第30話

 行平のとなりに座っているのは道満ではなく、道満の格好をしたわら人形であった。

「これはどうしたことか。道満殿はどこへ……」

 そのとき、邸の門がひとりでに開き、激しい風が邸内に吹き荒れた。ふすま屏風びょうぶは破れて吹き飛び、家財はひっくり返り、そして何者かが床を破らんばかりに踏みならし、こちらへ近づいてくる。

 行平は末丸を抱えて、塗籠ぬりごめの中に逃げこもうとした。ついに地神どもが宴の間になだれ込んできて、家の者たちを次々と引っつかみ、表へと放り投げながら、行平のもとへまっすぐに向かってきた。

 行平のそばにあった、あのわら人形が地神にむんずとつかまれ、一瞬でその首が引きちぎられた。手足も四方に引っぱられて、わら人形は行平の目の前でばらばらになってしまった。

 この騒動で灯りは消えてしまい、表から入る薄い月明かりのほかは、一面の闇である。

 たけ十尺じゅっしゃくはあろうかという地神どもが集まり、わら人形を夢中になって引き裂いている。

 深い森に茂る、羊歯しだの葉の裏のようなにおいが、邸内に広がっていた。

「なぜ、今日は三日月では……」

 行平は魂が抜けたようになって呟いた。

 地神どもは粉々になったわら人形を放して、怒りに満ちた息を吐き出した。

『これで一人。そしてお前が、最後の一人だな』

 大将らしき地神がかがんで、大きな掌で行平の頭をむんずとつかみ、つるし上げてしまった。末丸がけたたましく泣き始める。

 大将の黄色いまなこが行平を刺すように睨み、その口が大きく開かれる。暗い穴のような口の中に舌がのたうち、歯がずらりと並んで行平に迫る。行平の頭が瓜のように、たやすく砕かれてしまうに違いない。

 そこへどこからか、「中納言殿、お届け物ですよ」というのんきな声が聞こえてきた。

「おや、どうやら立て込んでいるようですね。勝手に上がらせて頂きますよ」

 そう言って飛びこんできた頼光が、地神の頭をひとつ、ふたつと踏みつけて、行平を捕まえている大将の頭を後ろから蹴り飛ばした。転げ落ちた行平を、頼光はすかさず背中にかばう。

「随分気の早い地神のようですね」

左馬権頭さまごんのかみ殿」

 地神たちが闖入者ちんにゅうしゃを認めるや、その一体となった敵意が頼光を襲い、頼光の四肢はその場に釘で打たれたように動かなくなった。

『我らの前に立つとは何者じゃ。邪魔だてするなら、貴様も食うてくれる』と地神どもが迫る。

 頼光は深く呼吸をして、縛られたようになっている体の感覚を取り戻し、

「あいや、待たれい地神殿。あなた方にご無礼を働いた件、ことに申し訳なく思い候。お怒りはごもっともなれど、どうかこの男の命取ることばかりはご容赦願いまする」

とあやまり、頭を下げた。

 しかし地神の怒りは少しもおさまらず、

『この者らは罪を犯した。命で償うより他ない』

『差し出せ、差し出せ』

『お前も食ろうてやろか』

と声を合わせて迫ってくる。

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