第23話

 肥土ひよどの郷からひとつ山をへだてたところに、美しい泉があった。水面は澄みわたって、鏡のように空を映している。まわりに生い茂る木々らは、その美しさにこうべを垂れるように傾いていた。

「なんともうるわしい景色ではありませんか」

 ほとりにてそう感嘆するのは、中納言ちゅうなごん橘行平たちばなのゆきひら

「陰陽師殿、関白殿下が造営をお命じになった寺は、このあたりに建てるのはいかがでしょう。陰陽師殿、聞いていますか」

 行平がしつこく声をかけると、色黒の頭に綿わたのような白髪がのっている老人が、

「うっさいわ! 今、真剣に計算しとんねん。だいたいな、わしゃただの陰陽師やないで。天下一の陰陽師・蘆屋道満あしやどうまん様じゃ」

と、歯抜けた口から唾を飛ばして答えた。

 千手関白から新しい寺の造営を命じられた中納言・橘行平は、陰陽師の蘆屋道満や、仏教の僧侶やその他召使いとともに、寺の造営地を選定しているところであった。

「なんでわしがこんなつまらん仕事をせなならんのや。こういうのは、陰陽寮おんみょうりょうの奴らがやったらええのに」

「陰陽寮は春日祭かすがさいの支度で忙しいらしく……」

「ああ、藤氏とうし春日大社かすがたいしゃかいな。聞けば、都の祭りより盛大らしいやないか。ほんまに藤氏ちゅうのは、腹が立つやつらやで。毎日、酒飲んできれいな姉ちゃんと遊んどんのやろ。ほんまうらやましいわい」

 歯ぎしりする道満に、行平は「それでこの地について、道満様のお見立てはいかがですか」とたずね直した。

「まあ、ええんちゃうか。方角的にもばっちり! ちょっとばかし陰気やけど、ここらの木もぱぱっと片付けたら、すっきりするわい」

左様さようですか。では、関白殿下にそのようにご報告しましょう。さて日が傾いて参りましたから、今日のところは里へ下りましょう」

「えらい急ぐやないか。その前に、ちょっともよおしたわい」

 道満は泉に放尿ほうにょうし、帰路につく一行のあとを追った。

 道中、道満は馬上にありながら、「天下一の陰陽師・蘆屋道満様の活躍知っとるか」と自慢話をしたり、「坊さん方、あんたらシュッとしてんなあ。寺に住んでるっちゅうことはそりゃ、テラスハウスちゅうやつやろ?」などと冗談を言い続けていたが、途中からとつぜん押し黙ってしまった。

 他の者たちは道満のおしゃべりに辟易へきえきとして、少し先を行っている。ただ行平は気になって、

「どうかされたのですか。いまさら時代考証を気にされているとか……」

と声をかける。

「ちゃうわ、ぼけ。このわしが時代考証なんぞ気にするか。大体、片仮名は南都なんとの坊さんたちが使い始めてから、もう二百年ぐらいは経っとるんや。十一世紀のニュージェネレーションのわしらが使ったかて、なんのおかしいこともあらへん」

「それはそうですが、あまりやり過ぎると、風情というものがなくなってしまいまする」

「わしはテラスハウスでもライブハウスでも、なんでも言うてやるわい! って、そんなこと言うとる場合ちゃう……」

 道満の黒い額には脂汗がにじみ、歯は苦々しく噛み合わせている。

「つけられとる」

「え、誰にですか」

 行平が後ろをふり返ろうとするのを、「見るな。見たらおしまいや」と道満が強い口調で止める。行平はにわかにおそろしくなって、青ざめた。

「生きて帰りたかったら、わしの言う通りにするんや。ええな」

 こう言われて、行平はおとなしく頷いた。

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