第15話
「ここが宝石伯爵の幽霊屋敷ですか。確かに幽霊がいるようには見えませんね」
翌日、時間きっかりに公爵様はやってきた。
興味深げに応接間を見渡すと、壁の肖像画に目を留めた。
「これが伯爵夫妻ですか」
「はい」
「――セヴリーヌ・アルシェでしょうか」
「はい、そうです」
すごい、少し見ただけで作家が分かるなんて!
「彼の絵はいいですよね。特に猫の絵が素晴らしい」
「猫、ですか」
「彼は大の猫好きで、とても愛情を込めて描くんです」
「まあ」
あの立派なお髭の画家が猫を可愛がっている姿を想像して、微笑ましい気持ちになった。
「ステラ嬢はやはり笑顔が可愛らしいですね」
「え?」
「宮中晩餐会で見た時も、とても楽しそうに笑う子がいると覚えていたんです」
「……そうでしたか」
母親には『淑女はそんなに笑わないの!』とよく注意されていたのだけど。
「――それで、本日はどういったご用件でしょうか」
隣のレイモンドがどこかいつもより低い声で尋ねた。
昨日、公爵様への返事を出した後、レイモンドへもこの件を手紙で送ったのだ。その日のうちに『自分も同席する』と返事が届き、今日この場に彼も一緒にいる。
「頼みたいことがあるとのことでしたが」
「ええ、この屋敷を取材させていただきたいんです」
「取材?」
思いがけない言葉にレイモンドと顔を見合わせた。
「実は、私は別の名前を持っていまして」
公爵様は胸元から名刺入れを取り出した。
「アダム・アンカーソンという名前で小説を書いているのですが……」
「アダム・アンカーソン?!」
思わず声を上げてしまった。
「推理小説家の?!」
「ご存知ですか」
「大好きです!」
え、あのアダム・アンカーソンが公爵様?!
推理小説家の中で一番好きな作家で、そのトリックや心理描写の巧みさはもちろん、貴族社会の描写も上手いと思っていたのだけれど……まさか、貴族の中でも頂点に立つ存在の公爵様がその人だったとは。
「証拠になるかは分かりませんが、信じていただこうと思いこれを」
名刺を受け取ると、後ろに控えていた従者が本を差し出した。
「今度発売になる新作です」
「……ありがとうございます! 楽しみにしていたんです」
アダム・アンカーソンの新作!
少し前に本屋で広告を見て、発売されたらすぐに買いに行かなくてはと思っていたのに。
「え、サインまで!」
表紙をめくると、そこに直筆のサインが入っていた。
(わあ……どうしよう、早く読みたい。ああでもこれはサイン入りだから保存用?)
「ステラ」
見返しをめくり、そこに書かれたタイトルを目にしてドキドキしているとレイモンドにそっと裾を引かれ、我に返った。
「あ……申し訳ございません」
「いえ。そうやって目の前で読者の方に喜んでもらえるのは嬉しいです」
公爵様に笑顔で言われてしまい、顔が赤くなる。
「それでですね、次回作は宝にまつわる話にしようと思っていまして。それで先日のオークションにも行ったのですが、そこでステラ嬢をお見かけして。宝石伯の屋敷を相続したと聞いて今日お願いにきたんです」
「そうでしたか」
お宝にまつわる話! どんな話になるんだろう。
「取材というと、何をするのでしょうか」
レイモンドが尋ねた。
「そうですね。この屋敷には隠し部屋が幾つかあると聞いたのですが」
「……それは、どなたから聞かれたのでしょう」
「死んだ父からです。昔、この屋敷に滞在して宝探しを楽しんだとか」
「ああ……」
画家のセヴリーヌ・アルシェも言っていた。おそらく、隠し部屋といっても何かを隠していた訳ではなく、伯母夫婦はそうやって娯楽用に使っていたのだろう。
「二つは知っています。それ以上あるかどうかは分かりません」
「そうですか。それを見せて頂くことはできますか?」
「ええと……」
困ってレイモンドを見る。今、隠し部屋は宝石の保管場所として使ってはいるけれど……。でも、アダム・アンカーソンの新作に協力できる機会だし!
「その隠し部屋の位置を小説の中で明かしたりするようなことはないですか」
「もちろんしませんよ」
レイモンドの問いに公爵様は頷いた。
「参考にはしますがそのまま使うわけではありません。取材元は分からないよう、いつも細心の注意を払って書いていますから」
「それでしたらお見せいたします」
「ありがとう」
王子様スマイルというのだろうか、公爵様は輝くような笑顔を見せた。
「コニー、ランドルフ」
隠し部屋の取材は日を改めて行うことになり、公爵様が帰るとレイモンドはコニーと執事を呼んだ。
「次に公爵が来るときは、絶対ステラと二人きりにならないようにして欲しい」
「はい」
「分かっております」
「え? どうして?」
首を傾げるとレイモンドがじと目で私を見た。
「公爵はまだ独身で婚約者もいないと聞いている。女嫌いなのではという噂もある」
「そうなの?」
「その公爵が……ステラに興味を持っているようだ」
「興味? 何の?」
「何のって……」
「お嬢様は本当に」
レイモンドとコニーがため息をついた。
「好意があるということでしょう。お嬢様を口説かれているように見えましたよ」
ランドルフが言った。
「……ええっ?」
公爵様が私を口説く?!
「それはありえないでしょう。だって公爵様は王位継承権を持っている方なのよ」
現国王には王子と王女が一人ずつ。公爵様はその次、つまり王位継承権第三位だ。
「そんな立派な方が私に好意を持つとかあり得ないわ」
「立場とからは関係ないと思いますが」
「そんな立派な方が小説家という方があり得ませんけれどね」
「……でも好かれるようなことしてないわよ?」
「仰っていたではないですか、笑顔が可愛らしいと」
「それは社交辞令でしょう」
「ステラ」
レイモンドはまたため息をついた。
「――君は確かに、笑顔がとても魅力的なんだ」
「まあ」
本当に? 照れてしまうわ。
「……それに、その素直に喜んだり恥ずかしがる表情もまずい」
「先刻公爵様の前でもなさってましまね」
まずいって何が?
「そもそもお嬢様が宮中晩餐会に出られたのは二年ほど前に一度きりですよね。何百人も参加される場でお嬢様のことを覚えていたというのは、よほど印象に残っておられたのでしょう」
「……そうなのかしら」
確かに、私は人が多すぎてほとんどの方が記憶にないわ。
「ともかくステラ。絶対に公爵には気を許さないように。いいね」
「分かったわ」
「……それが分かってないのがお嬢様なんですよね」
真剣な顔でそう言うレイモンドに頷くと、コニーが何かぽつりと呟いた。
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