脆(もろ)い北陸3県への戦力増強 『越乃国戦記 前編(5式中戦車乙2型/チリオツニの開発 1945年夏) 第12話』
■10月4日(木曜日)午前10時 金沢城内の金沢師管区司令部
戦略的に殆(ほとん)ど価値が無い北陸の福井、石川、富山の3県へは、ソ連軍の上陸を防止するという理由だけで、2ヵ月以内にアメリカ軍の上陸攻撃が開始されるだろうと、私は考えていた。
断崖(だんがい)が続いて大兵力の揚陸(ようりく)に適さない福井県嶺北(れいほく)地方の越前(えちぜん)海岸で上陸作戦が可能な海岸は、若狭(わかさ)湾と石川県に近い三国(みくに)の浜だが、若狭湾沿いは岩山が迫(せま)る狭(せま)い平地の地形で、其(そ)の海沿いの道は片側が絶壁(ぜっぺき)、反対側が断崖の狭くて路肩の崩れ易い危険な砂利道(じゃりみち)で、トラックやバスの擦(す)れ違(ちが)いが難(むず)しい。
内陸部の福井平野南端の武生(たけふ)地区まで険(けわ)しく長い山間の国道12号線を通るしかないが、未舗装の狭い道幅の路肩(ろかた)は30tを越える超大型の重量車輌の通行に対応していない。
それに加(くわ)えて、相次(あいつ)ぐB29爆撃機からの機雷投下で厳重(げんじゅう)封鎖(ふうさ)されているから、敵の船舶は若狭湾に近付かないだろう。
福井平野への侵攻は、滋賀(しが)県の余呉湖(よごこ)から県境(けんきょう)の山地の栃の木峠(とちのきとうげ)を越えて今庄(いまじょう)地区へ出る北国(ほっこく)街道を通って可能だが、道筋は国道12号線よりも険(けわ)しくて長く、路面も同様に重量車輌の通過は困難(こんなん)で、唯一(ゆいいつ)陸路から重量40t近くの敵戦車が侵入できるのは鉄道路線だけだった。
福井市へ進軍し易(やす)い三国の浜から石川県へは、多い河川と県境の山地が速(すみ)やかな進撃を妨(さまた)げるだろう。
海岸真際(まぎわ)まで深くて海岸線全体が丸(まる)く弧(こ)を描く富山湾は、殆どが砂浜で、大規模な肉迫上陸が短時間で可能だが、艦砲射撃で援護(えんご)する戦艦群や兵員や物資を満載した輸送船は、湾内全体から狙(ねら)い撃(う)ちされてしまうし、接近する空母群も能登半島から所在(しょざい)を把握(はあく)され、七尾湾に潜(ひそ)む特別攻撃艇や特殊潜航艇で攻撃されて、何(いず)れも多大な損害を被(こうむ)ると予想されている。
となると、福井県との県境から中能登まで砂浜が長大に続く石川県の海岸は、最小限の損害で大規模な上陸が可能だと判断されるだろう。
ただ、遠浅(とおあさ)の海岸は沖合(おきあい)で上陸用舟艇が発進する事となり、我が軍の防御射撃を長時間浴(あ)びる事になる。だが、彼らは乗り上げた舟艇が砂地の海底から離岸できなくなる事など気にせずに、上陸する兵士達を溺(おぼ)れさせない為(ため)にも、満潮時に全速で可能な限り岸近くまで勇敢(ゆうかん)に突っ込(つっこ)んで来るだろう。
それに、遠浅な海岸にこそ、水陸両用戦車が適(てき)していて、舟艇よりも先に何列もの横並びになった水陸両用戦車で上陸して来る筈(はず)だ。
また、大型艦船は不用意に海岸へ接近できないので、奥深い艦砲射撃は出来ない。
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昭和20年10月上旬の福井県は第53師団の徴兵区(ちょうへいく)とされていて、敦賀市に駐屯(ちゅうとん)していた配下の歩兵第119連隊は第53師団に移籍して滋賀県の大津(おおつ)市に移駐していたが、昭和19年にビルマ方面へ派遣(はけん)されて、現在は、ビルマ南部のシッタン川の渡り場を守備中らしいが、連合軍は全戦域で攻勢を掛けているから、既(すで)にタイの国境を越えて転進(てんしん)という名の後退をしているかも知れない。
福井市の南隣に位置する鯖江(さばえ)市に駐屯していた第28師団所属の歩兵第36連隊は、昭和19年に満州(まんしゅう)国のチチハルに移駐し、更(さら)に、沖縄県南大東島(みなみだいとうじま)へ移駐しているらしい。
敦賀市に駐屯していた歩兵第19連隊も昭和15年に満州へ派遣された後、昭和19年7月に沖縄(おきなわ)本島へ移駐し、更に、昭和19年12月末に台湾(たいわん)へ移動していた。
従(したが)って、昭和20年8月の福井県には嶺北・嶺南(れいなん)の両地方共、中隊規模の留守(るす)部隊と敦賀市と大野(おおの)郡の捕虜収容所の監視兵以外に、郷土の防衛を担(にな)う陸軍部隊の兵力はいなかった。
富山市に駐屯していた第9師団所属の歩兵第35連隊は、昭和15年に満州に駐屯地を移した後、昭和19年7月に沖縄本島へ移駐し、更に、昭和19年11月には台湾へ移動した。
金沢市の第9師団所属の歩兵第7連隊も昭和15年に満州に派遣された後、昭和19年7月に沖縄本島へ移駐し、更に、昭和19年11月には台湾へ移動している。
富山県と石川県も第9師団が台湾防備に移動した後は、帝国陸軍の戦闘部隊は皆無(かいむ)の状態になっていて、北陸3県の防衛は、小松飛行場他、北陸に点在する飛行場の海軍や陸軍の航空部隊と主要な港を警備する海軍陸戦隊と施設(しせつ)部隊に陸軍の船舶工兵、防空の任務を担当する僅(わず)かな陸軍高射砲部隊、駐屯施設に勤務する内勤部隊、後は、雑務を行う軍属(ぐんぞく)と若年(じゃくねん)の勤労奉仕隊や再招集者で組織する国民義勇隊で担うしかないが、移駐した師団や連隊が管理する武器弾薬庫を開放して残された在庫を総浚(そうざら)いしても、小銃、拳銃(けんじゅう)、機関銃、手榴弾(しゅりゅうだん)など、各自が携帯(けいたい)する武器が全(まった)く足(た)りなくて、国民義勇隊から結成された国民義勇戦闘隊の凡(およ)そ8割の隊員は、包丁(ほうちょう)、鉈(なた)、手斧(ておの)、竹槍(たけやり)からシャベル、鶴嘴(つるはし)、鍬(くわ)、鋤(すき)などの貧弱(ひんじゃく)な武装を携(たずさ)えるしかない有様だった。
一部の士族の家柄や加賀の一向一揆(いっこういっき)に加担(かたん)した先祖を持つ農家からの義勇戦闘隊員達は、家宝の刀、短刀、槍(やり)、薙刀(なぎなた)、弓矢(ゆみや)などを持参して来て、防衛隊の誰も彼もが血気(けっき)盛(さか)んで勇(いさ)ましい。
其の様な切迫する状況でも、予想される連合軍の北陸上陸に備(そな)えて、関西(かんさい)や瀬戸内(せとうち)方面から海軍の余剰(よじょう)兵器と弾薬が操作兵達と共に、続々と鉄道輸送で送り込まれて新(あら)たに造営された陣地に展開中だ。
それに、M4戦車を撃破できる近接戦闘の決戦兵器として、遠路ドイツからの回航に成功した潜水艦によって運ばれたドイツ人技師と製造技術で開発された携帯火器が3000丁と、其の弾薬が関西の造兵廠(ぞうへいしょう)枚方(ひらかた)製造所と関東の相模(さがみ)陸軍造兵廠から製造冶具(じぐ)と共に、1号試作車と資材が移動し終えた直後に小松製作所へ送られて来ていて、取り扱い指導要員の養成教育が為(な)された。
それはチリオツニの展開配備と同時に、福井県嶺北地域と富山県西部域と石川県の金沢市辺(あた)りから加賀(かが)地域へ配備され、養成された指導要員が現地で射手に操作の訓練を行っている。
其の携帯決戦兵器は開店休業中だった小松製作所の敦賀工場でも冶具と工程を複製して量産中で、福井県南部や滋賀県への配備が進められていた。
戦略的に全く重要では無い北陸地方の3県に、防衛戦力の配置が空白だという理由で、極少数とはいえ完成したばかりの5式中戦車改や最新鋭の決戦兵器が投入配備されて行くのを、私は不可解(ふかかい)に思っていたのだが、其の本当の理由を後日(ごじつ)知る事になる。
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金沢市の北方に在る河北潟(かほくがた)は石川県最大の大池で、高さ40m~60mの大きな砂丘(さきゅう)の連(つら)なりで日本海と隔(へだ)てられていて、金沢市の市内北側を流れる浅野川(あさのがわ)は河北潟へ注(そそ)ぎ、更に、河北川で大野湊(おおのみなと)から日本海へと流れている。
其の河北川の河北潟近くの砂丘側に海軍の水上機基地と、南側に金沢飛行場が在(あ)ったが、殆ど使用されていなかった。
金沢市北側の河北潟や金沢飛行場の周辺は湿地帯で、葦(よし)の草原と蓮根畑(れんこんばたけ)や深田(ふかだ)ばかりが広がり、チリオツニの重量に耐える道は、金沢市の卯辰山(うたつやま)の麓(ふもと)を流れて河北潟へ注(そそ)ぐ浅野川の土手脇(どてわき)を走る民間鉄道の線路上しか無いが、先日の台風の豪雨で河北潟が氾濫(はんらん)して、金沢駅から大野湊の対岸になる粟ヶ崎(あわがさき)地区の駅までの道程の3分の1が冠水(かんすい)した。
こうなると粟ヶ崎へは、ずっと北の能登半島の付け根辺りになる河北郡宇ノ気(うのけ)村から砂丘を南下するか、小船で行くしかないそうだ。
犀川(さいがわ)や伏見川(ふしみがわ)の土手は決壊(けっかい)しなかったが、依然(いぜん)として濁流(だくりゅう)で水量が多く、河口付近の低地は冠水して、犀川河口の宮腰(みやこし)から大野湊までの金石(かないわ)の砂丘や粟ヶ崎の砂丘が島のように見えていた。
金沢市正面の宮腰の漁村から大野の湊町までの金石砂丘際の湿地や沼も溢(あふ)れて、胸まで浸(つ)かってしまう場所も多かったが、金沢駅から宮腰へ至(いた)る直線道路の金石街道と街道沿いに敷設(ふせつ)されている電車の線路の上だけは通る事が出来た。
粟ヶ崎地区から金石地区まで周辺の水田も冠水してしまい、水位は深いところで湿地の深田くらいになっている。
無線で梯団(ていだん)の各車に周辺の台風被害を報告させると、大聖(だいしょう)寺川(じがわ)の水位は危険域に上昇しているが氾濫や冠水被害は無く、富山県の高岡(たかおか)市と新湊(しんみなと)の地区も被害は無かったが、小松市の柴山(しばやま)潟(がた)と今江(いまえ)潟(がた)は溢れて周辺の低地の田畑や住宅地が冠水し、それに、能美(のみ)郡の梯(かけはし)川(がわ)流域と石川郡(いしかわぐん)の手取川(てどりがわ)流域の低地の各所でも冠水が多発していた。
心配された海軍小松飛行場と小松製作所への被害は無かったが、冠水と泥濘(ぬかるみ)で資材の搬入(はんにゅう)と防衛陣地の構築に遅(おく)れが発生している。
此(こ)の儘(まま)、更に新たな台風が通り過(す)ぎ、天候が優(すぐ)れない内に寒気(かんき)が来て、冷たい時雨(しぐれ)が降り出せば、第1中隊の1号車と2号車が守備に就(つ)くどちらの地区も、チリオツニと敵のM4戦車は行動を著(いちじる)しく制限されてしまうだろう。
つづく
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