第11話

 現実を目の当たりにした頼光は、「いやだ、起きたくない。お勤め行きたくないよ」とふすまをかぶりなおす。

 普賢丸がそれをはぎとって、

「兄上は仮にも我が家の大黒柱、清和源氏せいわげんじの頭領なんですよ。お勤めに行かなくてどうするんです」

「いやだいやだ。俺はずっと、衾ちゃんと生きていくんだ」

 駄々をこねる頼光をよそに、普賢丸は水桶みずおけを用意し「顔を洗って」と兄に命じれば、頼光はしくしくと泣きながら顔を洗い始める。

「普賢丸様、殿のお食事はこちらにお持ちしますか」

 御簾みすの外から女房の声がする。

「いいえ、いつものように皆で食べます。それがうちの決まりですから。さあさ兄上、行きますよ」

 引っぱって行こうとすれば、

「あ、まだ今日の運勢を見てなかった。もしかしたら出仕しゅっししない方がいい日かもしれない」

と、頼光は机の上に放ってある巻物に手を伸ばした。

「そんなわけないですよ。昨日も見ていたじゃないですか」

 頼光は「あきらめたら試合終了だぞ。先生、蹴鞠けまりがしたいです」などと言いながら、巻物を開いて、二月某日ぼうじつの項を読み始めた。


二月某日 庚子かのえね 吉な方角、馬

 仕事、ええんちゃう

 外出、ええんちゃう

 争いごと、ぼちぼちやな

 恋愛、いけるんちゃう? 知らんけど

 

「なんだこのふざけた占いは!」と、頼光は巻物を投げつけた。

晴明せいめい様の占いはいつもそんな感じですよ」

「あのじいさん、本当にすごいのか? 〝幸運を呼ぶ持ち物、草〟って何だよ。こちとら高い金出して占ってもらってんだぞ!」

「はい、庭の雑草。これ持って、はりきって行って下さい」

 普賢丸に草をひとすじ持たされて、頼光は部屋から引っぱり出される。

 続いて普賢丸は、次男の頼親よりちかの部屋の前で声をかける。けれど部屋の内には、頼親の気配はなかった。

「あいつ、また帰っていないのか」

「そうみたいですね」

 顔をくもらせる普賢丸の背を、頼光は励ますように叩く。

「まあ、大人になるには、色々と経験しなきゃいけないのさ。時には盗んだ牛車ぎっしゃで走り出したりな」

「牛車は遅い」

「きしむ牛車のなかで和歌を詠み合ったりするんだよ」

「雅か」

 などとかけ合いしているところへ、「殿、おはようございます」とまっすぐな声が聞こえた。

 朝一番にやってきたのは、家来の渡辺綱である。その足のまわりへ、まとわりつくように黒毛の犬がうろついて、尻尾をちぎれんばかりに振っている。

「おお綱、おはよう。今日も元気に尻尾を振って」

 そう腕を広げる頼光の胸に、犬が飛びこみ、嬉しそうに頼光の顔を舐めたくる。

「殿、綱はこちらです」

 焦る綱に、普賢丸が「冗談ですから」と静かに言う。

「綱は冗談の通じないやつだからなあ」

「修行不足です。申し訳御座いません」

 綱は己に憤るように、眉を寄せる。

「いや、修行の問題じゃないな。子どもの頃からなんだから、もうこれは素質がないに違いない」

 頼光が言えば、綱は「そんな……」と絶望を浮かべる。

「大丈夫ですよ、綱殿。子どもの頃から、冗談しか言えないような人よりましです」

「普賢丸、誉めるなよ」

「誉めてない」

 などとこんなやり取りが、毎日あるのだった。

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