第34話

 あくる日、橘行平は一体の観音像を前に、つきぬ不思議の感を覚えていた。

 観音像の顔はまぎれもなく、因幡の海で行平が出会ったものだった。それが昨晩、地神どもに襲われたあと、唐突に邸に現れたのだ。

 昨晩のできごとは、実にうつつのこととは思えないようであった。どうやったものか、恐ろしい地神どもを源左馬権頭さまのごんのかみ頼光がどこかへ連れ去って、行平たちは難を逃れた。

 頼光の部下の渡辺綱という男が夜明けまでついていてくれたが、いつまで経っても戻らぬ頼光を探しに出て、それから戻らない。

 ともに観音像を不思議に眺めている子どもたちを、行平は抱き寄せた。

 そのあたたかさも、もしかするともう感じることができなかったかもしれない。そう思うと、己の命がつながりこうして朝を迎えられたことが、ひときわ感慨深く思えるのだった。

「どうぞ左馬権頭殿が、無事戻りますように」

 そう念じているところへ、表から鶏が絞め殺されるような奇声が聞こえた。

 なんであろうと思っていると、頼光と綱が、暴れる老人を一人引き連れながら、行平の前に現れた。

「やあやあ、中納言殿。ご機嫌よろしゅう」

 のんきなあいさつをする頼光に行平は駆け寄って、

「左馬権頭殿、ご無事でしたか。やや、お前は……」

二人が連れる老人の顔を確かめて、行平は驚いた。

 蘆屋道満あしやどうまんは欠けた歯を見せて、「おう、ご機嫌よろしゅう」とあいさつする。

「これは一体また、どういうことですか」

 いやその、と口ごもる道満に代わって頼光が、

「中納言殿の死を確かめに戻って来ると思い、待っていたらやはり現れました」

と答えた。

「人聞きの悪いこと言うなや! わしは中納言殿が心配で、様子を見に来ただけじゃ」

 道満の前へ、綱がわら人形を持ってきて投げつけた。それは道満が行平に、〝守り人形〟といっていたものだった。地神たちにずたぼろに引き裂かれ、見るも無惨な有様である。

「見覚えがあるな?」と頼光が問えば道満は、

「まあ、素敵なお人形」と白々しく笑う。

「お前はこのわら人形を使って、中納言殿をおとりにし、自分だけ助かろうとしたな」

 こう頼光が責めても、道満は「ちゃうちゃう」と言い訳をくり返す。

 まだ合点のゆかぬ様子の行平に、頼光は次のように語った。

「これは、道満の身代わりのわら人形だったのです。地神が道満を殺したと思わせるための。だがわら人形だけで、簡単にだまされてくれる相手ではない。だから中納言殿のとなりに置いていった。中納言殿はまぎれもない本人なのですから、相手はとなりの人形も本物の道満だと思い、術がかけやすくなる」

 行平が顔面蒼白となる一方、道満はあがき暴れて、

「そんなわけないやろ。わしの術がすばらしかったからほれ、現に中納言殿は生きとるやないか。まあ、今回はボランティアゆうことで、謝礼はええわい。ひゃあ、わしってば太っ腹!」

などとわめいている。その襟を綱が吊るし上げ、

「中納言殿が助かったのは、殿のおかげだ」

と睨みつける。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る