第25話

 それからしばらく過ぎて、中納言ちゅうなごん橘行平たちばなのゆきひらから何の音沙汰もないことを不審に思われた千手関白せんじゅかんぱくは、頼光よりみつに申しつけ、四条にある橘行平の邸をたずねさせた。

「中納言殿、源左馬権頭げんさまごんのかみ頼光です。いらっしゃいませぬか」

 このように何度も呼ばわるのだが、行平邸の門はぴたりと閉まったきりで、邸の者も姿を見せない。

「さてな、主人が留守でも、使用人まで留守とは考えにくい。引っ越しでもしたかな」

 そこへ綱がやって来て、

「近所の者にたずねましたら、時折使用人は出入りをしているそうです。物忌ものいみではありませんか」

と報告する。

 物忌みとは、悪夢を見たりけがれにふれたり、何か凶事の予兆があるときに、謹慎することである。

「しかし門前に物忌み札がない。千手様に便りのないのも妙だ」

 頼光が門の隙間から邸の内をのぞいてみると、門の内側に何やら札のようなものが、おびただしく貼ってあるのが見えた。

「千手様は寺の建立を楽しみにしておられる。その話をせずには帰れまい」

と頼光は言いながら、邸の生垣のほころびているところから、庭へと入りこんだ。

 門を庭側からたしかめてみると、そこにはまじない札がびっしりと貼られていた。陰陽道か仏教か、はたまた何のものかわからぬ札が寄せ集まっている。

「おおい、中納言殿いらっしゃるんでしょう」

と大声で呼ばわってみると、ぴたりと閉まっている邸の蔀戸しとみどの内から、何者かがこちらの様子をうかがっている気配がした。

「源左馬権頭頼光でござる。千手様の命を受けて参りました」

 すると蔀戸の向こうから、

「開けてはならぬ。きっともののけが人に化けておるのじゃ」

と、ひそひそと話す声がした。じれた綱が、

らちがあきませんな。戸を壊しましょうか」と言うが、

「おいおい、俺たちは雅な平安男子だぞ。すぐに武力に訴えるのはやめたまえ」と頼光が止める。

 すると中からまた声がして、

「どうももののけらしい。人にしてはちと不格好じゃ」とか、

「そうじゃそうじゃ、左馬頭さまのかみというよりは、馬の尻に見ゆる。下手に化けたものじゃ」などと話すのが聞こえてきた。

 それを聞くや、頼光は蔀戸をためらいなく蹴破った。

「殿、雅な平安男子とかいうのは……」

 綱があきれる。

「今ちょうど留守だ。おい、ふざけたことを言っているのはどこのどいつだ!」

 そう乗りこめば、隠れていた者たちが、「もののけが襲ってきた」とあわてふためく。

「誰がもののけだ! もののけ左馬尻だと? そんな名は聞いたこともない。それならこいつは右の尻か?」

 頼光がかたわらの綱を指さす。

「殿、俺は尻にはなりたくありません」

「俺もだ! こいつら、皆叩き切ってやる。そこへ居並べ!」

 刀を抜き、まるで狂人のように邸へ乗りこむ頼光を、綱は押しとどめ、

「殿、千手様の御用があるのは中納言殿です」

「そうだった。行平の尻め、神妙に出て参れ!」

などと頼光はわめきながら邸の内を巡って、主の橘行平を探しまわる。

「殿様、大変です。もののけが入りこみました」

 使用人が行平の元へ駆けこめば、奥にいた行平は震えだして、

「なんと、あのように守り札を貼り巡らし、高僧にも祈祷してもろうたというに。おそろしや地神ども、もはやこれまでじゃ」

「いえ、地神ではなく、もののけ馬の尻だとか」

 馬の尻とは何かと問答しているところへ、ついに頼光が乗りこんできて、

「見つけたぞ、橘行平。その尻、二つに割ってくれよう」と太刀を振りまわした。

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