第94話 宣戦

 戦場を隣室へと移して。

 テーブルに着くのはテレジアとノエル。そしておまけのシャルロット。

「アン、お茶を淹れてくれるかしら」

「畏まりました」

 アーサーには手ずから淹れたが、テレジア達に振る舞う気は無いらしい。

「それでお姉さま、お話とは?」

「せっかちねテレジア。いいでしょう。私としても長く時間を取るつもりはありません」

 暗に「あなた達に裂く時間は無い」、そう言って聞こえるのは邪推が過ぎるだろうか。

 何も分かってなさそうなシャルロットは置いておくとして、テレジアはテーブルの下で拳を握った。

「単刀直入に言います。私はアーサー様に恋をしています」

「っ」

「えぇ⁉」

 分かっていた筈だが、改めて言葉にされると衝撃が大きかった。

 覚悟を決めていたテレジアと異なり、シャルロットは、それはもう。

「ま、待ち給えノエル! 何を言っているのか理解しているのかい⁉ 君は婚約者のいる男に懸想しているというのか⁉ つまりは横恋慕になるんだぞ!」

「……シャルロット。もうそのように白々しい真似はしなくても良いのですよ? あなたの裏事情も既に知っていますから」

「あ、……うぅ」

 ノエルらしからぬ冷たい視線がシャルロットを射抜いた。

 シャルロットの男としての振る舞いは女であることを伏せる為でもあったが、同時に彼女にとって鎧の役目も果たしていた。それが剥がれた時の素のシャルロットは、意外にも打たれ弱い。

「……お姉さまはどこまでご存知なのです?」

「そうね。シャルロットが女の子だったこと。アーサー様の婚約者になったこと。今度の夜会で正式に発表されることぐらいかしら」

 ほとんどではないか。

 伏せるべき手札、見せるべき手札。その取捨選択の余地すらなかった。

 ふと、ノエルが刺々しさを引っ込める。

「でもねテレジア。あなたのことはそれほど妬んでいませんよ?」

「え……?」

 そう言って微笑んで見せるノエルは、本心であることがテレジアには視えた。視えてしまった。

「だってあなたは、私がアーサー様と出会う前から恋仲でしたものね。羨むことはあっても妬ましいとは──……ごめんなさいね、本当言うとやっぱり羨ましいの」

 テレジアは混乱する。”診眼”で、言葉の真偽が分かる故にノエルの、本心からの言葉の意図が読み取れなかった。

 まるで自分のことは認めているような──。

(まさか⁉)

 テレジアはノエルの言葉に潜む悪意に気付いたが、遅かった。

 ノエルは「でも」と前置きをすると、シャルロットを睨んだ。

「シャルロット、あなたは許せません。性別を偽っていた上、アーサー様と出会ったのもほとんど私と一緒。なのにあなたはアーサー様の婚約者に選ばれて、この差は何かしら?」

「え、あ……。うぅ、だ、だって」

「だって? なんですシャルロット? 言いたいことがあるのならハッキリと言いなさい」

 ノエルは言った。妬んでいないと。

 言い換えればのだ。

 その理由は、先程ノエルが言った言葉が全てであろう。

 条件は変わらないのに、いや、性別を偽っていたという点を見ればシャルロットはマイナスだろう。

(っ、お姉さまの狙いは最初からシャルロットだったのね……!)

「ノエルお姉さまっ! アーサーとシャルロットは親同士で決めた婚約者ですのよ⁉」

「えぇ、知っています。ムスタファ様とゲラルト様が、王家と公爵家の歪なパワーバランスを憂慮しての政治的なものでしょう?」

「でしたらシャルロットを責めるのはお門違いです!」

 小さく震えるシャルロットが痛ましく、とても見てられないと庇ったテレジアだが、故に己の犯したミスに気付かない。

「そうかもしれませんね。──でしたら、私でもいいじゃないですか?」

「──」

 何を言っているのか、テレジアは理解に時間を要した。故に口からは、呼気が疑問を形作って放り出た。

「ふぇ?」

「ですから、シャルロットではなく私でもいいじゃないですか」

「あ、な──何を言っているのですかお姉さま⁉ 私たちは国王派と宰相派に対抗する為に──」

「ですから言っているのですよテレジア。シャルティエ家ではなくノクタヴィア家と組みましょう、と」

「お、お姉さま……。で、ですから、それでは王家の権勢は変わらず──」

「ノクタヴィアとテレンスで組もうと言っているのですよ」

 今度こそテレジアは絶句した。

 遅れて意味を理解したシャルロットも顔面を蒼白にしている。

「王家と離れるというのですか⁉」

「ノクタヴィアにはその意思があります」

 ノエルの言葉は力強く、”診眼”でも否は視えない。テレジアは念のために背後に控えるメイドも視たが、何らかの訓練を受けているのか、心の中は読めなかった。

「これならばムスタファ卿の思惑もそのままでしょう? だったら後は当人の気持ちを優先してもいいと思いませんかシャルロット?」

 事が、自分の手の及ばない範囲にまで広がってしまいテレジアは言葉を失った。

 その間にノエルはまたもシャルロットへと矛先を向けた。

「私はアーサー様に恋をしています──いえ、愛していると言っても過言ではありません。でもシャルロット、あなたは違うでしょう? 親同士の取り決め。望んでいない婚約。どうして良しとしましょう?」

(シャルロット……)

 もし、シャルロットがここで「はい」と答えたらどうなってしまうのだろう?

 本当に婚約は白紙に戻るのだろうか? はたまた子供同士の口約束だと、何の効力も持たないのだろうか?

 心配してシャルロットを見つめるテレジア。

 だが、意外にもシャルロットははっきりと己が意思を示した。

「……嫌だ」

「──なんですって?」

「嫌だ、嫌だ嫌だ! アーサーと別れるなんて嫌だ! 彼は! こんな僕でも! 男でも女でも愛してくれると言った! そんな人と、僕は一生でどれくらい出会えると思う? いいや、出会えるとは思わない!」

 身振り手振りを交え、テレジアの良く知っている王子然とした、偽りのシャルロットがそこにいた。いや、アーサーから言わせれば、それも全てが愛すべきシャルロットなのだ。

「……そのように無理をして男の真似事もしなくて良いのですよ?」

「いいや、違うんだよノエル! これが僕なんだ! 女の恰好が嫌いなのも! 男の子に恋をするのも! 全部が僕なんだ! そんな全てを受け止めてくれるのがアーサーなんだ!」

 そう、心の内全てを曝け出すようにシャルロットは椅子を蹴り、立ち上がった。

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