第9話
「まあ、素敵なネックレスですわ」
「これがヒスイなのですね、初めて見ましたわ」
「不思議な色合いでございますね……」
「ええ、私も初めて見た時は驚きましたの」
ご夫人方に囲まれてご満悦そうな表情を浮かべているのはこの夜会の主催、アクロイド伯爵夫人だ。
ちなみにヒスイのネックレスをつけているのは夫人本人ではなく、娘のサーシャ嬢で、母親同様誇らしげな表情で座っている。
どうして夫人がつけないのか、レイモンドさんに聞いたら『主宰としての仕事もあって忙しいから娘をマネキンにしているのか、これを機に娘の婚約者を探しているのでしょう』と言っていた。
ヒスイのネックレスは、同じ大きさの丸い石が連なったもので、他の装飾はなく、石を留める台座すらない。
「この石はどうして丸くカットされているのかしら」
「それに他の装飾も全くないのですね」
「……少し地味に見える気もいたしますわ」
ご夫人方も不思議に思ったらしく、アクロイド伯爵夫人に尋ねていた。
「どうしてかしら、ジョンストンさん」
伯爵夫人はレイモンドさんに声をかけた。
「この石は丸くカットすることで一番美しく見えるんです。このネックレスはおそらく産地である東方で加工されたのでしょう。国が変われば美の基準も異なります。このような石だけの細工が彼の地では好まれているのかもしれません」
「まあ、そうなのですね」
「さすがジョンストン様ですわ」
「ありがとうございます」
褒められて少し照れたようにレイモンドさんは頭を下げた。
「退屈でしょう、ステラ嬢。どなたかお知り合いがいるのでしたら行ってきてもいいですよ」
私へ向くとレイモンドさんは言った。
「いえ、大丈夫です。今のところ知人はいないようなので」
「すみません、もう少しで解放されると思いますから」
レイモンドさんはこうやってヒスイや、来客が身につけているアクセサリーの解説などをするために控えている。一通りの挨拶が終わりダンスタイムが始まるまでは動けないのだ。
私も友人が来ていれば挨拶に行こうかと思っていたのだが、アクロイド伯爵家の交友関係と我が家のそれは重なっておらず、この場に知った顔はほとんどいなかった。少し寂しい気持ちとともに、ホッとしている部分もある。――もう私は向こう側の人間ではないのだし。
「ジョンストンさん、本日はご足労様でした」
ダンスタイムが始まり、娘さんが男性に誘われて踊りにいくと伯爵夫人がこちらへやってきた。
「お父様に『息子の方が変わった宝石の知識は深い』とお聞きしておりましたが、さすがの博識でございましたわね」
「いえ。恐縮です」
「私、ヒスイがすっかり気に入ってしまいましたの。ジョンストン商会では扱っていないのかしら。そうね、できれば指輪がいいのだけれど」
「ヒスイはご存知のように大変稀少でして、まだ私どもでは扱ったことがございません」
「まあ、そうでしたの。ではもし手に入ることがありましたら真っ先に連絡して頂きたいですわ」
「はい、是非」
「予算はいくらでも構わなくてよ」
優雅な笑みを浮かべてそう言うと、伯爵夫人は私へと視線を移した。
「ところで、こちらの可愛らしいお嬢さんを紹介していただけるかしら」
「これは、ご挨拶が遅くなりました。ステラ・アディソン嬢です」
「アクロイド伯爵夫人には初めてお目にかかります」
「アディソン……まあ、もしかして、子爵家のお嬢さん?」
ドレスの裾を摘んで挨拶をすると、夫人は目を丸くした。
「……はい」
「まあ……ご両親はお可哀想なことをしましたわね。私、あの事故を聞いてから汽車に乗るのがすっかり怖くなってしまって」
「……私もです」
「でもお嬢さんはお元気そうで良かったわ。今日の装いもとても華やかで。ジョンストンさんのお見立てかしら」
今日のベージュ色のドレスは、レイモンドさんとデパートに行き、ルビーに合うものをお店の人に見立ててもらったものだ。
「……はい、本日の場にはこのアクセサリーがいいと勧めていただきました」
「ええ、本当に素敵なルビーだわ。よくお似合いよ」
「ありがとうございます」
「そうだわジョンストンさん、素敵なパートナーがいらっしゃるのだから今夜は踊っていらしてね」
そう言い残して伯爵夫人は去っていった。
「宝石がお好きな方なんですね」
「蒐集家というほどではないのですが、こだわりが強く、自分が気に入った宝石には金に糸目をつけない方なんです」
「なるほど……ところでレイモンド様」
私は声をひそめた。
「夫人にあの指輪を買っていただけるのでは……」
そう言うとレイモンドさんは苦笑した。
「――そうですね。ですがステラ嬢が持っていることはまだ秘密にしておきましょう」
「どうしてですか?」
「今回の夜会で、社交界でのヒスイ熱が高まるでしょう。今後価値が上がっていきますから」
「そういうものなんですか」
「欲しいと思う者が多いほど値段は上がりますよ」
さすが商売の人、先を読んでいるのね。
「さて、私の仕事は終わりですが。帰りますか?」
「踊らないのですか?」
「……私は踊ったことがないので」
「でも夫人に勧められたのに踊らないのは失礼にあたるのでは……」
「それは、そうなんですけれど。本当に練習すらしたことがなくて……」
困ったようにレイモンドさんは首をかいた。
「そうなんですね。でも宮廷舞踏会ではないですし、大丈夫ですよ適当に体を揺らしていれば」
「え」
「行きましょう」
レイモンドさんの手を引くと私は踊りの輪の中へ入っていった。
音楽に合わせてリードしていくと、最初はぎこちなかったレイモンドさんも感覚がつかめてきたのか、次第にその動きがスムーズになってきた。
「ね、楽しいでしょう」
「……そうですね」
そう答えて、ようやくレイモンドさんは笑顔になった。
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