スーパーヒロインと俺

灰ノ木

第1話 仕事

「何ボーっとしているんですか! 早く治癒を開始して下さい!!!」

 緑色の手術着姿をした二十代くらいの女が、あ然とした様子で前の方を眺めている男の腕を引っ張り急かす。


 男が目線を注いでいる先には、手術台の上に乗せられた妙齢の女性が横たわっており、ぜえぜえと苦しそうに胸を上下させながら浅い呼吸を繰り返している。綺麗だったであろう金色の髪も、血でドス黒い色に染まってしまっていて見る影もない。身に纏っている漆黒の衣も、大きな獣に引き裂かれたかのようにボロボロになっている。身体の中でも特に右腕の損傷が酷く、腕全体が赤く腫れあがっていて、指先は爛れ原型を留めていない。


 腕を引っ張られた男は、マスクをしていなければさぞかし間抜けに見えたであろうほどに、大きく口を開けながら動揺したように二人の女性の間で目線を行き来させる。そんな男の様子に痺れを切らした女が無言で男の背を押し、男はよろける様にして手術台の前に躍り出た。


 後ろからの強烈な視線、そして目の前には自身の助けを必要としている苦し気な女性。逃げ場はない。そう確信した男は乱れる息を何とか整えようと、大きく深呼吸してからゆっくりと唾を飲み込む。


 そして覚悟を決めたように大きく頷いてから、手術台に横たわる女性に向かって両手を広げた。

 すると女性の身体が白い液体に包まれ、そして――



――――


 

「いやー、悪いね。御酒仁ごじゅじんさん。急にうちの牧場に呼び出しちゃって」

「いえ、田島たしまさんにはいつもお世話になってますから。これくらい大丈夫ですよ。…それよりも何か問題でもあったんですか?」


 申し訳なさそうに頭を下げる白髪交じりの男――田島たしまの言葉に対し、御酒仁ごしゅじんは田島の背後にある牧場にチラチラと目線をやりながら質問する。


 急に呼び出された割には田島たしまにそこまで焦りの様子はない。牧場の様子も見える範囲は特に変わった様子はなく、囲われた柵の中に放牧されている牛たちも、草をもしゃもしゃと食べながら、呑気そうにモーモーと鳴いている。


 あえていうなら先ほどから何かが発酵したようなムッとする臭いがしているが、残念ながらそれはいつも通りだ。それにこの牧場の臭いはまだマシな方で、もっと酷い牧場はいくらでもある。


 なら牛ではなく田島に問題があるのかと思って観察してみるが、灰色のツナギに長靴、鍔のついた無地の青い帽子、首に巻いたやや黄ばんだタオルといつも通りの格好で、顔色も良好だ。

 少し腹が出ているのが気になるが、そこまで聞けるような間柄ではないし、その辺りの問題は三十路を迎えた自身にとってもデリケートな話だ。


「あー、そう言えば言うのを忘れとったね。実は最近、乳量が減った牛がいるんだわ。それをちょっと見てもらいたくてね。あと、ついでにいつものアレお願い出来るかな?」

「あぁ、はい。わかりました」


 御酒仁ごじゅじんは頷き返事を返すと、慣れた様子で足元の消毒を終えた後、田島に案内されるままに牛舎へと入る。中はテニスコート一つ分か二つ分くらいの広さがあり、一面何かの植物の殻のような物が敷かれている。そんな中で何十頭もの牛たちが過ごしているが、広さが十分あるおかげか思い思いの場所で快適そうに身を落ち着けている。


「こいつなんだが最近元気が無くてな。こんな調子なんだ」


 田島たしまは、牛舎の端にいる床に寝そべり、ぐったりと頭を垂らしている牛を指差した。

 体毛は茶色でやや小柄。いわゆるジャージャー牛と呼ばれる品種の牛だ。

 専門家ではない御酒仁に分かることはそれくらいで、パッと見では特に何処が悪そうなどといったことはわからない。

 ただ、人が近づいてきたというのにまるで反応を示さない様子からして、確かに調子が悪そうに思える。


「わかりました。とりあえず治療してみますね」


 御酒仁ごしゅじんは獣医ではない。だが、ただ一つだけ普通の人間にはない能力を持っている。それは治癒能力だ。あることが切っ掛けで、多くの人間が一昔前には空想上にしか存在しなかった力を持つようになった。

 能力の種類は人によって様々で、手から炎を放ったり、氷を生み出したりと分かりやすい能力から、物の品質が何となくわかる、目を凝らせば薄っすらと赤外線が見えるといった使い道のよくわからない能力まで多岐にわたり存在する。

 治癒能力自体は割とポピュラーなものだが、能力者は能力の系統によって攻撃系、防御系などと分類分けされており、割合から見ると攻撃系が多く、治癒能力者が属する回復系能力者の数は少ない。

 そんな数少ない中で能力がトップクラスなのが自慢でもあり、同時にコンプレックスでもある。


 ぐったりとしている牛の前でしゃがみ込んだ御酒仁は、能力を発揮しようと手のひらを向ける。

 数瞬後、牛全体がやや曇りのある透明の液体に包まれ、透明度の悪い水槽の中にいるかのように輪郭がぼやける。そんな状態が数秒間続いた後、表面を覆っていた液体がじわじわと牛の肌に吸い込まれていく。


「おぉ…。いつ見ても凄いな。さすがはグレ…グリ…グラディエイター……」


 液体に包まれた牛を目を見開きながら見ている田島は、何度も頷きつつ呟く。


 御酒仁はそんな姿を一瞥した後、バレないように軽くため息をつく。グラティエイターじゃなくてグレイターだと何度も訂正したはずなのだが。そう思うと同時に自分も、普段使うことも耳にすることもないから仕方のない事かと自分を納得させる。


 グレイターとは能力者の中でも特別力の強い一握りの存在、特級能力者のみに使われる尊称のようなものだ。元々は海外発祥の呼び方で、既存の能力者の枠に収まらない能力者に対して尊敬の意味で使われていた。

 しかし今では特級の能力者もそれなりに増え有難みが減った上に、特級の方がわかりやすいということで、グレイターという呼び方はすっかり廃れてしまった。今では昔を知っている人間か一部の専門家が得意気に使う程度の呼称だ。


「はい。終わりましたよ。もうこれで大丈夫だと思います。って…おいこら、舐めるんじゃない!」


 すっかり元気を取り戻した牛は体を起こすと、興奮したように鳴きながら御酒仁の腕をペロペロと舐め始める。一瞬で牛のドロドロとした涎塗れになった服を見て顔をしかめながらも、御酒仁は依頼主がいる手前邪見にするわけにもいかず、伸し掛かってくる勢いの牛を手で押さえながら苦笑いを浮かべる。


 動物を治療するといつもこれだ。他の能力者の治療では聞いたことがないが、自分が治療した時に限って治療を終えた動物が妙にじゃれついてくる。

 悪い気分ではないが、人と違って遠慮がないので仕事の後はいつも服が酷い有様になる。だからこういう仕事の時はいつも安物の長袖のシャツにジーンズというラフな格好だ。


 そうしている間にますます興奮した牛が、水蒸気が見えるほどに息を荒立たせながら御酒仁の方へとにじり寄り、御酒仁の足をその数百キロはある巨体で踏みつけた。

 だが御酒仁は痛がる様子もなく、自身の足を踏みつけた牛の足の副蹄を掴みながらそっとずらすと、何でもないように立ち上がる。


「御酒仁さん本当に大丈夫なのかい? いつも牛に足を踏まれとるが……」

「あー、これくらいなら本当に大丈夫ですよ。特に痛みもありませんし」


 身構える余裕もなく踏まれていたら、少しくらいは痛みを感じたかもしれないが、事前に来ると判っていれば、仮にも一応特級なのでこれくらいの事はなんてことは無い。

 ただ身体の方は問題なくとも、身に着けている衣服の方は涎や牛が食べていたであろう餌のせいで、雨の山道で転げ落ちたような酷い有様になっている。


「さて干し草の方も早くやっちゃいましょうか。規定で時間を掛けすぎると追加料金掛かっちゃいますし」


 これは次から着替えを持ってくるべきかもな。御酒仁ごしゅじんはそう考えながら田島たしまに提案する。


「あっ、ああ。だけどいつも思うんだが、本当に正規料金だけでいいのかい? 他の能力者はよくこれを要求するって聞くが…」


 田島は言いながら、自分の服の袖に手を出し入れする。

 それを見た御酒仁は、いつの時代の表現だと思いつつ愛想笑いしながら頭を掻く。


「あー…、これでも学生の頃はヒーロー目指してた身なので、そういうのは主義に反するというか…」

「だが動物相手は人に比べると随分依頼料が安いんだろ? 同業者から聞いた話だと動物一本ではやっていけない能力者が大勢いるから、お互いの為に暗黙の了解になっていると聞いたんだが……」


 それは正しくもあり間違いでもある。

 確かに動物と人間とでは競走馬や富豪のペットなどの特殊な例を除けば、平均的な依頼料が五~六倍違うと言われている。

 畜産動物相手に治療を行うのは通常、能力者の中でも最下級の五級から一つ上の階級である四級の回復系能力者だ。四級能力者までの依頼料はたかが知れているが、御酒仁は特級能力者なので動物相手でも少しだけ基礎額が高い。

 それに加え特級能力者の中でも回復系能力者はそこそこには希少なため、政府からの補助が色々と出る。だから特級の回復系能力者なのに動物一本、しかもほぼ畜産動物相手の依頼しか受けることがない御酒仁でも問題なく生活出来ていた。


 御酒仁は、至って普通な何処にでもいる程度の動物好きであり、動物一本に絞るほどの愛着はない。しかしなぜか人間相手には能力の効き目が悪く、階級で表すと五級程度の力しか発揮しない。五級では頑張っても骨折が治せるかどうか程度であり、怪我であればほぼ全て治せるようになる四級や三級以上の能力者とは絶望的な開きがある。

 それ故に欠陥品である御酒仁の元に特級相当の依頼はまず来ることは無く、せこせこと動物相手に仕事をするしかなかった。


 田島たしまに自分が動物専門だと言った記憶はないが、同業者の間では畜産動物しか相手にしない変わった特級能力者がいることは有名な話なので、どこかから聞きつけたのだろう。


「大丈夫ですよ。特級能力者なので一人で何人分も仕事出来ますから」


 詳しい理由まで説明する必要はないだろうと考え、適当にはぐらかす。


「そうかい、ならいいんだが…。御酒仁ごしゅじんさんが治療してくれると、他の能力者とは明らかに予後が違うからね。それに干し草まで出来るのはお前さんぐらいだし、傍で見とる儂の調子も何故か良くなる気がするんだわ。だからこれからもお願いしたいから、無理はしないで欲しいんだが……」


 そんな風なやり取りを二人が牛舎で交わしていたところに突然、この場にはやや不釣り合いなスーツ姿の男性が息を切らしながら、御酒仁にぶつかる勢いで飛び込んできた。


「はぁはぁはぁ…。あなたが御酒仁さんでよろしいですか?」


 スーツの男性は手に持ったタブレット型の情報端末と御酒仁を交互に見ながら尋ねる。タブレットの画面には御酒仁の顔の画像が表示されていた。

  髪が耳に多少かかる程度のナチュラルな感じの髪型だが、高校生の時からずっとその髪型なのでいつ撮影された物なのかはさっぱり分からない。顔つきも良いか悪いか高校生の頃からほぼ変化がないことがそれに拍車を掛けている。


「あ、はい。そうですけど……」


 一体誰だろう。そして何故自分の画像が映し出されているのかと目を白黒させながら、御酒仁ごしゅじんは返事をする。


「私は能力者機構の北海道支部の者です。御酒仁さん。特級回復系能力者のあなたに、緊急の依頼があります。詳しい事情は道すがら説明致しますので、とにかくついて来てください!!!」


 男性は顔を顰めながらまくし立てる。


 能力者機構の人間なら俺が使えない特級能力者だと知っているだろうに。自虐しつつ疑いの目で御酒仁が男性の首から掛けられた無駄に高級感の漂う金属製のネームプレートを見てみると、確かに『日本能力者機構 北海道支部 事務局』と表記されているのが見えた。


 ということは緊急の依頼というのは本当のことなのだろうか。こういった経験がなくいまいち状況が飲み込み切れない御酒仁は戸惑いどうすればいいかと、意味もなく依頼主の方を見る。

 だが田島たしまも状況が飲み込めていないのか、目をぱちくりさせて立ちすくんでいる。


「えっと…今は依頼の最中でして……」

「人命が掛かっているんです! 失礼します!」

「えっ、ちょっ…」


 痺れを切らした男性が御酒仁の腕をグイっと引っ張り、無理やり外へと連れ出す。そんな様子を酪農家の田島たしまは呆気に取られた表情で見送った。



「諸事情により詳しいご説明出来ませんが、急を要する怪我人が近くの病院に搬送されたんです。御酒仁ごしゅじんさんにはその人物の治療をお願いしたいのです」

「あの…… 支部の方ならもしかしたらご存じないかもしれませんが、私は人の治療はあまり得意ではなくてですね…その期待には沿えないと思うのですが」

「その点については、こちらも把握しております。ですが病院に常駐している一級の回復系能力者では回復出来なかったんです」

「えっ、一級能力者がですか?」

「はい」


 肯定の返事を聞いて御酒仁は驚き、目を丸くする。

 人の治療を担当するのは主に三級以降からになるが、人一人を治療するだけなら三級どころか四級と特級でも大した差はないと言われているからだ。

 ただ四級の場合は重症以上の怪我場合、最後まで力が持たない可能性がある。だから命の危険性がある病気や怪我であれば三級以上が望ましいと、何かの本で見た記憶がある御酒仁であったが、一級でも駄目だという事例は今まで聞いたことがない。


「それなら、私には尚のこと無理だと思うんですけど……」

「分かっています。他の特級回復系能力者にも召集をかけていますが、御酒仁さんが一番近い場所におられましたので。ですからそれまでの繋ぎで構いません」

「はぁ…わかりました」


 要するに、能力者機構は十分努力してますよと証明するためのお飾りということか。

 とにかく俺にまで縋るということは、怪我をしたのは余程重要な人物なのだろう。

 能力者機構のお偉いさんかどっかの金持ちだろうか。

 軽く転んだだけで骨が折れたと大騒ぎして、治癒能力者を呼び出すことがあるなんて噂話も耳にしたことがある。


 適当に当たりを付けながら支部の男性と共に牧場の入り口まで来ると、そこには額から玉のような汗を湧かせている全身黒いローブに身を包んだ太め男が突っ立っていた。その男は自身の鼻を摘まみながら、真剣な表情をしてブツブツと何かを呟いている。


 あれは一体何なのだろうかと、引き気味の表情で御酒仁が支部の男性の方を見ると、視線に気づいた支部の男性が「あれは病院までのテレポートを担当する能力者です」と説明してくれた。


 あれがテレポート能力者か。

 特級能力者よりも希少だと言われるテレポート能力者まで出張るとは、いよいよお偉いさん説が濃厚だな。ただテレポート能力者まで出張るということは誰かの我儘ではなく、しっかりと緊急性が認められた事案のようだ。そんな場所に行ったとして、果たして何の役に立てるのだろうかと不安に感じる。

 支部の男性に押し出されるようにして太めの男に近づくと、接近に気づいた男が不意に御酒仁の手を力強く握り締める。


 男の手はなぜか酷くぬめっとした感触で、まるで籠いっぱいに入ったナメクジを鷲づかみにしたような気持ち悪さを感じる。太めの男性の手の感触について、御酒仁が感想を抱いたのと同時に二人の姿が掻き消え、その場に一陣の風が吹き込んだ。


 それを見届けた支部の男性は、タブレット片手に一仕事やり終えたというかのように大きく息を吐く。そして不意に目が合った木に停まっていたフクロウとアイコンタクトを交わしてから、先が見えない程に密集した木々に囲まれた砂利道に目線をやり、盛大にため息をついた。




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