FILE No.003「星と太陽」
FILE No.003
title:お嬢様をお守りいただきたい
from:森崎秀幸
text:
初めて投稿させていただきます、森崎と申します。
現在私は、鷹宮家の執事長を務めさせていただいております。
仕事で家を空けられることが多い旦那様・奥様に替わり、私がお嬢様のお世話役をさせていただくことも多いのですが、最近、屋敷内にて妙なものを見たと報告する執事が後を絶ちません。
何でも、夜になると、人間ではない何かがお嬢様の部屋に忍び込んでくるというのです。
見た者の証言では、まるで異星人のようであったとのことでした。
執事として、お嬢様の身になにかあってからでは遅いと思い、僭越ながらご連絡申し上げました。
何卒ご協力の程よろしくお願い致します。
▶FILE No.003 START
放課後の部室にて、誠一郎がノートパソコンのキーボードを打ちながら声を上げた。
「おや…また新しい依頼が来たみたいだ。今回は……おっと、また宇宙人に関する依頼のようだね…誰か現場に向かえそうな人はいるかな?」
そう言って、部室を見回した。目が合った少女の名は、
「“また”って、最近は宇宙人が流行ってたの〜?私行こっか?」
天井あたりを漂っていた結命は、画面を見るためノートパソコンに近づいていく。そのまま、微笑み返してきた誠一郎の肩につかまった。
「ありがとう。じゃあ、結命にお願いしようかな」
そんな二人の後ろから、飄々と話しかけてくる声。
「おもしろそうだねえ。ヒイラギクン、オレ参加してもいい?」
白衣に身を包んだ細身の男は、
「あっ、ザシちゃんセンセーだ! 久しぶり〜」
結命は振り返りざま、独特なあだ名で親しげに衣夜を呼んだ。
「やあ〜、イサリビクン。久しいね。元気そうだ」
元気そう。あくまでも、この意識体の姿は、だが。“本体”の安否に想いを馳せつつも、久々に会えたのが内心嬉しいのか、結命の頭を撫でようとする。
「花簪先生もいるなら心強いね。僕は情報面で部室からサポートするから、何かあったらすぐに連絡してね。花簪先生も、よろしくお願いします」
誠一郎の言葉を聞いた結命は、衣夜に目くばせをして、やる気に満ちた顔で一つ頷いた。
「ハァイ、よろしくね。ま、なんとかなるさ」
衣夜も笑顔で返す。部活外の教師だからダメもとで参加表明したけど、案外いけるもんだ。胸には今、とある不安が浮かんでいるが…ひとまず隠しておく。
「早速だけど、二人とも今夜の予定はどうかな?まずは鷹宮さんのお宅へお伺いして、執事長の森崎さんから話を聞くのがいいかな、と思うんだけど。もしかしたら…今夜早速、”お出まし”かもしれないからね」
「任せてセーイチロー。重力に縛られない者同士私も異星人みたいなものだから互角だよ!」
「今夜はオレも問題ないね。むしろ、早く会えるのは嬉しいもんだよ」
二人の返事を聞いて、誠一郎は掲示板の投稿に返信を打ち込んだ。
同日、夜。結命と衣夜は、鷹宮家の屋敷にやってきた。
身の丈よりも大きな門扉の横、チャイムを押して応答を待っている間、結命は自身の体が浮かないようにするのに意識が向いており、どこかぎこちない動きになっていた。衣夜の方は、いつも通り人間に扮している。髪は束ねていていつもよりまとまって見える。格好は、それらしい正装をひっぱり出してきたつもりか、間に合わせの服しかなかったのか…黒スーツに柄シャツである。側から見るとヤのつく職業に見えないこともない。
重々しく開いた門扉を通り、その後は執事たちの案内で、豪華な絨毯のある応接間へと通された。
長くて立派なテーブルの上、細かな装飾のティーカップ2つに紅茶が注がれたところで、奥から長身痩躯の燕尾服がやってきた。
「初めまして。掲示板"ゼロの目"に依頼を投稿させていただきました、鷹宮家執事長の森崎と申します」
そう言って、深々と頭を下げた。
「こちらこそ、初めまして。花簪衣夜といいます」
軽く会釈をする。目の前にあるティーカップに手をつけたいが、猫舌だし熱くて触れない。
「えーと、漁火結命です。こちらこそよろしくお願いします」
結命は結命で、相変わらず浮き上がらないまま座った体勢を保つのが精いっぱいで、ティーカップに手をつける余裕はない。
森崎は、そんな結命を心配そうに二度見したものの、畏まって再び頭を下げた。
「この度は、夜分にも関わらず申し訳ありません。ご協力ありがとうございます」
「いえいえ!大丈夫ですよ。こういうのは早いうちに片付けちゃったほうがいいでしょう」
厳かな場所で取り繕うのは得意ではないため、簡単な敬語を話すことで精一杯だ。…紅茶はまだ熱い。
「ご依頼したい内容は、おおむね掲示板の方に書かせていただいた通りなのですが…お嬢様――
森崎は、一層深刻な顔をして、結命と衣夜を見つめた。
「ただ、今回の件は、どうかお嬢様にはご内密にお願いいたします。実は、お嬢様ご自身から、そう言った怪異なものを見かけたという報告は受けていないのです。もしかすると、お嬢様には見えていらっしゃらない可能性があります。それならば、このまま伏せておきたいのです。お嬢様を不用意に不安に陥れるようなことはしたくない。何せ、お嬢様はお体が――心臓が弱い方ですので…心労の元となるものは、一つでも減らしておきたいのです」
「……。なるほど……。」
衣夜は、しばらく間を置いてから返事をする。……オレとイサリビクンで大丈夫か?だって、自分たちがそもそも、その“心労の元”になりうる“怪異なもの”なんだから。自分の場合、今夜くらい繕うのはなんとかなるかもしれないが…結命が心配だ。今だって、気を抜いたらすぐ浮いてしまいそうに見える。
「そういった異常存在は、私達の得意分野ですから。見張りでもなんでも任せてください」
とりあえず、こう返しておくことにした。
「なお、今回お二人がお越しになった理由について…お嬢様には『執事・メイドとして採用希望であり、今日から体験に来る』ということで話を通してあります。こうお伝えしておけば、お二人が屋敷をお調べになったり、お嬢様の部屋に入られたとしても、怪しまれないかと思いまして…。というわけで」
森崎が、奥に控えていた執事たちに目で合図をする。会釈をして下がっていった執事たちは、程なくして何やら黒い布を抱えて戻ってきた。
「こちらにお着替えいただければと」
執事たちが持ってきたのは、クラシカルなデザインのメイド服と燕尾服であった。次の瞬間、結命の目がぱあっとあからさまに輝く。
「本物のメイド服!かわいい〜!」
喜びのあまりつい浮き上がりそうになる体を抑えながら、メイド服を受け取る。はやる気持ちを抑えきれないのかその場で着替え始めようとするものだから、衣夜もうっかり素の口調が溢れる。
「あ〜。着替えは他の人に手伝ってもらったほうがいいかもしれねえな?」
結命がハッと羞恥心を思い出して留まる。
「お着替えの為の部屋はそれぞれご用意させていただいておりますので、そちらに数名ずつ付き添わせましょう」
森崎たちに案内されたのは、執事たちやメイドたちの控室のような部屋であった。控室──と言っても、壁紙は豪華なアラベスク柄で、天井からはシャンデリアが吊るされていたのだが。
「こういう服を着るのは…慣れないね。息苦しくてしょうがない」
控室から出てきた衣夜は、襟のあたりを触りながら、ぼそりと独り言を言った。先ほど着ていた服よりは数倍良くは見えるが、本人にとっては窮屈なようだ。
「とりあえず、だ。まず最初はオジョウサマの部屋を確認するのが妥当か。どうかな…イサリビクン」
衣夜の提案に、結命は深く考えずに「異論ありませーん」と同調する。
そのまま、二人は屋敷の廊下を進み始めた。
「それにしてもメイド服なんて初めて着たなぁ〜。似合ってるかな?」
着心地を確かめるつもりで、人目も確認せずに体をくるりと回転させたのは、浮かれている証。直後、廊下の奥から森崎が現れたので、危ないところであった。
「お二人共、もう着替えはお済みで──ああ、とても良くお似合いです。この後も、屋敷内は自由に見ていただいて構いません。お嬢様の部屋も、お入り頂いても構いませんが…この時間だともうお休みになられている頃かと思いますので、起こされぬようご配慮の程よろしくお願い致します」
そう言われて、二人は廊下に置いてある立派な置き時計に目をやる。21時半を回ったところであった。その時計を通り過ぎ、角を曲がったところが目的の場所だ。
カチャカチャ…
ゴソゴソ…
扉の向こう、寝ているはずのお嬢様の部屋から、何故か物音が聞こえてくる。二人は互いに一度顔を見合わせてから、ゆっくりと、静かにドアを開けた。
月明りだけが照らす、薄暗い部屋。奥には天蓋付きの大きなベッドがある。
その上に、今まさにのしかかろうとするシルエット。
こんな暗がりでも、人ならざるものであるとわかる。だって──膝から下がないのだから。結命の脳裏に、「とりあえず引き離さないと」という考えがよぎる。
一方の衣夜は、自身の研究者としての職業病に──はたまた生粋の好奇心に──一瞬気を取られる。
(あれが噂のゼロか!……気になる…調べたい。捕まえるチャンスはいくらでも…)
しかしその一瞬で、結命はすでにそのシルエットの背後に瞬間移動して組み付きを試みていた。
「待てイサリビクン、起こさないように言われてるからっ…!!」
衣夜は囁き声でそう叫んだが、聞こえているだろうか。間に合いそうにはない。
怪異なシルエットは、二人の存在に瞬時に気づいたようだ。しかし、結命の瞬間移動の方が僅かに速かった。
「離セ!邪魔、スルナ…!!」
強い力で振りほどき、結命の体が一瞬、宙を舞う。しかしもちろん、普段から浮いている結命が床に叩きつけられることはない。床につく寸前で急旋回し、再び攻撃をしかけ──ようとしたところで、幼い少女の悲鳴が聞こえた。
「キャァ!!だっ、だれ、誰なのっ!?」
目を覚ましたお嬢様──日葵は、自室に侵入してきた部外者に気がついた。
「私、こ、こんな人知らない!早く追い出してっ、”アストラ”!!!」
「…ワカッタ」
……指示を、出した?
そしてゼロの方は、すんなりとその指示に従うそぶりを見せている。
(あのオジョウサマ、見えてないんじゃなくて隠してたのか!)
衣夜は日葵とゼロのやりとりを見てそう感づいたのだが、一方の結命は状況に理解が追いつかずに慌てふためいている。
「えっ、何っ? どういうこと?」
「待ってくれ!違う違う。盗人じゃない!」
結命が混乱している間にも、衣夜はその場を収めようと説明を始めた。この場は口を開いた衣夜に任せることにして、結命はひとまず落ち着こうと努める。
「モリサキサンから聞いてないか?今日から体験に来るって……」
「えっ…!?……あっ、そ、そういえば…」
ハッとしたような表情になる日葵。森崎に説明された内容を思い出したようだ。
「あ、あの…ごめんなさい…起きたら知らない人がいたから、あの、びっくりしちゃって、その……」
と、オロオロしながら話しだした。
「新しい執事さんとメイドさんが来るっていう話は、お伺いしてたんです、でも、その、まさか…二人とも人間じゃないとは思ってなくて、その…」
衣夜は、自分の変化は端から無駄だったのか、などと思いながら日葵の話を聞いていた。
日葵の歳は──まだ十歳くらいだろうか。小柄で幼い少女の横で、大きな紫色の怪物が大人しく話を聞いているのは、いささか異質な光景であった。
「私は、鷹宮日葵といいます。この子は“アストラ”──私の、たった一人の友達なんです…!だから、お願い、アストラを傷つけないで…!」
震える声でそう言った。
「ふぅん…。そういうこと。別に傷つけやしないよ」
衣夜は、日葵と、”アストラ”と呼ばれたゼロを交互に見ながらそう答える。アストラも現状襲ってこないようなので大体の事を話しても大丈夫だろう。
「モリサキサンがオレらに依頼してきたんだ。紫色の異星人が出るからオジョウサマに何かあったんじゃないかって心配らしくて」
初対面とは思えないほど馴れ馴れしく話している。確かにいつものことだが、日葵が“見える人”だと判断した上である。
「ちなみに、今おまえさん以外はオレやイサリビクンが人外だって知らない。オレの場合、霊感のない奴にはちゃんとヒトに見えるんでね。今だってそうだ」
「そ、そうだったんですか………」
衣夜の話を聞いて、日葵は少し俯いた。
「私、小さいころから体が弱くて…勉強も、家庭教師の先生にこの部屋に来てもらっていて、学校にはほとんど行けていないんです。そんなとき、ある夜、突然アストラがやってきて…お友達になってくれたんです」
言いながら、日葵がチラ、とアストラの方を見ると、アストラはそっと日葵に近寄った。
「私の知らない外の世界の話を、アストラはたくさん教えてくれました。私はもともと、幽霊とか、人間でないものも視えているので、アストラを初めて見たときにもあまり驚かなかったのですが…お屋敷の執事さんたちやメイドさんたちはそうではないと思って、それで、今までずっと隠していたんです…でも、そのせいで、皆さんに心配させてしまったのですね…」
「ヒマリ、悪クナイヨ。優シイヨ」
しょんぼりする日葵の頭を、大きな紫色の手でそっと撫でる。
「ありがとう、アストラ…。私、これからもアストラと仲良くしたいし、友達でいたいのですが…どうしたらいいでしょうか、やっぱり森崎さんたちにもお話をしたほうがいいのかな…」
日葵とアストラのやりとりを聞いた衣夜は、少し間を開けてから……真面目な口調で話し出す。
「霊感のない人間にこの事を話すっていうのかい?俺ならしないね」
えっ、と目を丸くして、結命は衣夜の顔を見た。無理もない。いつもなら「どうにかなるだろ〜」と楽観的に考えているあの衣夜が、珍しく否定の案を出したのだから。
「お前さんにとっては友達でも、霊感のない人間からしたらバケモノだ。友好的だろうが知ったこっちゃないんだよ…」
どこか遠くを見るようにして話す衣夜。それは、日葵を諭すというより──まるで自分自身に言い聞かせているような、そんな口ぶりだった。
「だから…やめとけ…。このまま秘密にしておく方がマシだ」
確かに、衣夜の言う通りかもしれない。しかし。でも。結命は、衣夜のそばに戻って思案を巡らせる。
「むむ、ムムム~~」
なんとかしてあげたいという思いから、解決策や打開策を考えようとするが、駄目だ。どうしても衣夜や森崎たちを納得させる説明が思いつかない。進礼高校の入学試験の面接対策にもかなり苦戦して体調不良で寝込んだくらいには、自分の考えを話すことが苦手な結命だ。自分の口先ではどうにもできないと判断し、最終手段に出る。
「でも……ザシちゃんセンセー。たったひとりの友達なんだよ。このまま隠し通す方法を考えるとか、森崎さんたちを納得させるとか、なんとかならないの……? だって何も悪いことしてないんだよ!」
衣夜がその飄々とした顔の奥に、非情な一面を持っていることを、結命は知っている。しかし無情ではない。少なくとも結命の瞳にはそう映っているし、そう信じている。心から頼み込めばきっと今回も何とかしてくれると信じて、自分の思いを振り絞った。
「会ったばかりのゼロだし、悪いことしてるかは分からんだろうよ……。でも、う〜ん……。イサリビクンがそう言うか……」
衣夜は頭を掻いて眉をひそめ、考える。結命の“事情”を知っている身としても、オカルト研究部で付き合いが長い相手としても「無理だ」と言えない──
──バタバタバタ…!
突如、部屋の外から足音が聞こえてきたかと思うと、いきなり部屋の扉が開いた。
直後、パッと部屋が明るくなり、部屋にいた全員が眩しさに一瞬硬直した。
「お嬢様、ご無事ですか──うわああッ!!ば、化け物!!!」
部屋の中から争うような物音がしたのを聞いて、慌てて駆けつけてきた森崎であった。アストラのあまりにも異質な姿を見て、反射的に大声を上げる。結命は、衣夜の陰に隠れてこっそりと地面に足を下ろした。
(よりによってこんな時にくるか。最悪だな)
衣夜は内心で舌打ちをした。隠し通す作戦が消えたのは個人的に痛手だが、状況とは反対に冷静な自分が、森崎をどことなく冷ややかな目で見る。あの反応は昔から馴染みがあるが…いつまでも慣れない。そんな衣夜にすがるように、結命は燕尾服の袖の端を掴んだ。
「ザシちゃんセンセー……」
しかし──森崎が次にどう出るかと緊張する衣夜と結命だったが、当の森崎は固まって動かないままだった。
「これは一体…どういう状況なのでしょうか、お嬢様………?」
状況を掴みかねているようだが、無理もないだろう。日葵の怯えた表情は、その“異質な姿”にではなく、森崎自身に向けられていたのだから。
そしてその震える腕は、明らかに庇うように、その“異質な姿”を抱きしめていた。
「森崎さん…!」
震えていた日葵は、しかし、意を決したように口を開いた。
「アストラは、私の友達で…悪い人じゃないんです…!でも、この姿を見たら、森崎さんたちはきっとびっくりしちゃうと思って…今まで隠していたんです…。だけど、そのせいで皆さんに心配をかけてしまって…ごめんなさい…」
そこまで言って、うつむいた。
「……お友達…?こんな、怪異な見た目をしたモノが、お嬢様のお友達だというのですか…!?信じられない!!」
ヒステリックに叫ぶ森崎。衣夜の冷ややかな目などに気づく余裕もない。それは、アストラに対する恐怖ではなく、日葵が傷つくことに対する恐怖故の叫びであった。
「お嬢様の身に何かあってからでは遅いのですよ!!私はあなたの身を案じているのです!!ですから…!!ですから………」
そこで、言葉を詰まらせた。
「………………取り乱してしまい、申し訳ありませんでした…。少し、考えさせていただきたい…」
よろめくように頭を下げてから、森崎は部屋を出ていった。パタン、という音と共に、扉が閉められる。
「いわんこっちゃない……」
部屋の中、小さくうずくまるアストラと、悲痛な表情の日葵を交互に見つつ、衣夜は言った。
「…だが、かなりマシな方だな。珍しい。とりあえず、オレらはモリサキサンの跡を追ってみるか。助けを呼ばれたら困るだろう?」
重い足取りで歩く森崎を捕まえるのは容易であった。
「お二人共…先程はお見苦しいところをお見せして、申し訳ありませんでした……。私は心から、お嬢様の身を案じているのです…」
衣夜と結命に目を合わせないまま、森崎は話し続ける。
「ただ、お嬢様に健やかに成長されてほしいと、本当に願っているのなら…私は“あのお友達”を迎え入れるべきなのではないか、とも思うのです…」
予想していなかった方向に進みそうな森崎の言葉を聞きながら、衣夜と結命はおや?と顔を見合わせた。
「お嬢様は、あのお部屋で、ずっとお一人で過ごされてきました。さぞ寂しい思いをされていたことでしょう…。それに、もしあの怪物にお嬢様を襲う意志があるのなら、我々に見つかるより前にとっくに手にかけていたとも思うのです。しかし、それをしなかった………」
確かに、先ほどのアストラは、日葵のそばで小さくなっているだけであった。
「とはいえ、いきなり信用せよというのも難しい…。それは、相手が人間であろうとそうでなかろうと、初対面ならば少なからずそういうものでしょう。……そこで、お二人にお願いがあるのですが…」
森崎は顔を上げて、二人の顔を見る。
「しばらくは試験期間として、様子を見たいのです。“あのお友達”が信頼に足る者かどうか、見極める時間が必要です。…そのために、これからもしばらく、夜にはこちらへ来ていただいて…怪物の監視をお願いすることはできませんか。もし万が一のことがあった場合、我々の力だけではお嬢様をお守りできない……不甲斐ないことですが………」
衣夜は目を丸めて驚いた。怪異も何も知らないただの人間が、お嬢様を大事にする思いでこんなお願いをしてくるなんて想定外だった。
「え、ええ。いいですよ!」
思わず動揺した声色になっている衣夜を、結命の涙声が遮った。
「それじゃああの二人ももう関係がバレることを気にしなくていいってことですよね!」
喜びのあまり、ほとんど浮き上がりそうになっている。
「よかったぁ〜、よかったよ〜ザシちゃんセンセ〜!!」
衣夜にしがみついて、穏やかな笑顔でわんわん泣き始めた。
「まあ、泣くなって……。」
衣夜は結命の頭を撫でつつ、森崎を見る。
「しかし、素晴らしい心がけですね。怪物を見たら大概は取り乱すもんですが……」
「…とんでもない。先程の私は、お恥ずかしながら…明らかに取り乱しておりました。執事たるもの、いかなる時でも冷静沈着に、主人を──お嬢様をお守りしなければならないというのに…そんなお嬢様と、まだ信用ならない怪物を部屋に残して出てきてしまう程度には、混乱しているようです…」
森崎は自虐的に嗤った。
「ふうん……。まあ、今日はとりあえず大丈夫でしょう。騒ぎを起こしたあとで悪さするなら我々がすぐにでもとっちめてやりますから」
衣夜の言葉を聞いた森崎は、少し安心したような顔で一つ頷いた。世の中には色んな人間がいるというのは、衣夜も長く生きてきた中で重々解っているが…この森崎という男の言っていることは、大方本当なのだろう。
去っていく森崎の背中を見送りながら、衣夜は小さく呟いた。
「問題はこれからだな。アストラが本当に信頼に値するかはオレらが見なきゃいけないわけだ」
ごくり、衣夜にしがみついていた結命が、決意するように唾を呑んだ。
それからというもの、衣夜と結命は毎夜のように屋敷を訪れては(何故か毎回着替えさせられた)、アストラの監視を続けていた。
当のアストラは、見た目こそ奇怪ではあるが、いつ見ても日葵と楽しそうに話に花を咲かせている。その姿は、本当に同年代の友達に見えた。
ある日の夜、日葵はいつになくウキウキとした様子でアストラに言った。
「明日も来てね、アストラ!……実は明日、アストラに渡したいものがあるんだ!」
「…プレゼント??」
大きな図体に似合わず、アストラは小動物のように小首をかしげる。
「そう、プレゼント!何かは…内緒だけど…!でも、頑張って作るから、絶対来てね!」
満面の笑顔でそう言って、小指を立ててアストラに差し出した。
「ウン!…明日………」
そこで一瞬、アストラが言葉をつまらせたような気がしたのは、気のせいだろうか。
「……約束、スル」
アストラはゆっくりと大きな手を差し伸べ、日葵の小さな手と指切りをした。
翌日も、衣夜と結命、日葵の三人は、日葵の部屋でアストラが来るのを待っていた。日葵の手には、いかにも手作りといった風合いの、可愛らしい包装紙でラッピングされた小箱が握られている。
時刻は21時半を回ったところ。そろそろアストラが来る頃だ──いつもなら。
珍しく少し遅れてやってきたアストラだが、何だか様子がおかしい。腕を前にだらんと垂らし、ふらふらとよろめくようにして部屋に現れた。
「アストラ、…大丈夫?どこか具合が悪いの…?」
すぐに異変に気づいた日葵は、そっとアストラに駆け寄る。
「もし辛いなら、今日は無理しなくていいから──そうだ!」
そう言って、小箱を差し出す。
「元気になれるおまじない!これをあげるね!」
アストラは、震える手でそろりと箱をつまみ上げ──
──次の瞬間、それを握り潰した。
グラアアァァァァァ…!!!!!!
腹の底から唸るような咆哮。
部屋全体が震えて揺れる。
日葵は何が起こったのか理解できないまま、真っ青になって固まっている。
「ひまちゃん危ない!」
明らかに様子の違うアストラから引き離すため、日葵の腕を引いて場所を入れ替え、結命がアストラの前に出る。
結命は、とりあえずアストラを落ち着かせなくてはと咄嗟に考え──いや、あるいは考えるよりも早く──袖をまくって小さな剃刀を取り出していた。
「
自分の腕に剃刀をあてがい、後のことは任せると伝えるつもりで、衣夜に目配せを一つ。しかし、それを確認した衣夜はひどく動揺した。部室で依頼を受けたあの時によぎった“とある不安”が、現実になろうとしている。
「おまっっ…!?」
その技は、使えば使うほど、“本体”の病状を重くすることを、衣夜は知っている。そして厄介なことに、結命本人はそれを知らないのだ。
衣夜が咄嗟に結命の腕を掴んで引き留めた次の瞬間、部屋中に花びらがぶわあっと舞い上がった。衣夜自身が「花参り」と呼ぶこの技は、相手が霊体でないと攻撃はできない。実体のあるアストラにとっては目くらまし程度にしかならないが…相手を傷つけたいわけではない今回は、かえって好都合。
「イサリビクン、それを使うのは先生困るな」
花びらが舞う中、衣夜は結命の細い腕を掴んだまま、普段よりずっと深刻な目の色で言った。
「ほら……。万が一俺らが煙を吸ったら、足手まといになるからね」
と、使わせない理由を適当に誤魔化しておく。目の前の結命は、“本体”と言うものが存在していることすら、よくわかっていないのだ。言えない。
「アストラクンは前から少し様子がおかしかった……。一回拘束して元に戻す方法を探すか…あるいは…」
状況を整理するように話し出した衣夜は、次に、人間の言語とは思えないような馴染みない発音の言葉を唱え始める。消えかかる花びらの中から、今度は蛸の触手のようなものが姿を見せた。この技「
しかし、衣夜と結命が臨戦態勢に入ったことを感じ取って、アストラは即座に二人へ向き直った。二人に隙はない。アストラは間合いを詰めるように、じりじりと二人に近寄ってくる──何か呟きながら。
「ロ………、セロ…………、喰ワセロオオオオオォォォ!!!!!」
極度の空腹を迎えているようだ。勢いよく結命に飛びかかってくる。その勢いは、命あるものを見境なく喰らい尽くす気でいるように見える。
日葵を守るため、一歩も引かずに両手を広げた結命だったが、その眼前に、突然影が飛び込んできた。
「アストラ、ダメ───ッ!!!」
結命の後ろから無謀にも飛び出した日葵が、あろうことか、アストラに抱きついて制止させようとしている。
「…グアアァァ───ッ!!!!」
再び咆哮するアストラ。小さな日葵を、長い両腕で抱え込む。そのとき、アストラの頭部全体に大きな穴が空いた──ように見えた。これがアストラの口のようだ。
ガブ、という音。
次いで、バタタタッ、と何かが──血液が、床に飛び散る音。
そして…少女の高い叫び声。
戦わなければ、何とかしなければと思うのに、結命はあまりの悲惨な現状に一瞬だけ、目をつぶってしまった。次の瞬間に聞こえてきたのは──
「アストラ!アストラ!!しっかりして!アストラ!!!」
大粒の涙をぼろぼろこぼしながら叫ぶ、日葵の声であった。アストラを一層強く抱きしめている。
「食ベタイ…食べ…タクナイ…食ベタクナイ…!ヒマリ、逃ゲテ、ヒマリ……!!」
自らの中の“何か”と格闘しながら、絞るような悲痛な声を上げる、異形の怪物。自ら噛み付いたその腕からは、多くの血が滴っていた。
「天性的な方か…」
てっきり操られているのかと思ったが、どうも違うらしい。衣夜は、なるほど、とひとつ呟いた。
(自分の本能に逆らってどうしてそんな無茶するかね……)
内心で少し呆れながら、欲求に逆らわず実験を繰り返している、研究室での自分をふと思い出す。
(まあ、俄然興味が湧いたな。拘束してでも聞く価値がありそうだ)
もう一度、「水章魚詣り」を使用してアストラの動きを封じ込めようとする。
「ヒマリクン、離れるんだ。そこにいると巻き込むことになる」
「でも──」
咄嗟に反駁しかけた日葵だったが、衣夜の真剣な表情を見て言い留まった。
アストラを監視する目的とはいえ、衣夜と結命が家に来るようになって久しい。日葵にとって二人はもう、貴重な存在──友達になっていた。日葵は、友達の判断を信じることにしたのだ。
「わかりました、お願いします…!」
そっとアストラから離れる日葵。間髪入れずに、触手のような何かがアストラに絡みつき、動きを封じた。
アストラは抵抗しない。落ち着きを取り戻したのか、腕の傷が痛むのか、はたまた…腕の周りだけ触手の締め付けを強くすることで、衣夜が自分の止血を試みていることに気がついたのか……
「黙ッテテ、ゴメン…皆ニ、ゼンブ、話ス……」
解かれていく触手。うつむきながら、アストラはぽつぽつと語りだした。
人間が好きなこと。
中でも、日葵は特別に大好きなこと。
月に一度、満月の日が捕食日であり、生物を見境なく食べてしまうこと。
今日が満月の日だと知っていながら、日葵に会いたくて、部屋に来る約束をしてしまったこと。
懺悔するように、小さくうずくまる大きな怪物を、満月が嗤うように照らしていた。
「──なるほど、事情はわかりました」
日葵の部屋、アストラの腕に包帯を巻き終えてから、森崎は口を開いた。
「なんとか事前に阻止できたとはいえ、危うくお嬢様にお怪我をさせるところでした。これは断じて許されるべきものではありません。人間に襲いかかる怪異な存在など、お嬢様のご友人に相応しくない」
日葵とアストラは、黙ってうつむいたまま森崎の話を聞いている。
「……………………しかし同時に、自らの本能に逆らい、そして自傷してまでお嬢様を守ったのも事実。そう考えれば、これほどまでに頼もしいご友人はそういないでしょう………」
森崎はそのまま黙り込み、長く、長く考え込む。
しばしの沈黙。
そして言った。
「…………わかりました。今後のことについて、私から加納に話をしておきます」
森崎は頭を下げ、四人を残し、静かに部屋を出ていった。……“かのう”とは誰なのか。衣夜と結命が顔に疑問符を浮かべていると、それを察したように日葵が言った。
「……あっ、か、加納さんというのは…このお屋敷のシェフをされている方です…。私やメイドさん、執事さんたち全員の食事を担当されていて…すごい人なんですけど、……その加納さんに何の話があるんだろう………」
日葵は、森崎が出て行った部屋の扉を、不思議そうに見つめた。
その後、満月のある日。
シャンデリアの豪華な食堂で、鳥の丸焼きを一口で食べたアストラと、それを見て思わず笑い出す日葵と執事たちの姿があった。
あれから鷹宮家では、月に一度、満月の夜に、盛大な食事会をすることになったのだった。
とめどなくご馳走を口に放り込んでいくアストラの首には、ペンダントがかかっている。太陽と星を模した飾りのついたそれは、一度砕けたものをセロテープで下手くそに、しかし丁寧に止めてあるようだった。アストラ曰く、自分で壊したのだから自分で直した、とのことだ。
思わずこぼれた日葵の涙は、笑い過ぎによるものか、嬉しさ故か。
ロメインレタスのサラダにサーモンのテリーヌ、合鴨のピンチョス、パルミジャーノをふんだんにかけたフェットチーネ──鷹宮家の大きな食堂は、様々なご馳走と笑顔で今宵も鮮やかに彩られる。
▶FILE No.003 FIN.
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