1号試作車と製造設備を西方へ列車移送 『越乃国戦記 前編(5式中戦車乙2型/チリオツニの開発 1945年夏) 第5話』

■昭和20年8月18日(土曜日)午後2時 北陸本線武生駅の貨物列車上


 車長への任命と共に受領した命令は、『貴官と搭乗員は、主砲の搭載を除(のぞ)いて完成している試作車輌を、東海地方一帯に散(ち)らばる生産設備及び用意されている試作量産車輛用の資材と共に、北陸の小松製作所へ速(すみ)やかに移動せよ』だった。

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 新(あら)たに設立される部隊の新型戦車は、千葉の戦車兵学校で視察を許(ゆる)された量産配備が始まったばかりの3式中戦車だと思っていたが違っていて、授業で試作量産中と聞いた攻守共に3式中戦車より強力な4式中戦車でもなかった。

 車長に任命された新型戦車は、5式中戦車と呼(よ)ばれて1式中戦車の倍ほどの大きさが有ったけれど、それは大きいだけで、1号試作車の性能項目表に記載された武装と装甲は4式中戦車と同じ火砲と厚みだった。

 主砲の75㎜戦車砲は、4式中戦車へ優先的に取り付けされる為(ため)に備(そな)わっていない。

 試作車の砲塔は相模原の第4陸軍技術研究所で、車体は川崎市鹿島田(かしまだ)の三菱重工業東京機器製作所で、クラッチやミッションの駆動系も三菱重工で製作された。

 エンジンは出力不足で現用機には不適格になった航空機用エンジンを転用する事になり、倉庫に眠る在庫と飛べない旧式機から外(はず)したエンジンを、ただ空気を速(はや)く掻(か)き回すだけの高回転高出力から、負荷(ふか)が大きい地(ぢ)ベタを這(は)い回る戦車用の高トルク低馬力のエンジンへと改造調整された。

 主砲は4式7.5㎝高射砲の砲身を流用して半自動装填機も取り付けた戦車砲が、大阪陸軍造兵廠で試作されていた。

 正式名称を5式7.5㎝戦車砲として完成した主砲は試作車輌に搭載されて、3月下旬から射撃と走行テストが御殿場の富士裾野(ふじすその)演習場で連日行われていたが、其(そ)の後、テストで搭載した戦車砲は、量産化を優先すると決定された4式中戦車へ移され、同時に今後完成した5式7.5㎝戦車砲は、全(すべ)て4式中戦車に搭載すると通達が有った。そして、主砲が外された砲塔を載(の)せた5式中戦車の車体は、新たな戦車砲が決定しないまま開発中止となり、既(すで)に製作して各種試験を行った1号試作車は、演習場近くの駒門(こまかど)廠舎内に隠(かく)されていた。

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 其の1号試作車が試作量産の仕様へ改造する為に隠されていた駒門廠舎内から出されて、8月15日の夕刻(ゆうこく)から御殿場駅の貨物ヤードで予備部品と共に50t積み低床式大物貨車に積載されている。

 開発の再開が決定された5式中戦車の、たった5輌の試作量産に使う治具(じぐ)や加工機械などの工作設備及(およ)び組立工程の設備と製造資材は相模原の陸軍工廠内の設置場所から取り外されて50t積み低床式大物貨車5輌に積載して連結した。

 更(さら)に士官達の車掌車と搭乗員達の客車の連結が完了すると直(す)ぐに汽笛が鳴り響(ひび)き、機関車2輌の動輪が回り出して移送が開始された。

 エンジンやミッションや無線機などの搭載機械や組立部品類も保管場所の工廠内の工場や民間企業から出されて最寄(もよ)りの駅へ運ばれた。そして、それらを移送する為に集められた15t積み平床式貨車8輌に載せられた。

 陸軍工廠を出た列車は、部材を積み込んだ駅を回り、次々と平床式貨車を連結して行き、最後に御殿場駅で1号試作車を載せた低床式大物貨車を繋(つな)ぐと18輌編成の列車は東海道本線を西へ進んで行く。

 移送は、トンネルや上空から見付からないように昼間は擬装(ぎそう)された切り通しに隠れて、夜間のみの走行で五日(いつか)間も掛けて移送される予定だ。

 D51機関車の2重連による牽引(けんいん)で始まった鉄道移送は、通過した灯火管制が布(し)かれた夜間でも、資材を満載した貨車を連結する為に停車した各都市、沼津(ぬまづ) ➤ 静岡(しずおか) ➤ 焼津(やいづ) ➤ 浜松(はままつ) ➤ 豊川(とよかわ) ➤ 豊橋(とよはし) ➤ 名古屋(なごや) ➤ 岐阜(ぎふ) ➤ 大垣(おおがき) ➤ 米原(まいばら) ➤ 敦賀(つるが) ➤ 福井(ふくい)と、路線が東海道本線から北陸本線へと切り替(か)わる滋賀県の米原の町以外は、空爆や艦砲射撃による惨状(さんじょう)が月明かりや星明りで見えて、心底、『一億玉砕』と叫(さけ)ばれる本土決戦が如何(いか)に困難を極(きわ)めるかを見せつけられた。

 密集していた町並みは、焼け炭と灰と煤(すす)けた割(わ)れ瓦(がわら)だらけの広い荒(あ)れ地になって、冷(さ)め切らぬ焼け地の熱気と強い陽射(ひざ)しで、外壁が残ったコンクリートや煉瓦(れんが)造りの建物が、一(ひと)つ、二(ふた)つと陽炎(かげろう)になって歪(ゆが)み、まるで無念を嘆(なげ)く墓標のように思えた。

 被災地域の木造家屋の全てと、活気で満ち溢(あふ)れていた住民達は消えてしまった。

 家族全員が亡(な)くなって、燃えてしまった家も少なくないだろう。

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 当初は3昼夜の予定で開始された移送は、有効な対抗手段が無い空襲を避(さ)けて、日没後の薄暮(はくぼ)から夜明け前の薄明(うすあか)りまでの夜間に行われた。

 移動中の夜間は上空を大編隊で通過するB29の爆音を何度か聞き、トンネルや偽装(ぎそう)された引き込み線で待機する昼間は、茹(ゆ)だるような暑さを避けて、風が通る貨車の下の日陰(ひかげ)で寝ながらも、襲撃する獲物を探(さが)す敵の艦載機を見ない日は無かった。

 噂(うわさ)では、単機で飛来したB29から投下された、たった1発の新型爆弾の爆発は、広島市と長崎市の市街地の殆(ほとん)どを瞬時に焼いて吹き飛ばしていたらしいと、聞いた。

 両都市は市民の半数以上の何万人もの人が死亡し、無傷の者は僅(わず)かだそうだ。そして、爆弾が炸裂(さくれつ)した場所付近にいた人や動物は、途方(とほう)もない高熱の熱線に焼かれて、あっと言う間も無く骨も残さず蒸発しているようだと聞かされた。

 爆心地付近といっても、焼け焦(こ)げた更地(さらち)の様になった地面に道路と住宅や施設の敷地の境界跡が、大きな住宅地図に描(えが)かれた幾(いく)つもの町の様な線で残っている場所の真ん中の事だ。

 街並みの有ったはずの地面は、地表の上の草木も、人も、動物も、建物も、生活に必要な物も、有機物の全(すべ)てを蒸発させてしまった。

 一瞬で街と人々が無くなり、街と人々と生活の記録と記憶が消えてしまう。

 偶々(たまたま)、誰にも知らせずに訪(おとず)れた人や居候(いそうろう)をしていた人などは、来た事も、居(い)た事も、蒸発して分からない。

 街角や路地(ろじ)で何がなされて、どんな歴史が有ったのか、何処(どこ)の家に誰(だれ)が住んでいて、何人家族だったのか、何を所有して、どんな生活をしていたのか、何処に何が有ったのか、それを知っている周辺の人達毎(ごと)消えてしまって今では分からない……。

 蒸発せずに残った物は、石造りやコンクリート製の建物の外枠や橋や石碑や墓などの無機質な物だったが、ボロボロに劣化(れっか)して崩(くず)れたり倒れたりしていた。

 鉄などの金属も残っていたが、熔(と)けて曲がったり、穴が開いたりした物ばかりだった。

 それは何という、無慈悲(むじひ)で、無情で、無残で、無念な事だろう。

 幾つも見て来た焼け野原を、更に、死の鎌(かま)で薙(な)ぎ払ってから、死の箒(ほうき)で掃(は)き終えた広がりの惨状を想像するだけで、戦場とは違(ちが)う死の悲しみに息が詰(つ)まり、哀(あわ)れさを嘆く涙が溢れて頬(ほお)を流れて行った。

(日本人が徹底抗戦して終末を長引かせるほど、白人達は地球上から大和民族を抹殺(まっさつ)させようと考えるのであろうか?)

(ならば、天皇陛下の戦争終結の御言葉(おことば)を聞いた時点で、潔(いさぎよ)く戦闘を止(や)めるべきだ!)

(さもないと、本当に日本人は、絶滅(ぜつめつ)させられてしまうかも知れない……)

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 実際の移動日程は白昼の空爆で抉(えぐ)られた線路の修復と破壊された列車の除去に手間取(てまど)り、更に東北地方の奥羽本線庭坂(にわさか)機関区から転用されて日本海側の線路を走って来た急傾斜の登坂(とはん)能力に特化したタンク式蒸気機関車4110形が、敦賀から武生への山中(やまなか)峠越えの為に3重連で牽引しても、連結した重量物貨車を分けなければスイッチバックの繰り返す急勾配を通過できず、其の慎重さと低速さ故(ゆえ)に目的地の小松市への到着が計画より2昼夜も遅(おそ)くなってしまった。

 驚(おどろ)いた事に山中峠を下る反対側の斜面からは、朝日が昇(のぼ)った白昼(はくちゅう)も走り、今庄(いまじょう)駅の待機線や武生(たけふ)駅の貨物ヤードで、先に峠を越えて待っていたⅮ51機関車2輌による再連結も真っ昼間(まっぴるま)にどうどうと行われた。

「おい、防空の担当者によって、対空警戒はなされているようだが、今日は晴天で上空から丸見えだ! 蒸気機関車の煙突からも煙が上がっている! 敵機に見付かったら、爆撃と銃撃を食らうぞ! 危(あぶ)なくないのか?」

 其の余りの無警戒ぶりに、日陰で屯(たむろ)して煙草(たばこ)を吸(す)いながら雑談をしている国鉄職員達に注意を促(うなが)した。

「そうや、中尉さん。なあんも無い田舎(いなか)やしねぇ。ほいで、ここら辺(へん)は空母の艦載機やと、遠過ぎて飛んで来れんがやわ」

「来られる近さで、酷(ひど)い目におうとる敦賀は別やけど、来るんは、福井と富山を灰にしやがったB29だけやわ。ほやけど、あれっきりやし。ほやから、もう目(め)ぼしい的が無うなった、こんな田舎は爆撃に来る価値も無いがやろ」

 たぶん、福井弁だと思う語尾が特徴的な北陸訛(なま)りで、峠越えを3重連で牽引してくれた4110形機関車と引き継(つ)いで北陸本線も走る事になったD51重連の機関士と車掌が、攻撃する価値も無い辺鄙(へんぴ)な田舎だからという意味らしい説明をしてくれた。


つづく

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