昼に来るのは青い鳥

 ぱたん。ばったん。ぎーばったん。真昼を少し過ぎた時間ですが、仕立屋はおやつもせずに機織りをしていました。朝に貰った永遠花をさっそく使って、布を織っています。ぱたん。ぱったん。ぎーばったん。

「御免下さい。雲の大宮殿から伝令です。戸を開けてください」

 玄関から、少年らしい甲高い声が聞こえます。訓練された、よく通る声です。ですが仕立屋は返事をしません。ぱたん。ばったん。ぎーばったん。

「機織りの音がするから、居るのは分かっているんですからね。遊んでないでさっさと開門願います。我らが女王陛下からの伝令です」

 ぱたん。ぱたん。ばったん。ぎーばったん!

「……銀雀ぎんすずめの仕立屋さーん、僕も新しい服を一着作りたいなあと思っているのですが、相談に乗ってくれませんか?」

 ぱたん。たったったったっ。かちゃり。

「いらっしゃいませ。銀雀の仕立屋へようこそ。伝令さん」

 にっこりと仕立屋に出迎えられた伝令は、こめかみをひくひくとさせていましたが、負けずに微笑んでいます。夕日色の髪は短くきっちり整えて、いかにも宮仕えの秀才が、懐から書類を出しながら、早口に喋り出します。

「こんにちは。銀雀族の長殿。我らが女王陛下より、各神族の長へ式典への出席要請が出ています。常世との合同研究計画再開の、つまり人間界の再興を記念してのものです。五日後に開催されます。分かったのならこの書類に判を押してください」

 ずいっと差し出された書類を受け取ると、仕立屋は判を押そうとはせずに、丁寧に折りたたみ始めました。ぱたん。ぱたん。きゅっ。上手に花結びにされた書類は、仕立屋の髪飾りになってしまいました。

「そんなお遊びをなさらないで中に入ってください。仕立ての相談をされにいらしたのでしょう?」

 人の仕事に対して遊びとは失礼な! 伝令は青い翼を逆立てて叫びそうになりましたが、そもそも先に失礼な言い方をしたのは自分だと思い出しました。渋々と仕立屋について行きます。ついでに謝ってしまえばいいのに、口をへの字に曲げたままです。仕立屋は朝に夢の領主を通したのと同じ、色とりどりの織物を広げた部屋に伝令を案内しました。

「さて、どんな服をお仕立てしましょうか。仕事着でしょうか? それとも夜会服? 部屋着ももちろん承ってます」

 机代わりの堅くて厚い布にお茶を置きながら、仕立屋は尋ねます。髪飾りにしたきり書類には触ろうともしません。伝令は溜息をつき、それから辺り一面の仕立屋の作品に目を丸くしました。そして、喉に引っかかっていた言葉がするりと出てきます。

「……先ほどは大変失礼をいたしました。遊びでこんな品は作れませんね。ですが、僕の話も聞いて頂けますか。族長殿」

 謝罪はしてくれたものの、頑固な伝令です。仕立屋も溜息をつきましたが、口を開きます。

「なんで僕の所に族長の連絡が来るのかな。代替わりの挨拶はしたはずだけれど」

 足も崩さず、少し目を細めただけで、仕立屋の空気は先ほどまでとすっかり変わっていました。生まれた時からひとを束ねるために育てられたひとというのは、人間でも神様でも空気が少し違うものです。伝令は、仕立屋よりも翼は大きいですし、宮仕えとして優秀ではありますが、お腹の下に力を込めて背筋を伸ばさないと負けそうです。

「族長交代の規則は一族によって様々ですが、少なくとも銀雀族は一方的な指名では成立しないでしょう。指名された方は貴方が族長だと仰っています。よって、族長の仕事を放って機織りに精を出されていたとしても、雲の大宮殿は貴方を族長と認識しています。ですから、書類に判をお願いします」

「……判は押さないよ。だって、出席することになってしまうじゃないか。女王陛下からの通達は出席命令ではなくて、出席要請でしょう? だったら、僕には拒否権があるはずだよ」

「なぜです? なぜそこまで宮殿を拒むのですか?」

 仕立屋は、首を横に振ります。一つに束ねた巻き毛が乱れるほど激しく、否定を示します。

「違うよ。宮殿や陛下を拒むわけじゃないんだ。ただ、僕は、人間が、どうしても許せないんだ」

 まるい黄金の瞳にかすかにたまった雫は、強すぎる熱を帯びています。

「僕だって知っているよ。神でいた時間が長すぎて、天界と常世の境を見つめる時間が、僕らが生きていくうえでとても必要になってしまったのだと。命を、魂を、あの跡地に撒いて芽吹かせなければ、このままでは僕達が滅んでしまうと。けれどね」

 仕立屋の声は段々と小さく、低くなります。呪うような声が、唇から零れます。

「妻を奪った種族が再興することを、どうして祝わなければいけないの?」

 仕立屋の涙は音もなく織物に落下して、じわりと広がりました。

「……人間に、奥方は殺されたのですか」

「そう言える。でも、守り切れなかったのは僕だ」

 伝令はまた、口をつぐみます。自分が幼い頃に起きた、人間界を原因とするあまりに恐ろしい出来事の数々は、無神経に触れていいものではありません。

「愛おしいたったひとりを守れなかった男が、族長をしてはいけないでしょう。本当は、生きていて良いのかだってよく分からないけれど、息子を置いていくわけにはいかないから」

 だから、こういうのは、とても、とても困ってしまう。

甘えた口調で呟く声は、涙が混じったせいで崩れていました。けれど、仕立屋は最初にして見せたようににっこりと微笑みます。

「そういうわけだからごめんなさい。参加の判は押してあげられないけれど、僕一人いなくても式典は問題ないでしょう。長々と引き留めてしまってごめんね」

 仕立屋が花結びを解こうと髪に手を伸ばすと、伝令がその手をぎゅっと掴みました。

「伝令さん?」

「大切な存在を奪った相手を祝えだなんて言いません。僕には絶対できないし、なんなら式典を叩き壊したいから。でも」

 かちりと合った伝令の瞳の色は翼と同じ青です。晴れた空の、明るい色です。

「愛おしいたったひとりの未来が失われたら、自分の未来も失われなければならないのでしょうか?」

 今度は仕立屋が言葉を失う番でした。とても大切な柔らかいところに、真昼の陽射しを浴びせられてしまったようで、舌が上手く回りません。

「最近、新入りの武官で一人、面白い子がいるんですよ。僕もあまり背は高くないけれど、それよりも小柄で。髪も長いから女の子に見えるくらいなのに、御前試合じゃ力自慢の虎や獅子を身軽さで翻弄するんです。いかにも気の強そうな銀色の目で周囲を射抜く癖に、家族の話をするときは、果実みたいに甘い目になって」

 にっと、年相応の悪戯めいた笑みを見せます。

「『僕、強くなりたいんです。体だけではなくて心も強くなって、父さんに明るい景色を見せてあげたいんです。あの日から閉じてしまったあのひとに、少しでも温かなものを渡したいんです。だって、父さんの仕立てた品はいつも相手の心も温かくするものばかりだから』なんて、可愛らしいこと言うんですよ。ね、面白いでしょ?」

 ただでさえまんまるの仕立屋の目が、更に丸くなって伝令を見ていました。

「貴方と奥方が紡いだ未来は、雲の大宮殿で銀色に飛び跳ねています。それだけは忘れないでください」

 伝令は言い切ると、仕立屋の髪から花結びにされた書類を解いて、懐にしまいました。

「訪ねたけれど留守だった、ということにしておきます。なので、また来ます」

女王陛下の式典に真っ向から反対してこなかった、というのはあまり外聞が良ろしくないですから、伝令は小さな嘘を用意してくれたようです。

「……ごめんね、宮仕えの人に、陛下へ嘘をつかせて」

「全くです。陛下への忠誠を疑われたら貴方のせいです。ですから、謝罪として」

 伝令はぴしりと仕立屋に指を突き付けます。

「次に来る時までに、帯を仕立ててくれませんか。書類を手や鞄で運ぶとあまり早く飛べないんです。帯と体で挟んでしまえば楽になると思いますから」

 仕立屋はパッと顔が明るくなります。

「ご注文承りました。書類を運べる帯ですね。お色は何色にしましょうか」

「今着ている服に合う色なら何色でも。見栄えして動きやすいのでお願いします」

「それなら、空色はいかがでしょう。翼や瞳の色とも合いますし、よくお似合いになると思いますよ」

 不死胡蝶の鱗粉をよく混ぜた染料で帯を染めれば、晴れやかな瞳と翼に合う色が出来上がりそうだと、仕立屋は頭の中で思い浮かべました。伝令もうなずきます。

「女王陛下の使いたるもの、幸いの青い鳥でいないといけませんからね」

 幸福の使者は雲の大宮殿へと帰っていきました。仕立屋はまた、機織りに戻っていきました。ぱたん。ばったん。ぎーばったん。日暮れを過ぎても、音はやまなかったそうです。

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