ポツダム宣言の受諾拒否と5式中戦車の開発を再開『越乃国戦記 前編(5式中戦車乙2型/チリオツニの開発 1945年夏) 第3話』
■昭和20年8月16日 木曜日 午前8時 神奈川県 相模陸軍造兵廠 司令部
一昨日(おととい)は深夜に巷(ちまた)で連合軍からのポツダム宣言受諾の要求を拒否し、本土決戦と叫ばれている決号作戦が御前会議で決定されたと、大本営の発表が音量を絞(しぼ)ったラジオのスピーカーから流れていた。
元寇(げんこう)の再来のように神州(しんしゅう)日本に上陸する連合軍を吹き荒れる本土決戦の神風が、必ず撃滅させるという機運は世間で当たり前だったから、其の白々(しらじら)しく実(じつ)の無いラジオの臨時ニュースに『今更、何を改めて大本営発表などと、わざわざ仰々しくするのだ?』と思ってしまう。
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新型戦車の車長の任と防衛地の移動を命じられる為に出頭した相模原(さがみはら)の司令部で聞こえて来た噂は、停戦、いや無条件降伏を受諾する旨の天皇陛下の御声を録音したレコード盤が蜂起(ほうき)した近衛師団によって奪われて、8月15日の正午に予定していた玉音放送は未然に防がれたらしいという内容だった。
近衛師団のクーデターは宮城事件と呼ばれて、詳細は秘匿されていたが、実はレコード盤の押収に失敗しているらしい。そして、其の録音盤は、侍従長が常に天皇陛下の御傍に留め置くようにしているそうだ。
録音内容が無条件降伏の玉音放送と知った時は、『陛下は大和(やまと)臣民(しんみん)を、どのようにされる御積(おつ)もりなのか?』と司令部の壁を渾身(こんしん)の拳(こぶし)で殴(なぐ)り付けて、激しく憤(いきどお)っていたが、兵舎へ戻る途中で上空の青空を地上の獲物を狙(ねら)う猛禽類(もうきんるい)のように乱舞するアメリカ軍機を見て思った。
(立川(たちかわ)の陸軍機も、厚木(あつぎ)の海軍機も、全く飛び上がっていない!)
(迎撃(げいげき)する味方機は1機も見当たらない!)
(帝都や周辺の関東(かんとう)の都市は、既に数度の絨毯爆撃で荒廃(こうはい)して焼け野原だ!)
(本土の主要な都市も、全て爆撃されていて、帝都と変わらない有様だ……)
(港湾と水道は機雷だらけで、軍艦も、漁船も、水運も、被害(ひがい)甚大(じんだい)で自由に動けない)
(瓦礫(がれき)になった大工場の設備は、空襲前に山間の洞窟や田舎の農家の納屋に疎開(そかい)しているが、全体の機械稼働率(かどうりつ)と組立効率は非常に低い)
(食べる物も少なくて、配給品の種類も、量も、日毎(ひごと)に減っている)
(今度の冬は、寒さと餓(う)えで大勢の日本人が死ぬだろう……)
(それに、まだまだ、広島(ひろしま)市と長崎(ながさき)市の市街地の全てを一瞬(いっしゅん)で潰(つぶ)して灰燼(かいじん)と化した新型爆弾が落ちて、次々と何万人もの住民と共に大きな都市が消滅して行くかも知れない)
(あらゆる兵器の性能は連合軍の方が優れているし、数量も凄く多い!)
(起死回生(きしかいせい)を期待する天誅(てんちゅう)兵器が完成しても少ない数で、局地的には勝利しても、戦局を覆(くつがえ)すには全く至らないと思う)
本当に徹底抗戦する意味が有るのかと、戦闘帽の下に日の丸の鉢巻を締めた頭がグラつく。
(人類の起源的に肉食獣ルーツの白人種より、猿人直系の黄色人種の日本人が古代から優れている事を証明しなければならない!)
(絶対に、東洋人なんて人間以下の黄色い猿としか思わず、奴隷のような酷い扱いをする鬼畜(きちく)米英に、焼印を刻(きざ)むような一矢(いっし)を報(むく)いなければ、自決も、降伏も、出来ない!)
(今は、宮城(きゅうじょう)事件で陛下の玉音放送は防止されて当然だったが、戦局を鑑(かんが)みると、孰(いず)れ全ての日本国民に聞かせなければならないという、真(まこと)に残念な事態になるだろう)
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8月1日に相模造兵廠で行われた検討会で決まった予定の通りなら、今頃は新開発の5式中戦車乙型2の試作量産車6輌で編成した梯団の長になり、其の1輌の車長を兼ねて、既に赴任地(ふにんち)へ移動しているはずなのが、製作した試作車輌と部材の引き渡しを陸軍技術研究所が渋(しぶ)った為に2週間も遅れている。
開発計画の試作で搭載した45口径の5式7.5㎝戦車砲は、全て4式中戦車へ搭載される事が決定されて、試作戦車の砲塔は主砲が外(はず)されたままだ。
説明会と討論会で5式中戦車の開発は違う工廠で再開されると伝えられて、速やかに移設の命令書も渡されているのに渋っていたのは、軍人特有の悪(あ)しき慣習の面子(めんつ)への拘(こだわ)りだった。
其の面子への拘(こだわ)りが戦局を本土決戦まで追い詰めさせているのに、内地の幹部軍人達には、其処へ至る考えも、自責(じせき)の反省も、全く無なかった!
2週間前の8月1日に川崎の三菱重工業の東京機器製作所で、『試作量産車輌製作の為の開発引継ぎ説明会』が行われた。
説明会には自分も参加していて、続いて始まった『開発項目の要求見直し検討会』にも出席して聴いていた。
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7月2日にアメリカ軍が作戦終了を宣言して占領された沖縄本島から、6月23日に自決した牛島司令官の命を受けて脱出を図り、一時はアメリカ兵の捕虜になるが、月の出ない暗夜に脱走して、魚民の小船を乗り継いで本土に帰還した第32軍の高級参報である八原博通(やはらひろみち)大佐と、餓(う)えに苦しみながら後退の激戦を繰り返すビルマ方面軍の作戦方針に当初から批判的で、戦況の詳細報告を理由に輸送機で左遷(させん)的に内地へ戻された第28軍主任参謀の福富繁(ふくとみしげる)中佐が、7月末日から5式中戦車開発室へ加わって、より現実的要求に沿う実戦的で強力な機動力、防御力、戦闘力の備(そな)えを強く要求してした。そして、実戦経験者の意見に従(したが)って現実的開発路線へ修正される事になった。
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5月末日で一旦中止になった5式中戦車の開発は、開発が中断した時まで室長だった陸軍行政本部戦車研究委員会の中佐に換わって八原博通大佐が室長になり、福富繁中佐は大佐の補佐になって8月初日から再開される事になった。
二人(ふたり)は5式中戦車の開発の再開に先立ち、開発に携(たずさ)わる職員と将兵を工場の食堂に集合させて、先(ま)ず初めに前任者から引き継ぎを紹介された福富繁中佐が、研究染みていた5式中戦車の開発に苦言した。
「広島と長崎を壊滅させた新型爆弾が、次に落とされるのを待つだけの、沖縄を占領したアメリカ軍が、いつ本土へ侵攻して来るか分からない、この切迫(せっぱく)した状況の今、たかだか10㎏程度の砲弾を砲尾に込めるのに、作動や強度に多くの問題が発生して、解決に難儀(なんぎ)している自動装填装置は、本当に、どうしても必要なのかあ?」
「同じ75㎜口径の高射砲を改造した戦車砲を搭載するのに、4式中戦車は左側から装填して、5式中戦車は自動装填装置のトレーに乗せる為に、装填手は右側に居る。それに伴(ともな)い、車長が指揮を執(と)る司令塔の位置も反対だ!」
「こんな不合理な構造を、誰が立案したあ?」
「2年前の〝5式中戦車を開発するにあたっての設計に関する詳細研究会〟では、4式中戦車よりも、更に、大きな物が必要とされた。なのに、違いは確かに大きくなった車体と砲塔と重量だけだ!』
「搭載する砲は、自動装弾機が有るか、無いかで、口径75㎜の同じ砲だ!」
「弾薬も同じだから、威力(いりょく)も一緒(いっしょ)だ!」
「装甲の厚みも同じだ……」
「このまま、戦闘に投入されても、4式中戦車以上に戦えるとは思わない」
「我々が求めるのは、こんな紛(まが)い物の5式ではないぞ!」
「砲塔に配される車長、砲手、装填手は、砲手を除いて作業位置が反対側で、共通性が無い! 97式改、1式、3式、4式と乗員の配置は同じなのに、5式だけが違う!」
「まったく、無駄な開発思考だ!」
「日本人の利(き)き手は右手だ! 左手で砲弾の先端を支えて向きを定め、右手を拳(こぶし)にして押し込むのが、作業的に余計な力や姿勢を強(し)いられずに、円滑(えんかつ)で敏捷(びんしょう)な動きが出来るから疲れ難(にく)いのだぞ!」
「此処(ここ)に75㎜砲弾よりも大きくて重い、8㎝高射砲の砲弾を持って来た。口径は88㎜で、重さが14㎏有る」
そう言うと、従卒の下士官が運んで床に置いていた砲弾を、屈(かが)んで腰の高さまで持ち上げながら立ち、それから直角に向きを変え、更に、胸の高さに上げてから両手で頭上に高々と掲(かか)げた。
88㎜砲弾は一呼吸の間、重量挙げ選手のように掲げてから、静かに下ろして床に置いた。
中佐は、この動作を10回繰り返した後、フラ付く足を懸命(けんめい)に堪(た)えながら、大きく肩を上下させる粗(あら)い呼吸に途切(とぎ)れ勝(が)ちの大声で、集まった全員へ其の身をもっての喝(かつ)を入れた。
「……俺は、先月で45歳になった……。もう…… 壮年(そうねん)の域で息は上がってしまうが、……今のようにできる……」
「俺よりも、……ずっと若い、屈強(くっきょう)な体格と不撓不屈(ふとうふくつ)な精神を鍛錬(たんれん)した装填手は、……もっと、易々(やすやす)と早く、出来るはずだ……」
「装填手になる者は……、旨(うま)い物を沢山食べてぇ……、俺よりも体力と腕力を付けろ!」
「それとぉ、……ギックリ腰にならないように、……腰と背筋と鍛(きた)えよ! 特に下半身を鍛えろ! 決して冷やさないようにな」
従卒(じゅうそつ)が持って来た茶碗の水を飲み干して、中佐は呼吸を整えると、言葉を続けた。
「開発当初の項目に、装甲板は接合部を可能な限り無くして1枚物にすると有ったが、小窓や覗(のぞ)きのスリットやピストルポートの開孔部を増やして、強度不足になる弱点を態々(わざわざ)作るなんて極(きわ)めて本末転倒(ほんまつてんとう)な事だな!」
「砲塔側面のカンザシの様に装備された機銃は、不要だ! 合理的に装甲板の目的を果たす為に廃止する! 物量のアメリカ軍相手に使う時は、対戦車兵器や火炎放射器を携帯して接近する敵兵を撃つぐらいだろう。それに、周囲の状況を把握(はあく)して走行や射撃指示する車長に、そんな余裕は無い! 同軸機銃だけで十分だ! 主砲弾の保管棚を設置する邪魔にもなる!」
「また、砲塔側面や車体側面の装甲板が大き過ぎて、鋼板の反(そ)りを修正できないなら、加熱処理で内部応力を無くして反りが除去できる、機械の加工台と合わせた大きさに分割すれば、良いだけの事だろう」
「戦局は本当に切迫しとるのだ! そんな、詰まらん事で悩んでいる暇(ひま)はない!」
「アメリカ軍が上陸して此処を占領してしまえば、それまでの研究や開発は、全て無駄になってしまう」
「だから、一刻(いっこく)も早く、従来の技術を用いて出来る限り確実な方法で、より強力な5式中戦車を完成させるのだ!」
「少し話は逸(そ)れるが、昨年の中頃から今年の五月に同盟国のドイツ第三帝国が降伏するまで、ヨーロッパ戦線の戦車同士の戦いは、口径100㎜を越える戦車砲が搭載されて、装甲も100㎜厚越えの戦車や突撃砲が主流となって来たのを鑑(かんが)みて、一昨年(おととし)の6月30日の軍需審議会の幹部会で搭載砲は口径75㎜、装甲が75㎜厚と話し合われていたのを覆(くつがえ)して、威力の有る口径105㎜砲を搭載する砲戦車ホリと対戦車自走砲カトの試作が決定された」
「砲戦車ホリの開発名称は試作五式砲戦車とされ、既に実物大の木型模型が製作されて、構造と形状と運用が検討されている」
「この試作五式砲戦車は旋回できない固定戦闘室の、ドイツで言う駆逐戦車だ。そして、搭載する口径105㎜の試製10糎戦車砲は、この五月下旬に実用できる状態になっている。しかし砲重量が有り過ぎて、全重量は40tを越えてしまう。故(ゆえ)に車体の開発は進んでいない」
「対戦車自走砲のカトは四式中戦車の車体を流用する事になっているが、なぜか、砲は試製10糎対戦車砲という、同じ口径105㎜なのにホリとは別物を開発していて、敵の本土上陸が切迫している今の緊迫(きんぱく)した戦局の中で、1、2回の戦闘に耐えるだけでいいから、敵を圧倒する戦車が直(す)ぐにでも欲しい時なのに、この残念な開発状況は、俺には理解できんよ!」
会場からは「全(まった)くだ!」、「神州(しんしゅう)に上陸した敵を慌(あわ)て吹かせる事も無いまま、我々の防衛線は突破されるしかないのか!」、「現実的に、早く五式中戦車を戦力化すべきだろう」などの声が上がり、一同は五式中戦車の試作量産を最優先で急ぐようにと憤慨(ふんがい)した。
「幸い、大型戦車の開発は、150tもの超重戦車のオイ車の経験が有る。それしか無いと言う奴もいるが、全く何も無くて、鋼材や構造をゼロから研究開発のとは、雲泥(うんでい)の差だろう」
「ゼロからよりも、遥(はる)かに5式に応用できる技術が有るのではないかと、俺は思う。 以上!」
そう言って福富中佐は、深々と腰を直角に折る御辞儀(おじぎ)をして、熱弁を締(し)め括(くく)った。
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次は、開発室長となった八原博通大佐が、秘密裏に進められている現状と今後すべき事を語った。
「五日(いつか)前に内定を賜って、開発資料の全てを閲覧(えつらん)させて頂いた。開発の再開は5輌の試作量産車を製作する事と、現在、御殿場(ごてんば)の倉庫に保管されている1輌の試作完成車を、試作量産車に準ずる改造を施(ほどこ)す事です」
「装甲板に使用する鋼板は試作車同様、少量のニッケル、マンガン、炭素を有し、圧延(あつえん)製造後に内部応力を除去する加熱と冷却を繰り返す調質を行ってから、表面のみを硬化させる浸炭(しんたん)焼入れ処理をします。それで徹甲弾の命中による罅割(ひびわ)れや貫穿力(かんせんちりょく)を弱め、粘着榴弾の爆発による装甲板の内側面の剥離(はくり)も防ぎます」
「鋼板の調質処理は工程が多いですが、穴開けや溶断、溶接の加工で鋼板に反(そ)りや捩(ねじ)れが発生しないようにする為に必要です」
「浸炭焼入れまでの処理を行う装甲板は戦闘で被弾(ひだん)し易い車体と砲塔の正面と側面のみで、加工が多くて被弾し難い上面と後面及び底面の装甲板は調質処理までとします」
「付け加えて少し詳(くわ)しく説明しますと、調質処理のみだとロックウェル硬度HRC40の硬さです。ビッカース硬度ではHV450になります。これに浸炭焼入れを施した表面部分のロックウェル硬度はHRC55、つまりビッカース硬度でHV600相当となって非常に硬くなります。調質処理に浸炭焼入れ処理、これで厚みが有る正面と側面の装甲板は、表面は硬くて内部は粘(ねば)りと弾性が有る物になり、機銃弾くらいは跳(は)ね返(かえ)し、敵の戦車砲や対戦車砲の徹甲弾は突き刺さる程度で貫穿に至りません」
「試作量産車は、今ほど、福富中佐が御話(おはなし)された、現状でただちに出来る事を行い、副砲の37㎜砲を廃し、車体前面の装甲板の傾斜を大きくして、更に、砲塔前面部と共に厚みを25㎜増やして100㎜厚とします」
「搭載する主砲は、4式と同じ75㎜砲では、現状を凌駕(りょうが)する威力が不足すると考え、九九式8㎝高射砲を改造した88㎜砲に決定しました。主砲を大きくするのに伴い、砲塔容積を増やす為に、少し形状を変更して大きくします」
「88㎜砲には、自動装弾機を付属させません。人力装填とします。福富中佐が8㎝高射砲の砲弾で持ち上げ実演をしたのは、其の所為です」
「搭乗員配置は、後方から見て4式と同じで、5名となりますが、砲手は車長と同じ右側とし、主砲の弾薬を扱(あつか)う装填手の動作の邪魔(じゃま)にならぬようにします」
「同軸機銃は右側なので、弾倉交換は砲手が行います」
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「今、話した事は5式の開発中止後に、此処に列席している幹部達が参加して行われた、開発項目の見直し検討会で決定した事です」
「これらの製造に関わる、資材、兵器、設計、製作は、既(すで)に、内定と本日の開発再開を見越して、北陸にいる知人が社長の大工場で、必要部材の集積を含めて急ピッチで進められています。勿論、今、閲覧していただいている全ての開発計画の資料の説明を大本営の方々にして、納得して貰(もら)い、そして、大本営から正式に許可を得てです」
「なぜ、帝都が在る関東ではなくて、日本海側の北陸なのかは、敵上陸と空爆の脅威(きょうい)が太平洋側よりも少ないからです。天皇陛下を御守りしないのかとの責(せ)めには、陛下の御身(おんみ)の安全を保(たも)てる、安心できる事情が有るとしか、今は言えません」
「そういった事情なので、この工場に有る5式の製作に必要な、工作機械、冶具(やぐ)、部品に部材、資料、そして、一番肝心(かんじん)な貴方達は、三日(みっか)後の夜間に鉄道で北陸へ移送しますから、施設の機材と御自身の引越しの準備を、この後、直ぐに始めて下さい」
「そして、6輌全車の完成を9月20日とし、其の全力をもって、日本を完全占領しようと侵攻するアメリカ軍に、絶対に一矢(いっし)も、二矢(にのや)も射掛けて、散々、慌(あわ)てふかめかせて遣(や)りましょう」
「だが、残念な事にアメリカ軍の日本本土への侵攻は、5式の完成をよりも先になるだろう」
「予想される上陸場所は、九州鹿児島の吹上(ふきあげ)浜と志布志(しぶし)湾、関東では千葉の九十九里(くじゅうくり)浜と茨城の鹿島灘(かしまなだ)に神奈川の茅ヶ崎(ちがさき)の海岸だ」
「鹿児島では90式機動野砲を改造した3式75㎜戦車砲を搭載した3式中戦車チヌが迎え撃つ。しかし、必中の命中弾でも、敵のM4戦車を撃破するのは命中弾の半数に満たないだろう」
「関東では3式中戦車に加えて、確実なM4戦車の撃破を期待できる4式7・5㎝高射砲を改造した戦車砲を搭載した、量産が始まっったばかりの4式中戦車チトも参戦するが、如何(いかん)せん、生産が間に合わず、まだまだ数が少ない! そして、5式は、もっと少なく、たった6輌しかない!」
「其の6輌を完成させるにも、敵上陸の直後の戦場となる関東では、製造ラインを組む事もできない……」
「それでも、儂は其の時を想像します。単縦陣で迫って来る敵戦車隊の先頭のシャーマン戦車を射ち貫いて、後続の車列を停止させ、次は最後尾の戦車を火達磨(ひだるま)にする。それから挟(はさ)まれた残りのシャーマン戦車を5式の88㎜砲が狙いすませて次々と撃破して行く。だが、シャーマン戦車が放った75㎜徹甲弾は、5式の前面装甲を貫通できずに、全て弾かれてしまう」
「撃たれても、撃たれても、平気で撃ち返して来る5式に、きっと、ヤンキーどもは仰天するぞぉ! そして、自分達の装甲が射貫(いぬ)かれて、砕(くだ)かれる身体と炎に焼かれる恐怖で、震え上がるに違いない!」
「我々が唇を噛み切るほど、悔(くや)しがった絶望を、敵シャーマン戦車の乗員が味わうのだ。それは、なんと清々(すがすが)しくも痛快(つうかい)で、なんて晴れ晴れとした喜びだろうなぁ、諸君!」
其の言葉に全員の思いを鼓舞(こぶ)いして、血気を盛んにさせた。
「おおっー!」
「尚(なお)、88㎜砲搭載型の5式中戦車の名称は、『5式中戦車乙型2』、秘匿呼称は、『チリオツニ』に決定されました」
開発室長、八原大佐の優しい口調ながらも、現実的な檄(げき)に各自が『遣れる!』と奮(ふる)い立たされながらも、この食糧難の御時世(ごじせい)、何だか、御膳(ごぜん)に河豚(ふぐ)チリの鍋と牛のモツ煮が並べられたような秘匿名称に、其の場の全員が楽しげに早く食べてみたいと気に入っていた。
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更に、我が軍の戦車の主砲に貫穿力(かんせんりょく)が無い事を憂(うれ)いて、ビルマ戦線に着任当初、鹵獲(ろかく)したイギリス軍のM3軽戦車へ実弾標的射撃を行い、其の結果が非常に絶望的だと嘆(なげ)いて、一刻(いっこく)も早い強力な戦車砲の開発を訴(うった)えた第1戦車連隊長の向田宗彦(むこうだむねひこ)大佐も出席していた。
「我が方の戦車が敵戦車の砲弾で一撃に破壊されてしまうが、我が方の戦車砲弾は全弾命中すれども、悉く弾き返されるのを、散々見て来た」
「この惨(みじ)めさを逆転させずに、恥辱(ちじょく)を晴らさずに、何が一矢(いっし)を報(むく)いるのだ!」
「これから我々が開発を完了する『チリオツニ』は、必ず一矢を報いる強力な戦車砲を備えた兵器だと、私は確信している!」
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戦闘継続性を高める為の発煙弾の効果を理解して、標準装備の必要性を意見して発煙量を増大した新型発煙弾の開発を進めていた、陸軍大学教官の小林修二郎(こばやししゅうじろう)大佐や研究部の外山尚孝(そとやまなおたか)少佐と野口剛一(のぐちごういち)少佐が加わり、開発資材や装備兵器の確保と製作場所の工廠の手配など、より現実的に再開発は加速していた。
「砲塔の両側面の最後部に3連発の発炎筒発射機を備えます」
「新開発した直径90㎜の大きな発炎筒で、発煙の量と濃度は従来よりも格段に多く、瞬間的に目隠しをします」
「適切に使用されれば、生存性が上がり、何度でも敵に悟(さと)られずに守備位置を変更して攻撃出来ます」
「既に、濃い白煙でイカやタコの墨(すみ)のように自車を完全に見えなくする発煙弾も有りますが、50mくらいの近距離で炸裂しますから、防衛任務では逆に自分の位置を教えて、敵の接近を許し易くする事になります。なので、投射角度次第では最大500mくらい飛ばせる様に改良中です。」
「また、今、話しに出た墨では有りませんが、煙幕の色を白煙より遮光性(しゃこうせい)の高い、濃淡の灰色にする研究も進んでいます」
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『チリオツニ』の再開発に参与として名簿の筆頭に来て、一切(いっさい)の責任を負(お)うのは、井上芳佐(いのうえよしすけ)中将だ。
盧溝橋(ろこうきょう)で対峙していた日本軍と中国軍が昭和12年7月に衝突して、沈静化していた戦闘を大きく再燃させ、そして、支那事変が始まった。
其の年の3月に中将は、ヨーロッパ諸国の機動兵力の視察から戻り、当初の報告から『対戦車戦闘の最良の手段は、対戦車威力を有する砲を装備した戦車で有る』と、説いていた。
「今年の2月に本土決戦準備が発動されて、新たな戦車隊戦闘教令が編纂(へんさん)された」
「現時点で、地上に於ける戦車隊の最大の敵は、アメリカ軍のM4戦車だが、其の正面装甲は、95式の37㎜砲や97式の57㎜砲では、全く効果が無く、側面や後面にも、ただの開門願いにしかならない」
「高初速の97式改の47㎜砲でも、正面装甲の貫穿は無理だ!」
「正面戦闘では、有効射程まで引き付ける迎撃戦法で射貫できるのは、口径75㎜の90式野砲だけだが、それも100mの近距離以内だ」
「だから、伏兵的迎撃戦法を行う事とし、正面攻撃はせずに、M4戦車を遣り過ごしてからの極接近で、弱点の開口部分を狙う」
「このように、強力な敵戦車へは弱点射撃を推奨しているのに、今の5式試作中戦車には、弱点となる開口部が多過ぎだろう」
「まったく、期待される新開発の戦車に、その弱点を多く配置するとは嘆(なげ)かわしい!」
「それらを省(はぶ)けば、資材も、工程も、労力も少なくして、製作時間を短縮できるだろう」
「本土決戦が避けられない今、此処に居る全員で5式中戦車乙型2の開発を、必ず50日後の9月20日までに成(な)し遂(と)げなければならい!」
「もし、何らかの事態で遅れても、最大で9月末日が限界だ」
「10月まで遅れると、不具合の改善調整や基本操作の訓練が不十分(ふじゅうぶん)なまま、実戦となるだろう」
「チリオツニの試作量産車の製作は、八原大佐が述べた通り、既に始まっている」
「だから、本日の説明会の集まりは決起大会でもある!」
「それと、このチリオツニの件は、スパイ行為の防諜(ぼうちょう)と増えている厭戦(えんせん)の妨害行為を避ける為に、外部へ他言無用の気密扱いとする」
「一同(いちどう)! 状況は絶望的な摂津(せっつ)湊川(みなとがわ)だが、心は智力(ちりょく)を尽(つ)くす楠正成(くすのきまさしげ)だ!」
「おおーっ!」
5式中戦車乙型2の再開発と試作量産の総責任者である井上芳佐中将の激に、再び、工場現場の一角(いっかく)に集(つど)った全員が奮励努力の強い意思の大声で応(こた)え、其の鬨の声が工廠中に響き渡った。
つづく
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