連合軍のコロネット作戦と天皇陛下の動座『越乃国戦記 前編(5式中戦車乙2型/チリオツニの開発 1945年夏) 第9話』
■昭和20年9月18日(火曜日)正午 小松製作所小松工場
『天皇陛下は、去(さ)る昭和20年9月5日に帝都から長野県松代町(まつしろまち)へ動座(どうざ)なされた。動座に伴(ともな)い、各省庁などの政府機関及び大本営(だいほんえい)も、松代宮殿近くの地下壕へ移動した。動座される噂(うわさ)は昨年から有ったようだが、切迫(せっぱく)している連合軍の侵攻(しんこう)に、まだ安全に動座していただける道筋が確保できる今の内に、皇室の方々は専用の大型半装軌動車で、岩山地下の宮殿へ動座なされました』
当初は、来年の1月に動座なされると伝えられていたのが、コロネット作戦と称(しょう)される連合軍の関東上陸が8月31日と、予想以上に早まった。そして、次々と上陸して来る強力な敵の大群の勢(いきお)いは九十九里浜(くじゅうくりはま)から次々と奮闘(ふんとう)する我が独立戦車旅団を全滅させながら防衛線を突破して、帝都に急迫(きゅうはく)していた。
房総(ぼうそう)半島から後退して帝都外周地区に展開し、帝都の最終防衛を支援する第4戦車師団の第28、第29、第30の各戦車連隊は、97式改と3式の中戦車をもってM4シャーマン戦車の大群と激(はげ)しい戦車戦を交(まじ)えていたが、撃滅されて帝都に突入されるのは時間の問題だった。
新鋭の4式中戦車も参戦しているのを知らされているが、2輌の試作車以外に何輌が量産されて、何処(どこ)の連隊へ配属されたのか、全(まった)く情報が無かった。
更(さら)に、9月3日には、神奈川県(かながわけん)の三浦(みうら)半島の葉山(はやま)海岸、湘南(しょうなん)海岸、鎌倉市(かまくらし)と横浜市(よこはまし)の浜辺(はまべ)にも上陸した連合軍が、第2、第41の戦車連隊を撃破して相模原(さがみはら)から川崎(かわさき)までの多摩川(たまがわ)を背(せ)にした防衛線に迫(せま)り、陸軍兵器開発研究所が在(あ)る各工場からは、試作の自走砲や製造途中の戦車が戦線に投入されて善戦しているそうだ。
想定以上に強力で素早(すばや)い侵攻の連合軍は、厚木、座間、相模大野、町田の各地区で激しい戦闘をしながら、更に八王子、青海、熊谷へと北上を続け、其の威力偵察を先頭にした機甲部隊、機械化部隊と防衛線を次々に押し通って来る敵の急進撃に、帝都が包囲(ほうい)される危機に瀕し、慌(あわただ)しく3ヶ月以上も早い動座が成(な)される事態になってしまった。
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試作量産される5式中戦車乙2型は、9月10日に骨組みと枠組みの材料取りが殆(ほとん)ど終わり、鉄鋲(てつびょう)の打ち込みや溶接での組み付けが始(はじ)まっている。
装甲板(そうこうばん)の溶断(ようだん)や硬質化する焼入(やきい)れ、更に、残留応力(ざんりゅうおうりょく)を除去する調質(ちょうしつ)を兼(か)ねた反(そ)り取りの加熱矯正(きょうせい)もしていて、平面度と平行度を正(ただ)された大小厚みの違う各装甲板が治具(じぐ)を使って枠組(わくぐ)みに仮組みされ、船舶の建造で研究が進んでいる海軍の水密溶接の技術を用いて、完成した88㎜戦車砲の搭載(とうさい)に因(よ)って形状を一新(いっしん)した5式中戦車乙2型の砲塔の形状へと接合されて行く。
こうして6輌分の強固で歪(ひず)みの無い車体と砲塔が溶接接合技術の多用によって、従来(じゅうらい)のリベット止め接合よりも格段に早く出来上がった。
車体は、長い側面装甲板を2分割して今までの製造工程で組み立てれるようにしていた。そして、後部は傾斜を大きくして被弾経始(ひだんけいし)を増(ま)し、燃料タンクの防備を高めていた。
対戦車戦闘に役に立たなくて破壊効果の小さい37㎜砲は廃止(はいし)して、7.7㎜機銃のみにした前面装甲板は傾斜を大きくした上に操縦手の開放式の窓も止(や)めて、3方向の外部の様子を視認できる潜望鏡(せんぼうきょう)式覗(のぞ)き窓の四角い視界だけになったが、耐弾性(たいだんせい)は格段(かくだん)に向上した。
機銃手兼無線手の視界も、2方向の潜望鏡式の覗き窓にされた。
搭載(とうさい)する弾薬は、88㎜砲弾が砲塔後部の左右のラックに12発ずつ計24発、砲塔内の左右の側面に3発ずつ計6発、車体の両側の袖部(そでぶ)に6発ずつ計12発、車体の床下に四(よっ)つに分けた仕切(しき)りの中には、2段積みの6発ずつ計24発と、合計66発を収納して、弾種は徹甲弾(てっこうだん)、徹甲榴弾(てっこうりゅうだん)、着発榴弾(ちゃくはつりゅうだん)の3種類で、それぞれ22発ずつ積(つ)み込まれた。
7.7㎜機銃の弾薬は20発入りの弾倉式(だんそうしき)で、88㎜砲と平行動作する同軸機銃用が、砲手脇(わき)の砲塔内の側面と、私の後部の主砲弾ラックの上に棚仕立(だなじた)てで、それぞれ40個が置かれた。
車体前面の車載機銃も、車体前部の両側の袖部と座席背後に、それぞれ40個ずつ、計120個の弾倉が、同軸機銃の銃身の予備(よび)も含(ふく)めて収納された。
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縦(たて)に1列に並んで、流れ作業で進む車体の脇(わき)には、搭載する大型のクラッチと複雑に歯車を組み合わせた変速装置と、低回転で高馬力の高トルクに調整し直(なお)した液冷V型12気筒のガソリンエンジンが、予備を含めて並(なら)べられていた。
他の部品や工具も揃(そろ)えられて、整理整頓(せいりせいとん)された工程現場は作業効率が良さそうに思えた。
高回転での高出力を、低回転での高トルクに調整し直した航空機用のエンジンは、ドイツのBMW社製で、最高出力位置を低回転域に変更(へんこう)しても、信頼性(しんらいせい)は高いそうだ。
プロペラを高回転させて空気を前方から後方へ高速で流すエンジンから、重い履帯(りたい)を回転させて凸凹の不整地を力強く走らせるエンジンへと、出力調整が終わり次第に、走行装置が取り付けられて内部装備の組み込みと仕上げが済んだ車体に搭載して、エンジンの動力伝達は駆動輪へと接続された。
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75㎜厚から100㎜厚へと増加した前部装甲板の重さ、容積を大きくした砲塔の増加分の重量、更に、口径75㎜砲より大口径の88㎜砲へ換装(かんそう)などでの重量増加は、37㎜砲を撤去しても、全備重量は2t以上も増(ふ)えて39tになってしまった。
2t程度の計画地越えの重量ならば、動作や機動性ぶ影響する問題は無いだろうと、チリオツニの車体上に立って街道沿いの2階建て家屋の大屋根に座った様な視線の高さに足許(あしもと)の不安さを感じて、当初の試作車よりも大型になった砲塔に触(ふ)れて身体(からだ)を支(ささ)えながら考えていた。
其処(そこ)へ大阪造兵廠(ぞうへいしょう)から砲架(ほうか)の各部品の製造から組立までの製作工程を担当して指導に来ていた技術大尉が笑顔で、頂(いただ)き物の酒饅頭(さかまんじゅう)と麦茶を入れたヤカンと湯呑(ゆのみ)を二(ふた)つ乗せた盆(ぼん)を車体上に置くと、簡単な答礼(とうれい)を交(か)わして私の横に上がって来る。
私と大尉は車体前部に腰掛け、勧(すす)められる儘(まま)に酒饅頭を頬張(ほおば)り麦茶を飲む私に大尉が言った。
「この平鑢(ひらやすり)を、其処の角(かど)に当てて削(けず)ってみて下さい」
彼の胸ポケットから取り出して私へ差し出された小振(こぶ)りの平鑢は、しっかりと目立(めた)てがされて見るからにボリボリと削れそうに見えた。
受け取ると直ぐに私は赤茶色の防錆塗装を施(ほどこ)した装甲板の角面(かどめん)に鑢を強く押し付けて、前後に力任(ちからまか)せで削ってみた。だが、鑢面はカラカラと滑(すべ)るだけで、塗装の剥(は)がれ滓がパラパラと落ちているが、角は磨(みが)かれた様に鉄の白銀色に光って金属の削り屑(くず)は全く出ていない。
「全然削れないでしょう。ちゃんと表面は焼入れがされて非常に硬(かた)くなっていますよ。此(こ)の分厚い装甲板を含めて全周全ての装甲板は特殊な焼入れなので、防弾には自信が有ります。安心なさってください」
面取(めんと)りされて、素手で触れたり、掴(つか)んだりしても皮膚(ひふ)を切らないように仕上(しあ)がっている、鑢を当てた縁(ふち)を指で擦(さす)りながら『その通りだ!』と、私は頷(うなづ)いた。
「あのう……公言(こうげん)できないのですが、千葉の習志野(ならしの)で御覧になられた3式中戦車へ同じ様に鑢を掛けた将校がいましてねぇ……。それでね、削れちゃったんですよぉ。実は3式中戦車の車体の製造に、既(すで)に完成していた1式中戦車の47㎜砲を搭載した砲塔を外(はず)して流用しているのです。それに敵のM4戦車を撃破可能な90式野砲を装備した砲塔を積んだだけで、それは緊急(きんきゅう)な数量の確保と配備を急(いそ)いだ為(ため)にに、砲塔の装甲板の焼入れ硬化(こうか)工程は省(はぶ)かれ、処理加工をしていない炭素工具鋼の鉄板を溶接で組み合わせました。ですから、敵が遠距離から撃った砲弾に容易(たやす)く射抜(いぬ)かれて仕舞(しま)い、敵の12・7㎜重機関銃の弾丸も跳(は)ね返す事が出来ません」
少なくとも500m以下の近距離ならM4戦車と互角(ごかく)に戦えると期待していた3式中戦車が、まさかの張りボテだと知らされた驚(おどろ)き顔で、私は技術大尉の顔を見据(みす)えてしまう。
「あっ! この5式中戦車や4式中戦車は違(ちが)いますよ。重(かさ)ねて言いますが、試(ため)して頂(いただ)いた通りで安心して下さい」
3式中戦車の悲愴(ひそう)な状態の話しを聞いて、私はレイテ島での戦闘を思い出していた。
指揮していた90式野砲は破壊されて部下も失(うしな)ってしまったが、待ち伏せでの戦果に奢(おご)る事無く、一発撃つ毎(ごと)に移動する一撃離脱(いちげきりだつ)の戦法に徹(てっ)していれば、位置を特定されない限り戦い続ける事は可能だった筈(はず)だ。
だから3式中戦車も十分な擬装(ぎそう)を施(ほどこ)して、必中の1弾を放つ度(たび)に機動力を活(い)かした速(すみ)やかな陣地の変更を行えば、長期の防衛戦を戦い抜(ぬ)き、其れ相応(そうおう)の戦果を上げられるだろうと考えていた。
5式中戦車の砲塔は、88㎜砲の搭載による大型化で重量が増加した故(ゆえ)に、砲塔を旋回(せんかい)させる電気モーターの出力不足が危惧(きぐ)されたが、主砲の搭載以外は完成している試作車を量産試作仕様に改造した初号車の稼動試験に於(お)いて、20度の傾斜地でも問題無く砲塔を旋回できる事が確認された。
3連の発煙弾発射装置も左右の砲塔側面後部に取り付けて、前方へ300m~500mの中距離へ扇状(おうぎじょう)に飛ばして煙幕(えんまく)を張(は)り、窮地(きゅうち)からの緊急脱出が容易(ようい)になるようにした。
煙幕は非力な我が軍の戦車が有効射程距離に接近(せっきん)するまで敵戦車から射撃を受けないようにする目潰(めつぶ)しだったが、敵戦車群の全面に煙幕を張れば、敵は歩兵の肉迫攻撃を恐(おそ)れて前進や追撃を思い止まると考えた。
当初は、海中で烏賊(いか)が噴(ふ)き散(ち)らかした墨(すみ)で目隠(めかく)しをするような既存(きそん)の瞬間発煙装置の装備を考えたのだが、間近(まぢか)で展開する白煙の煙幕は自車の位置を敵に知らせる事にもなるので、搭載は中止していた。
つづく
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