帝国海軍軍都 小松市『越乃国戦記 前編(5式中戦車乙2型/チリオツニの開発 1945年夏) 第6話』
■昭和20年8月20日(月曜日)午後1時 小松製作所小松工場
小松製作所の本社でもある小松工場には、国鉄職員達が言っていたように空襲を全(まった)く受けずに快晴(かいせい)の8月20日の昼過ぎに到着した。
直(ただ)ちに積載貨物の1号試作車と部材や工作機械が手際(てぎわ)よく降(お)ろされ、所定の工場棟の加工と組立の部署へと運ばれて行った。
通過した東海道本線沿線の大中都市の全(すべ)て、北陸本線でも福井県の敦賀市と福井市が焼夷弾(しょういだん)空襲で市街の殆(ほとん)どが焼け落ちていたし、更(さら)に軍需工場の多い富山市は市街地を狙(ねら)われて、無差別殺戮(さつりく)の被害は甚大(じんだい)だと知らされていたから、海軍の飛行場が在(あ)り、軍需工場が集中している小松市は、とても惨(むご)い事になっていて移送されても、完成させる作業も捗(はかど)らないだろうと頭を抱(かか)えていたのだが、驚(おどろ)く事に工場も、飛行場も、街も、周辺も、全く被害を受けていなかった。
其(そ)の辺(あた)りの事情らしきを、5式中戦車乙型二の製造工程の長(ちょう)と、99式高射砲を改造して車載できるように大阪陸軍造兵廠から来た砲架技師で高岡市出身の大尉が語ってくれた。
「日本国内でも僻地(へきち)な北陸やさかい、アメリカさんは全然、興味が無かったんやろう。せいぜい、明治の中頃に富山から能登半島を廻(まわ)とった、パーシヴァル・ローウェルさんの旅行記の記述(きじゅつ)と、がさつな地図ぐらいの情報しか持っとらんで、流刑地やとか、陸の孤島やとか、徳川さんの頃のままやとか、えろう辺鄙(へんぴ)やから戦略的に価値が無いと、考えとるんやわいね。以外と精密工業力が有るなんて、微塵(みじん)にも知らんやろねぇ」
小松製作所は、確(たし)かに知られていないというより、全く重要視されていない様で、他に石川県で地上標的になりそうなのは石川郡の松任町(まっとうまち)に在る国鉄の修理工廠ぐらいらしいが、圧倒的にアメリカ軍が優位な戦況に至(いた)った現在、北陸線の物流などに破壊する価値や必要性が有るのか、疑(うたが)わしいとも話していた。
職工の親方達も言う。
「大東亜戦争の開戦前に見たんやけど、ほん時(とき)の舶来(はくらい)の日本地図には、若狭湾(わかさわん)と富山湾と能登半島が描(えが)かれとって、富山と福井の街の場所と名前も書いてあんのに、どっこにも金沢は無いんやわ。金沢とか、小松なあんて、全然知らんがやわいね」
技師さん達と似(に)たような事を、語尾が聞き取り難(にく)い早口(はやくち)の金沢弁で、自分で見ていた舶来地図の表記の事実を語(かた)ってくれた。
案外、この辺りが真実だろう。
それに、神雷航空隊の飛行教官で、新兵訓練で北陸3県の上空を多く飛んでいる南方帰りの海軍少尉は、辺境の片田舎(かたいなか)だと言わんばかりだった。
「2000mや3000mの上空から見ると、富山市や福井市と違って、金沢市は野原や空(あ)き地のような練兵場と林や森ばかりで、集落が少し纏(まと)まっているようにしか見えません。お城の周囲の市街地らしき処(ところ)も、木々や畑が多くて道沿いに家が連(つら)なる宿場町みたいに思えてしまう。だから、悲しいくらい、県庁所在地の街には全く見えないのです」
古都だからとか、次の新型爆弾の投下目標だとか、戦略的な価値の有る産業目標が無いとか、此(こ)の頃は単に日本人を無差別に虐殺(ぎゃくさつ)しているだけの焼夷弾の絨毯爆撃を繰(く)り返しているのに、金沢市が全く爆撃されない理由を、いろいろと噂(うわさ)されていたが、実際、戦略的な目標になる価値は、大きな工廠(こうしょう)を複数有する小松製作所と海軍飛行場の在る小松市の方が金沢市よりも有るだろう。
爆撃警告のビラが両市へ撒(ま)かれていない事からも、アメリカ軍が怠惰(たいだ)で金沢市や小松市に興味が無いのと、碌(ろく)な情報も無かった所為(せい)で知らないだけなのか、作戦上の障害に成らない限り、この程度の小都市は後回しにされているのだと思う。
しかし、いずれ、日本全土の破壊と焦土化(しょうどか)を目指すアメリカ空軍戦略爆撃隊が、両市に爆弾と焼夷弾を降らしに来るのは間違いないだろう。
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小松製作所は、北陸地方(古代に越(こし)の国(くに)と呼ばれて、大和朝廷の主権が及(およ)ばなかった地域だ)の昭和15年に市政に昇格した石川県小松市に在る。
移送先の小松製作所は、小松駅の東側に本社の小松工場、一(ひと)つ南側の粟津(あわづ)駅の北側に粟津工場、小松市と粟津町の間に今江(いまえ)工場、そして、福井県の敦賀(つるが)市の駅の南隣接地に敦賀工場が在った。
本社の小松工場は、鉄道の引込み線が何本も有る近代的で大きな工廠(こうしょう)だ。
広大な敷地に高くて長大な工場が8棟と倉庫や管理棟が20以上も建ち並び、大騒音を響(ひび)かせながら6本の50m以上もある太くて高い煙突からモクモクと黒煙を上げてフル操業をしているのに、敵の攻撃を受けていなくて全くの無傷なのには、とても驚いた。
第9師団司令部の在る石川県の県庁所在地の金沢市は陸軍の軍都だが、主力が外地へ出兵している現在は、留守部隊として居残りさせられている僅(わず)か1個中隊規模の歩兵しかいないが、それでも、軍都金沢では雑多な兵科だったが圧倒的に多くの陸軍の兵隊を見掛けた。
海軍航空隊の神雷(じんらい)部隊が訓練基地とする、小松飛行場に隣接する小松市は海軍の軍都とされ、其の生産設備の7割で海軍の兵器と部材と弾薬を生産している。
小松製作所は陸海軍の軍需工場の指定を受けているが、運営は背広(せびろ)を軍服に替(か)えただけの経営陣に任(まか)されて、順調に規模を拡大させていた。
職工達には再度の徴兵(ちょうへい)を受けていない年輩の熟練工(じゅくれんこう)が多く、彼らの速(すみ)やかで無駄(むだ)の無い作業効率の良さは、多種類の兵器の製造が可能になる体制にしている。
年輩の男子工員に混(ま)じって10代の多くの若い女子挺身隊員が精密工作機械を操作している。
『彼女達は関東の中島飛行機武蔵工場や愛知県の海軍工廠へ送られていましたけれど、爆撃で工場が破壊されたので戻(もど)って来ました。連日の爆撃で50名近くの尊(とうと)い犠牲者が出てしまいましたから、次の派遣先が決まる前に戻したのですよ。全員、飛行機のエンジン部品の製作担当でしたので、1ミクロンの精度の加工も出来る1級の熟練工達ですよ。おかげで、チリオツニの製作も捗(はかど)っています』、そう、哀憐(あいれん)と頼(たの)もしさが宿った眼差(まなざ)しで彼女達を見る工場長に説明された。
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小松工場と粟津工場の作業棟は、3年前に横須賀市が侵入したアメリカの双発爆撃機によって空襲されてから、日光の明り取りの凸凹(おうとつ)な屋根を平(たい)らにして土を巻き、低木と草を植えた対空擬装が施された。
敷地内の作業に直接関係しない広場や運動場は開墾(かいこん)されて畑にされているし、畑や家屋の周囲にも成長の早い竹やニセアカシアなどが林のように植えられている。
簡易的な植林で造成された林や庭の屋敷森に林業で育てた森でさえも、無差別の集中砲撃や絨毯(じゅうたん)爆撃で根こそぎ掘り返されて燃えてしまい、山火事の痕(あと)のように何も無くなってしまうが、だからといって、遮蔽(しゃへい)や欺瞞(ぎまん)をしないと、拠点や重要施設が簡単(かんたん)に見付けられて、あっさりと初動前から破壊されてしまう。
『上空からは牧草地のようにしか見えなくて、危(あや)うく不時着地に指定するところだった』と、神雷航空隊の士官が擬装の自然さに感心していた。
そんな入念な擬装に加え、富山県や福井県の方向から接近する敵機が発見されると、警報のサイレンと共に田畑で草木を燻(いぶ)した煙幕が張(は)られて、小松市街と工場群、それに飛行場も上空から隠(かく)された。
小松工場は戦闘艦の大口径の砲弾を作る水圧プレス機械など、海軍向けの工作機械や兵器の製造が主だが、マンガン鋼の履帯(りたい)や不整地用車両などの陸軍向けの兵器製造を行い、陸軍の軍人も多く出入りしていた。
『海軍の口径46㎝砲を3連装にした砲塔が、3基も装備した大戦艦の、其の砲弾を製造するプレス機械は、此処(ここ)で製作して、呉市の海軍工廠へ納(おさ)めたんですわ』と、本土が連合軍に上陸される前なら厭戦(えんせん)思想の抵抗運動を疑(うたが)われて、人々が特高(とっこう)の略称で忌(い)み嫌(きら)う、反国家思想を弾圧する特別高等警察に連行され、拷問(ごうもん)と尋問(じんもん)の果てにでっち上げた非国民の罪状の自白を強要し、逮捕、投獄(とうごく)となってしまう帝国海軍の最重要機密を、工場長は、『こんな御時世(ごじせい)になりましたから、話しますけれど』と、自慢(じまん)気(げ)に語(かた)ってくれた。
確(たし)かに、見た事も無い大型のプレス機械が並んで、バンバンと轟音(ごうおん)と振動(しんどう)を響(ひび)かせて大砲や戦車の部品を製造していた。
今江工場は陸軍の飛行機部品で、粟津工場は海軍の飛行機部品を製造して周辺地域には協力会社が多く、滑走テストを行う為(ため)の短い滑走路も敷地内に備(そな)えている。
高速偵察機『彩雲(さいうん)』の風防枠を製作している小松市の大領中町(だいりょうなかまち)に在る小松航空機製作所も海軍御用達の会社で、今後の北陸3県の防衛体制は、粟津工場で完成する『彩雲』の偵察能力に懸(か)かっているそうだ。
両工場ではブルドーザーとトラクタも製作していて、海岸の砂丘地帯に造成された海軍小松飛行場や各工場の拡張に使用され、各方面の防衛陣地の構築にも活躍中だ。
敦賀市にも海軍向けの鋳造(ちゅうぞう)部品の製作を行う為の敦賀工場が昨年に完成して、年末には稼働(かどう)体制になっていたが、今年の6月25日(月)、7月12日(木)、7月30日(月)、8月8日(水)と続いたB29爆撃機100機から単機、及(およ)び戦闘爆撃機2編隊による焼夷弾(しょういだん)と機雷と銃撃で、市街地の7割が燃え滓(かす)の建材が散らばる焼け野原になり、目標となった港湾施設は鉄屑(てつくず)と瓦礫(がれき)になって壊滅(かいめつ)してしまった。
其の空襲に曝(さら)された敦賀工場の500人以上もの死傷者が出ている惨状(さんじょう)に、僅(わず)かな被害しか受けなかった敦賀工場は、現在、開店休業状態になっていたが、大阪枚方(おおさかひらかた)造兵廠が製造した一撃で強敵のM4戦車を撃破できるという、個人携帯火器の製造冶具を増設して生産が始まるそうで、配備が間に合えば、人命の損耗(そんもう)が減(へ)り、圧倒的な火力のアメリカ軍と互角(ごかく)の地上戦が可能になると思う。
つづく
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