人を治した経験は皆無というわけではないが、せいぜい擦り傷や打撲程度だ。ここまでの傷を治した経験はないし、治せるとも思えない。


「何ボーっとしているんですか! 早く治癒を開始して下さい!!!」


 先ほど御酒仁ごしゅじんを手術室まで連れて来た女性が急き立てる。


 その言葉にハッとした御酒仁は、人命が掛かっているんだからとにかくやるだけのことはやってみようと覚悟を決め一度だけ深呼吸すると、苦しそうにヒューヒューと呼吸を繰り返している女性に向かって両手を広げる。


 俺は特級なんだ、本気を出せば絶対彼女を治せるはず。そう自分に言い聞かせながら強い想いを込めて御酒仁は能力を行使する。


 すると普段は泥水のようなお世辞にも綺麗とは言えない液体が治癒対象を包み込むはずが、なぜか彼女の身体が牛乳のような白くサラっとした液体に包まれる。

 いつもと違う光景にまさか自分に秘められた能力がようやく覚醒したのかと、御酒仁は喜び思い切り拳を突きあげたい気分に駆られるが、治療中であることを思い出し自制する。


 白い液体は彼女の傷が深い部分に吸い込まれるようにして集まり、膨らませた風船のように大きく球状に変化し、次々と傷口へと吸い込まれていく。そのまま一分、二分と時間が過ぎていくが、依然として彼女は苦しそうな表情のままだ。

 周囲の人間も最初は御酒仁が能力を行使している姿を見て、驚きと期待の表情をしていたが時間が経つ毎に、それは疑念と失望の色に変化していくのが感じ取れた。


「ごふっ…がほっ…」


 治る気配がないどころかなぜか彼女は吐血し出す始末で、黒ずんだ血を口からびちゃびちゃと吐き出し始める。


 回復させてるはずなのにどうして血が、それになんだこの枯渇感は。


 御酒仁ごしゅじんは自分の中から、今まで感じたことのない何かが急速に抜けていくような喪失感を覚えながらも、今彼女を救えるのは自分しかいないんだと自身を鼓舞して能力を発動し続ける。

 能力を使い始めてからどれ程の時間が経ったかわからないが、次第に足が震え出し、身体が熱を帯び始め、それを冷ますために夥しい量の汗が表皮を伝って下へ零れ落ちていく。

 もう限界だ。御酒仁がそう思った時、手術室の扉が勢いよく開かれ、白模様の迷彩服を着た人物がゆっくりとした足取りで入ってきた。

 入ってきた人物は百七十センチくらいある御酒仁よりも背が高く、ガッシリとした体格をしている。顔には全面を覆うタイプの黒いガスマスクをつけており、レンズの部分も曇っていてよく見えない。

 その上フードを被っているので、誰かどころか男女の区別すらつかない。だが胸部に確かな起伏があるので、どうやら女性である可能性が高そうだ。


 一体誰だろうかと御酒仁が戸惑いながら女性の方を見ていると、女性は御酒仁の横で立ち止まり、徐に御酒仁の肩に手を置いた。


「小僧代われ。あとは私に任せろ」


 マスクをしているせいか声は少しくぐもっているが、口調にあった低めの威厳を感じる声だ。


「えっ、でも……」

「お前の出番はもう終わりだ」


 曇りガラスになっているガスマスクの向こうからゆらりと見えた赤い光に、御酒仁は寒気のようなものを感じ反射的に女性に場所を譲った。


 手術台の前に立った女性は、黒い皮手袋越しに何かを確認するような手つきで負傷した女性ヒーローの身体を触っていく。やがて満足したのか皆の方に向き直って、一度だけ軽く頷いた。


「この程度なら問題ない。すぐにこの部屋から出てくれ。私は治療風景を見られるのがあまり好きではないのでな」


 女性が周囲を見渡しながら言う。皆すぐにはその言葉に反応しなかったが、女性が邪魔だ邪魔だというように手をブラブラさせたのを見て、皆弾かれたように動き出す。


「御酒仁さん、お疲れ様でした。さあ後はあの人に任せましょう!」

「あ、あぁ…はい」


 茫然としていた御酒仁は、最初にこの部屋に連れて来た手術着の女性に引きずられるようにして手術室を後にする。部屋から出ようとしたところで背後から赤い光が迸ったような気がしたが、最早興味は湧かなかった。

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スーパーヒロインと俺 灰ノ木 @Hainoki_na

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