第3話

「これは、アディソン様」

ジョンストン商会に入ると、前回対応してくれた若い店員が笑顔で出迎えてくれた。一ヶ月以上前に一度来ただけなのに名前を覚えているなんて、さすが高級店ね。

「お変わりはございませんか」

「ええ。お金も受け取ったわ」

弁護士のヒューズ先生もカフリンクスの値段に驚き、『うちの事務所の若手二年分の給与ですよ』と苦笑していた。

つまり私も二年はこのお金で暮らせるのだろうかとコニーに尋ねたが、あの屋敷には基本的な家具しかなく、他に必要なものを揃えたり維持するのにそれなりのお金がかかるため一年も持たないだろうと言われてしまった。

それにコニーは言わなかったけれど、彼女への給与も払わないとならないだろう。

「それで、今日は別のものを売りたくて……」

「ではこちらへどうぞ」

店員は店の奥へと促した。


「改めまして、レイモンド・ジョンストンと申します」

そう言って店員さんは名刺を手渡してくれた。ジョンストン……この商会と同じ名前ということは、やはり商会長さんの息子だろうか。

「ところで今日はお一人ですか?」

「メイドは別の店に用事があるので別行動です」

この店ならば一度来たことがあるし、ヒューズ先生も信頼できる店だと言っていたので私一人でも大丈夫だとコニーが判断したのだ。

もう貴族ではないのだし、私も一人で買い物ができるようにならないと。


「これを売りたいのですが」

「……これは」

私が持ってきた箱を開けるとレイモンドさんは一瞬息を飲み、すぐに手に取り凝視し始めた。

今日持ってきたのは、ピンク色の石を使ったネックレスだ。小粒な一石だけで装飾のないシンプルなもので、『これでしたらお嬢様もお使いになれるのに』とコニーは残念そうに言っていたけれど。

どうせ私はもう使わないだろうから売ろうと思ったのだ。


前回のカフリンクス以上に熱心に石を見つめていたレイモンドさんは、やがて私を見た。

「失礼ですが、お嬢様はこちらがどういうものかご存知ですか?」

「いえ……」

「これは非常に珍しいピンクダイヤです。正確な価格は会長でないと付けられませんが、最低でも先日のカフリンクスの五倍はしますよ」

「え?」

五倍? 若手十年分?! というか、ピンクダイヤ……?

「それ、ダイヤモンドなんですか?」

「はい」

「……ダイヤモンドは透明な方が良いのでは?」

確か透明なほど価値が高いんじゃなかったかしら。

「それはカラーレスダイヤの話です。黄ばみのない透明なものが高品質とされますが、まれに綺麗な色がつくダイヤモンドがあって、それらは『カラーダイヤモンド』と呼ばれより貴重なんです」

「そうなんですね……。それで、カフリンクスの五倍で買っていただけるんですか?」

それだけあれば……あとは残りのも全て処分すれば足りるかしら。


「はい、と言いたいところですが……」

レイモンドさんはため息をついた。

「即購入という訳にはいかないんですよ」

「そうなんですか?」

「これだけ高価なものは取り扱いが難しいんです。ですから内金を払い、購入希望者が現れるまで当店で預かるという形になるのですが」

「……すぐ買い取ってはもらえないんですね」

高額のものは逆に難しいのね。


「失礼ですが。今すぐお売りになりたい事情が?」

「――ええ……実は私、両親を亡くして家のお金もほとんどなくて」

「ああ、汽車の事故に遭われたのですよね」

知っていたのね。――まああの事故は大きな話題になっていたし、両親も新聞に顔が載っていたから私の名前を聞けば分かるのだろう。

「ええ、それで……このまま一人で生きていくのも難しいかと思いまして。残ったものを処分して修道院へ入ろうと思っているんです」


「修道院?!」

レイモンドさんは声を上げた。

「ええ。貴族用の修道院に入るには多額の寄付金が必要なものですから」

お金がなくても修道院には入れるけれど、その場合貴族用の修道院で下働きとなるか、労働階級の人たちと同じ修道院へ入ることになる。どちらにしても、一日中重労働をしなければならないという。

そうなったらコニーやヒューズ先生、それに死んだ両親が悲しむだろう。

寄付金を十分納めれば、毎日のお勤めはお祈りが中心で、刺繍など貴族令嬢らしい仕事をしたり、本を読む時間もあるのだという。

だから寄付金をなるべく用意して少しでもいい待遇で入りたいのだ。


「そうですか……ですが、修道院以外の道もあるのでは?」

「今の私では結婚相手もいませんし、働き口があるとも思えませんし……」

持参金もない、古い屋敷しか持たない元貴族令嬢と結婚しようなどという相手は、裏があるはずだから気をつけるようにとヒューズ先生が言っていた。働ければいいのだろうが、この歳まで何の経験もないお嬢様育ちの私に働ける自信がない。

伯母のアクセサリーを売ればしばらくは生活できるだろうけれど、この先何十年とは無理だろう。

この一ヶ月余り考えて、私は修道院へ行こうと決めたのだ。


「そうですか……」

「それにしても、このネックレスにそんな価値があったんですね」

私はネックレスを手に取った。

「他のも高いのかしら……」

「他にもお持ちなのですか」

小さく呟くとレイモンドさんが聞き返した。

「ええ、あとネックレスとブローチが一つずつ。探せば他にも出てくるかもしれません」

この一ヶ月は居住空間を整えることに精一杯で、まだ見ていない部屋もあるのだ。


「――失礼ですが。これらはご両親の持ち物なのですか」

「あ、いえ。亡くなった伯母から相続したものです」

「伯母様?」

「ええ、キャロライナ・キースリーといって……」

「キースリー……宝石伯?!」

レイモンドさんが目を見開いた。

「これは宝石夫人のネックレスですか?!」

宝石伯? 夫人?

(そうか……ここは宝石商だもの)

蒐集家だった伯母夫婦のことは当然知っているのね。

「ええ……」

「だからこんなに素晴らしいものを……」

「……屋敷に残っていたのは普段使い用のシンプルなものばかりなのですが」

「屋敷とは、宝石伯の屋敷ですか」

「ええ、幽霊屋敷などと言われていたようですが、実際は普通の屋敷です」

一ヶ月暮らしているけれど、特に何も変わった様子はない。


「――その残されていたものの中に、青い石の指輪はありませんでしょうか」

レイモンドさんが尋ねた。

「青い石ですか」

「はい、大粒の青い石です」

「指輪は見ていないです……青い石も」

他にあるのは透明なダイヤモンドのネックレスと、緑色のエメラルドのブローチだ。

「青い石ということは、サファイアでしょうか?」

「いえ、ブルーダイヤです」

「……青いダイヤモンドですか」

「はい。キースリー伯爵夫妻が亡くなる前にそのコレクションを整理していたのはご存知ですか」

「ええ……いわく付きのもの以外は処分したと」

「その、処分されなかったものに含まれているという噂があるのがブルーダイヤの指輪、『呪いの指輪』なんです」

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