第33話

 地神はひるんだものの、拳などものともせずに、頼光の胸ぐらをつかむ。

 その背後では、他の地神が行平を捕まえようとしていた。

 頼光は太刀を捨て置き、身をかがめて目の前の地神の懐へ入ると、まるで相撲すまいのように地神を持ち上げて放り投げた。それを、行平を捕まえる地神に見事ぶつける。

 丸腰になってしまった頼光は、両の拳を握って地神に相対してみるものの、「無理だよなあ」とあわてて、迫る地神を右へ左へと避けた。しかしついに地神が頼光を捕まえて、頭から呑みこもうと、そのほらのような口を開いた。

 「殿」と声が聞こえて、頼光はとっさに身をのけぞらせた。すると大太刀の一閃が地神の身を切り裂いて、のけぞる頼光の鼻先をかすめていった。

「鼻がなくなるかと思った」

 頼光が己の鼻をさわって確かめていると、綱が地神の渦のなかへ乗りこんできた。

晴明せいめいのじじいはいたか」

「不在でした。しかし召使いから、これを殿にと預かって参りました」

 綱は懐から包みを出す。その内には、三枚の呪符が入っていた。

「ははあ、これは……。しかしどうして三枚なんだ」

「そう言われましても」

 二人が思案しているところへ、地神の手が伸びる。

「殿、ここは俺にお任せ下さい」

 綱が大太刀を振るって地神を退ける、ものの、五尺もある大太刀はたちまち邸の梁に突き刺さってしまった。

 突き刺さったままの大太刀の柄を握りしめながら、綱は居心地悪い顔をして、頼光と目を合わせる。

「まあ、いい。水を斬るのも飽きてきたところだ」

 頼光は三枚の呪符を、綱と行平と末丸の額へ、次々と貼りつけた。するとたちまち、三人の姿が霞のように薄くなっていく。

「殿、これでは」

「もう声を出すな。二人を頼むぞ」

 そう言うや頼光は表へ飛び出し、地神どもは頼光だけを目当てに追いかけ始めた。

 頼光は東へ東へと向かい、ついに鴨川にたどり着くや、せっかくかかっている橋は渡らずに、ざんぶと川のなかへ飛びこんだ。

 追い駆けてきた地神たちが頼光の姿を探しまわる。

『どこへ行こうと逃げられはせんぞ』

 地神の大将が言うと、まわりの者が『やや、あれを』と川面を指さした。その先には、地神どもに大きく手を振る頼光の姿が浮かんでいる。

「おおい、遅かったな。中納言殿たちは、もうお前たちの手の届かぬところへ行ってしまったぞ。地神というのは存外、足が遅いのだな。これなら、始めから走って逃げていればよかった」

 水面に浮かぶ頼光の像が笑うと、地神どもは怒り心頭に発して、おうおうと声を合わせた。

『やかましい。では、なぜお前はそんなところにいる。走って逃げずによいのか』

 地神が川へざぶりと入り、頼光の姿に近づいてくる。

「なあ、もう一度話し合わないか。お前たちの土地を穢そうなんて考えているわけじゃない」

 地神どもは聞く耳持たず、その怒りの群衆が水をかき分け迫ってくる。

「言の葉は信じられないか。ならばその三日月に誓おう」

 頼光の指が中天ちゅうてんに浮かぶ月をさす。空にあるのは、三日月と正反対の、有明月であった。しかしそれが水面に映ると、三日月になる。

『たとえ三日月の下であろうとも、人は誓いを立てられぬもの。人はあざむくもの、哀れ人の子、食ろうてやる』

 頼光はあきらめたように、諸手もろてを差し出した。そして地神の大将は、ついに頼光の首を掻き切ってしまった。

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