第9話

「今日はいいお天気ね。頼光の物忌みものいみも明けるし、はりきって湯漬けを作らなきゃね」

 そう言って、湯漬御前は腕をまくる。貴族の女性らしからぬ小袖姿で、髪も結んでいるのは、手ずから料理をするため。

「御前様、お手伝いしましょうか」

 紀代が声をかけるのだが、

「湯漬けのことは、私に任せて。紀代はおいしいおかずを作ってちょうだいね」

と、湯漬御前は答えて、干し飯ほしいいを取り出す。

 干し飯に湯をかけ、やわらかくして食べるものを湯漬けという。湯漬御前は、その湯漬けに並々ならぬ情熱を持っていた。あれやこれやと季節の具を載せたりして、年中湯漬けを食べている。湯漬けが一番のごちそうと信じているようで、子どもたちにも、また客人にも特製の湯漬けを食べさせる。その変わりぶりから、いつからか〝湯漬御前〟と呼ばれるようになった。

 ちなみに囲炉裏でおいしそうに煮える粥は、紀代や使用人たちの分である。

「味ひとすじ!」などと息巻きながら、湯漬御前はさっそく海苔を刻み、ごまをすり潰しなどして、いそいそと湯漬けの支度をしてゆく。

「最近思いついたのだけれど、かけるのだって何もただの湯じゃなくてもいいのよね。出汁とか、あとはお茶をかけたら、いい香りになっておいしいんじゃないかしら」

 目を輝かせる湯漬御前に、紀代は思わず「そんなもったいない」と声をもらした。

 お茶は海をへだてた大陸の薬である。

「この間、頼光が病悩びょうのうしたときに、千手関白せんじゅかんぱく様がくださったでしょう。頼光が飲むのを眺めながら、おいしそうだなあって」

「そんなことを考えてらしたんですか」と、紀代があきれる。

「とてもいい香りだったじゃない? またくださらないかしら。頼光が病悩しないとだめかしらねえ」

「とりあえず、出汁から始めたらいかがですか。今度、出汁の取り方をお教えしますから」

 子息の病を願うなどとんでもない。紀代があわてて提案すると、湯漬御前は手を叩いて喜んだ。

 そこへ、浅葱色あさぎいろ水干すいかんを着た少年が顔を出した。

「おはようございます。母上、紀代」

 膝を折ってあいさつをするのは、頼光の末弟の普賢丸ふげんまるである。齢は十一になる。

「あら、おはよう普賢丸。今日は湯漬けよ」

 湯漬御前が言えば、「今日も、ですけど」と、普賢丸は呟く。

「違うのよ、毎日違うの。一日だって同じ湯漬けはないのよ」

「はあ」

「湯漬けって、何にでも合うのよ。秋はきのこ、冬は乾物、春は山菜を、夏にはさっぱりと水飯にもできるし。そう考えると、毎日楽しみで仕方ないでしょう」

「では、今日は何の湯漬けなんですか」

 普賢丸が仕方なさそうにたずねると、

「母上の気まぐれ湯漬け。秋の煮物を添えて」

と湯漬御前はうそぶく。

「気まぐれとかおまかせって、便利な言葉ですね」

「湯漬けで毎日元気。うまい、もう一杯! ってね」

「それは青汁」

「さあさ、細かいことは気にしないで。ほら、兄上たちを起こしてきてくれる?」

 湯漬御前に言われた普賢丸は、ひとつ気合いを入れて、頼光の寝起きする寝殿しんでんの方へ向かった。

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