第93話 恋は盲目、恋は戦争

 ──情緒がおかしくなるわ。

 丁度アーサーが一人の心細さを覚えたいた頃、タイミングよく出向いてきたノエルにアーサーは好感を覚えていた。

 一方でお付きのメイド、アンは隠すつもりがあるのかないのか、敵愾心を向けられていた。普段のアーサーなら平気の平左だが、風邪で弱った心にこの敵意は、正直キツイ。

「アーサー様、どうぞ」

 ノエルが綺麗に切った林檎を差し出してきた。

 受け取ろうと手を伸ばすと、さっと林檎が逃げる。

「メっですよアーサー様。病人なんですから、じっとしていて下さい。ほら、あーんです」

「あ、あーん……」

 ノエルはひたすらに優しく、アーサーを甘えさせた。

 一応は八歳児であるアーサーが甘えるのは別段おかしくはないのだが、中身は前世も含めれば二桁歳である。

 九歳児にお世話されるのは、中々に恥ずかしいものがあった。

 しかしそれ以上にアーサーの精神を削るのが、ノエルがアーサーを甘やかす度に飛んでくるアンの射殺すような視線だ。

(……しんどい)

 林檎を咀嚼しながら、アーサーは遠い目をした。

 純粋な好意と敵意の挟み撃ちに合い、彼の精神はジリジリと摩耗してゆく。看病をされている筈なのに、される前の方が健康的だったのはどういう事だろう?

 しかし帰ってくれとも言い難い。というか言えない。アンの目が「お嬢様の好意を断ったらコロス」と言っているようにしか見えないからだ。

(誰か、助けて‼)

 アーサーの願いは天に通じた。

 キィと、部屋の扉の開く音がしたからだ。

(やった! これも日頃の行いの賜、だよ、ね……)

 現れた人物の姿を見て、天の采配ではなく地獄からの使者であることを悟った。

「ノエルお姉さま……?」

「テレジア、お邪魔してるわね」

 いや、天使は天使なんだけどね? 時に羅刹になるんだよ彼女。

 両手に一杯の荷物を持つイルルカとシャルロットを引き連れたテレジアだった。


◇◇◇


「お姉さまがどうしてここに──」

 テレジアの目は素早く部屋を一舐めする。

 見慣れない茶器一式。果物の残り香。看病に来たのだと察するのに時間は掛からなかった。

 だが、何故──という疑問は解消されない。

 テレジアは笑顔のまま警戒を強めた。

 何せ彼女の”診眼”にはノエルの、アーサーへの並々ならぬ好意が視て取れるからだ。

 どのようにして接点の無いノエルが、ここまでアーサーに懸想する羽目になったのだろうか。まさか自分の出した手紙の、同封された写真を見て一目惚れしたなどと、テレジアには考え付かない。

 そればかりかノエルは、笑顔で上手く隠しているが自分と、そしてシャルロットに対して害意にも似た感情を抱いていた。

 疑問というのは、当然分からないからこそ生まれる訳で。

 私とシャルロットの共通点はなんだろう?

 公爵家の子供、だろうか? それならばノエルも同様の立場である。

 ならば──。

(アーサーの婚約者としての立場? でもシャルロットが女性であったこともアーサーの婚約者になったことも正式に発表されてませんし。でもお姉さまの好意と合わせて、知っていると仮定した方が状況に辻褄が合いますわ……)

「あれ? ノエルじゃないか。どうしてアーサーの部屋にいるんだい?」

 一瞬でそこまで考えたテレジアとは対象的にシャルロットは呑気であった。

 だが、男を演じるだけの理性は働いているらしい。

「えぇ、アーサー様がお風邪を引いたと聞きまして。看病しに来ましたの」

 ノエルは何でもない風に、平然と答えたがその情報源が一体どこからなのか。火種があちこちに埋まっていた。

 そして無知とは恐ろしい。

「ふぅん? 誰から聞いたんだい?」

「……お父様からです」

「ピエール閣下から? おかしいな。アーサーの具合が悪いのを知っているのは僕らとムスタファ卿だけだったと思うけど」

 ガンガンと、地雷原を進むシャルロット。

 貴族としての教育を受けているだろうに、生来の素直さと剣の道に生きてきた為か腹芸が出来ないようだ。

 ノエルの笑顔が固まった。アーサーも、僅かに顔を引き攣らせている。……きっと私も似たようなものだ。

 だが、聞きたいことをガンガンと切り込んでくれるのは、正直助かる。

 そして、どうしても腹の探り合いをしてしまう自分と違い、裏表の無いシャルロットの悪意無い問い掛けに詰まるのなら、それは後ろめたいことがあるのだろう。

 故にノエルは答えざるを得ない。

「そう、ね。お父様も誰かから聞いたのでしょうが、それが誰かからは分からないわ」

(これは嘘、ですわね)

 人間嘘発見器のテレジアの前では誤魔化しは効かない。

 ピエールはノエルの知っている誰かから聞いたのだ。おそらく父だろう。

 父が話したということは、また何らかの密約が結ばれた可能性が高い。

 テレジアは頭が痛くなった。

 シャルロットとアーサーの婚約だって、本当のところテレジアは嫌だったのだ。だが、父の説得──アーサーの持つ力、知識の危険性。それを制御する為の、いわゆる情に依って敵愾心を削ぐ方向性──に不承不承納得したからだ。

(初めて心から好きになった人ですもの。独占したいと思うのは当然───あ)

 テレジアははたと気付いた。

(……そっか。お姉さまも同じ気持ちなんだわ)

 テレジアは情報や状況から推理するばかりで、相手の立場に立って考えることがすっかり抜け落ちていたことに気付いた。

 相手が自分と同じ気持ちならば──。

 ノエルが次に考えることはテレジアは手に取るように分かった。

「テレジア、少しお話がしたいの。シャルロットも」

 ノエルが席を立った。……まるで、自分からアーサーを隠すように。

 そうと理解した瞬間、テレジアは全身の毛穴がぶわと開いた気がした。

「ひっ」

「……えぇ、勿論。構いませんわ」

 近くのシャルロットが何故か小さく悲鳴をあげた。

 アンもイルルカも、驚きに目を見張っている。

 ノエルだけが、平然と微笑みを返した。

「ありがとう。でも、ここではアーサー様のお邪魔になってしまうでしょう? 隣の部屋でもいいかしら」

「えぇ当然ですわね。……アーサー、少し待っていてくださいね」

「う、うん」

 アーサーも只ならぬ空気は感じ取っているようだが、それがまさか自分を取り合っているが為だなどと、きっと思いも寄らないのだろう。鈍いから。

(アーサーは渡しませんっ!)

 テレジアは決意の炎を胸に宿した。

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