5式中戦車乙2型の走行試験と88㎜砲の射撃訓練『越乃国戦記 前編(5式中戦車乙2型/チリオツニの開発 1945年夏) 第10話』

■昭和20年9月22日(土曜日)午前8時 大聖寺町片野海岸


 5式中戦車乙2型、通称チリオツニの走行性能を確認する試走検査は、9月20日から工廠内の試験コースで行われ、御殿場(ごてんば)の富士裾野(ふじすその)演習場での試験時よりも空重量で3t近くも重くなっているのに、強化したコイルスプリングのサスペンションとBMW社のエンジンの安定した高馬力の御蔭(おかげ)で計画値通りに達成できていた事が分かり、製造に関(かか)わっていた技術及(およ)び管理の関係者と工員達は大(おお)いに喜(よろこ)び、其(そ)の晩は朝までの祝宴(しゅくえん)となった。

 それと、小松製作所が得意(とくい)とする高マンガン鋼製の幅600㎜の履体(りたい)は予想以上の強度で、チリオツニを軽快に疾走(しっそう)させた。

 初めて間近(まぢか)で見て体験した時速40㎞以上にもなる全力走行で駆(か)け抜ける巨体は恐(おそ)ろしいくらいの迫力(はくりょく)で、今までに無い火力と走破性は敵戦車との戦闘で勝ち抜(ぬ)く自信を我々に強く与(あた)えてくれた。

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 99式高射砲の駐退器(ちゅうたいき)を2本から強化仕様(しよう)の1本にして砲塔外へ露出(ろしゅつ)させたり、動作部分を小さく纏(まと)め直(なお)してたりして、強引に搭載した最初の車輌が完成すると、直(ただ)ちに小松製作所小松工場から無蓋(むがい)の平床貨車(ひらどこかしゃ)に積載されて大聖寺(だいしょうじ)駅まで運ばれ、新設された重量貨物用のプラットホームから降(お)ろされた。

 其処(そこ)からは、走行試験を兼(か)ねながら片道8㎞の丘陵地帯の砂地の道を自走してから、砂漠(さばく)のような低い砂丘を越えて到着した長い直線の砂浜が広がる片野(かたの)の浜で、主砲の45口径88㎜砲の試射は行われた。

 試射は、徹甲弾(てっこうだん)を500m、1000m、1500mの距離で、それぞれ10発ずつ、舞鶴市(まいづるし)や敦賀市(つるがし)や七尾市(ななおし)の海軍工場から無許可というか、勝手(かって)に探(さが)して貰(もら)い受けて運んで来た、貫通(かんつう)可能と予想された1m四方大の100㎜厚の防弾鋼板を倒(たお)れ角度40度で固定して、照準精度、集弾性、貫通力、そして、搭載した取り付け強度などの射撃の反動による影響(えいきょう)の調査が行われた。

 標的となる鋼板は低い砂丘へ縦横(じゅうおう)に敷設(ふせつ)したレールの上を人力で走るトロッコに固定され、標的距離の変更や動体標的の移動では、トロッコに繋(つな)いだワイヤーを電動モーターで巻き上げて移動させた。

 射撃試験の結果は全(すべ)ての射距離で、徹甲弾が海軍の100㎜厚防弾鋼板を貫通した。

 徹甲弾の弾頭は従来(じゅうらい)の炭素工具鋼のマンガン、クローム、モリブデンなどの成分を更(さら)に含有(がんゆう)させると、高圧力の鍛造(たんぞう)で形にしながら高密度の比重(ひじゅう)の鋼(はがね)にする。

 それを数度の焼き入れと焼きなましを経(へ)て、金属分子の結合強化と硬度鈍化(どんか)の調質がされている。そして、弾頭内には空洞(くうどう)が有り、其処に詰(つ)められた200gの炸薬(さくやく)で敵装甲板を貫穿(かんせん)後に爆発するが、計測試験では弾頭から炸薬が抜かれて、代(か)わりに同重量の砂が詰められていたから爆発はしない。

 呼称(こしょう)と記載名は徹甲弾だが、実際の弾種は徹甲榴弾(てっこうりゅうだん)になる。

 計測された初速(しょそく)は秒速800mで高射砲仕様と同じで、変化はなかった。

 初弾(しょだん)から500m先の標的に命中して、立ち会った関係者全員に感嘆(かんたん)を吐(は)かせ、更に実際重視で行われた射距離1000mと1500mの試射でも、初弾からガン、ガン、スパッ、スパッと連続で命中して、其の集弾性と綺麗(きれい)な円形で貫(つらぬ)く貫穿力に歓声を上げて小躍(こおど)りさせた。

 集弾性は射距離全てに於(お)いて装甲板に描(えが)かれた標的円の中心、直径30㎝の範囲以内に命中していて良好と判定された。

 低伸性は1000mで2㎝、1500mで5㎝の下(さ)がりだったが、800m辺りまでは弾道が低伸(ていしん)しているとされて、初弾時の照準での上下角(じょうげかく)の修正は1500mまで不要(ふよう)の判断となった。

 30発の射撃の反動と衝撃で、砲塔と砲架を接合する溶接の一部が剥(は)がれたり、取り付け固定のボルトが何本か緩(ゆる)んだりしただけだったので、対策は強度向上の補強骨組みの増加装着と締(し)め付けたナットの緩(ゆる)み防止線材を溶接するだけで、構造の見直しには至(いた)らなかった。

 砲架の固定と照準器の連動を補強し終えると、試射で問題発生の有無を確認して合格判断ならば、次の移動標的への射撃訓練へと移行する。

 射距離500mで電動巻き上げ機による横へ50mの移動をする標的に対して、左右への見越し射撃を命中するまで数回訓練させて砲手達に狙(ねら)う感覚を体得(たいとく)させたが、横移動する標的への各車の命中率は5割程度で実践までに更なる鍛錬(たんれん)が必要だった。

 以後、車輌が完成する度に片野の浜で試射と走行試験と射撃訓練が行われ、帰りは大聖寺駅近くの料亭で宴会と宿泊するのが常套(じょうとう)となった。

 射撃訓練での外(はず)れた弾は大抵(たいてい)、後方の砂丘へ刺(さ)さって砂埃(ぼこり)を舞い上げていたが、時々だが、合計5発が着弾位置を目視できないくらい遠方に飛んで行き、3発が4㎞離れた片野の浜の北端に在る片野集落の背後に聳(そび)える凝灰岩(ぎょうかいがん)の断崖(だんがい)に命中して、粉砕(ふんさい)した岩の欠片(かけら)を文字通りに集落へ土砂降(どしゃぶ)りさせていた。

 集落の上を飛び越えて行った砲弾に、カンカンに怒(おこ)った村長や上役達が海軍小松航空隊の司令部に怒鳴(どな)り込んで来て、散々謝罪させられて見舞金を支払う事になり、真(まこと)に申し訳ない次第(しだい)だった。

 実際、我々が守るべき国民を死傷させて財産を破壊するなど、本末転倒(ほんまつてんとう)の有り得ない事だった。

 嘆願(たんがん)された近隣(きんりん)への安全が確保できるであろう海方向への射撃方向の転換(てんかん)は、それに向けての諸項目を調査検討中に6輌の照準調整と射撃訓練は終了してしまった。

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 4月頃に新設されて帝都周辺や九州へ配置している戦車連隊は、編成すべき戦力の3式中戦車と4式中戦車の製造が停滞気味の所為(せい)で、定数の4分の1か、5分の1しか保有していない有様だと聞いている。

 完成した6輌のチリオツニは製造中から、3輌ずつで2小隊にするか、2輌ずつで3個小隊にするか、そして、何処(どこ)に何輌を配備するかで検討が重ねられた。

 少ない数輌での遣(や)り繰(く)りだが、チリオツニは1輌で3式中戦車の1個中隊以上の強力な戦力になるとされて、6輌という侘(わび)しさなのに、『独立戦車梯団(ていだん) 越乃国(こしのこく)』という部隊名で、連隊相当の戦力扱(あつか)いになった。そして、越乃国梯団は結局、3個中隊編成になり、1個中隊はチリオツニが2輌、梯団戦力は1個連隊相当の扱いに決定された。

 梯団というのは、本来、戦闘単位、兵力単位ではなくて、進軍や行進や編隊での部隊分けの隊形や隊列を示す一般的な呼称だが、戦闘団の戦力を紛(まぎ)らわせて秘匿(ひとく)する為に、敢(あ)えて用(もち)いられた。

(まあ、実際、梯団を組める程度の車輛数だ)

 5色の市松柄(いちまつがら)の迷彩(めいさい)塗装を施(ほどこ)されて大聖寺駅前の広場での結成式に、ずらりと並ぶ6輌のチリオツニは如何(いか)にも強そうで頼(たの)もしい限りだが、『越乃国』の指揮官を拝命(はいめい)している私にすれば、たった6輌で『独立戦車梯団』とは、恥(は)ずかしくも寂(さび)しい思いがする。

 小松工場で行われた梯団設立式には、5式中戦車乙型2の開発製造の総責任者である井上芳佐(いのうえよしすけ)中将も御出(おい)でになっていて、中将から辞令(じれい)の手渡し交付と車長達6名の1階級の昇進が告(つ)げられ、私は、中尉を排任(はいにん)してから僅(わず)か2ヵ月余りで大尉になった。

 大尉とは大隊長になる階級で、梯団の長(おさ)とはいえ少人数の部隊なのに、其の昇進の大盤振る舞いは、既(すで)に末期の様相(ようそう)の戦争に終焉(しゅうえん)が近い事を感じさせた。


つづく

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