第92話 看病

「お加減はどうでしょうか、アーサー様?」

 ノエル・フォン・ノクタヴィアが一人の侍女を伴って部屋に入ってきた。

 手には籠を持っているも、布が被さっているため中に何が入っているかは分からない。しかし、扉前の監視役が通したという事は問題ないのだろう。

(まぁノエルが俺を害する理由は無いからな……)

 ──ノエルは、である。

 彼女の後ろにピタリと、影のように付き従っているメイドはその限りではないように見える。

 赤毛の、一見して普通のメイドだが、笑顔の下に時折敵意にも似た感情が見え隠れしている。

(誰だ? ”剣バラ”の登場人物じゃないな? 身のこなしから、多分、ノエルの護衛も兼ねているっぽいな)

 アーサーは熱っぽい頭で分析をする。

 昨夜の夜会では見なかった顔だが、この突き刺さるような視線は一体……?

「あの、アーサー様?」

「へ? ……あぁ、すいません。ちょっと頭がぼぅっとして」

「それはいけません! さ、わたくし達のことはお気になさらず、寝ていて下さい」

 ノエルらを迎えようと上体を起こしたのだが、逆にノエルの手が肩を優しく押して再びベッドへと戻されてしまった。メイドの眉が吊り上がったのを、アーサーは見逃さなかった。

(はぁん、なるほどね。お嬢様大好き護衛メイドさんか。さしずめ俺は、ノエルにつく悪い虫ってところか)

 メイドの悪感情、その源にアタリをつけたアーサーはベッドの中で納得した。

「ところで、ノエル様? 何故こちらに?」

「それはっ。……アーサー様が風邪を引かれたと聞いて、看病をしに来たのですが。ご迷惑、でしたでしょうか?」

 ──なんていい子なんでしょう‼

 俺の婚約者たちは風邪だというのに放っぽってデートに行ってしまったというのに!

 弱った心にノエルの優しさが、薬のように染み渡る。

「迷惑だなんて、とんでもございませんっ。ただ、ノクタヴィア家のご令嬢に自分なぞを看病して頂く訳には……。万一風邪でも移してたらお互いの家に迷惑を掛けてしまいますっ」

 俺の自分を卑下する言葉に、ノエルの背後のメイドが「その通り」と頷いている一方で、その目は「断ったら殺す」と雄弁に語っていた。どないせーっちゅうねん!

 俺の言葉に何故かノエル嬢は顔を赤くして俯き、しかしハッキリと答えた。

「そ、それなら大丈夫です! こちらに来ているのは、お父様も了承済みですから」

 ノクタヴィア家当主が? ……ってことは義父も承知してるんだろうなぁ。今度は何を考えているやら。

 頭の痛くなる問題に、風邪がぶり返そうになってしまう。

「アーサー様は楽になさっていてください。アン、お湯を沸かしてくれるかしら?」

「……畏まりました」

 メイドの名前はアンと言うらしい。赤い髪のアンか、非常に覚えやすい。

 彼女は備え付けのキッチンに向かう前、一度だけ俺を睨んだ。「変なことをしたら殺す」と語っている瞳を向けられ背筋が冷える。

「アーサー様? その、お嫌いな食べ物などございますか?」

 ノエルは手籠から取り出したティーセットを手際よく並べながら、そんなことを聞いてきた。

「いえ、幸い貧乏舌でして。どんなものでも美味しく食べられますよ」

 俺の返答にノエルはクスと花笑んだ。

 その可愛らしさに、ドキリとしてしまう。

「良かった。実は風邪によく効くハーブティーがございますの。是非、アーサー様に飲んで頂きたいのです」

 そう言えば、前世でもお茶は風邪の予防や改善に一定の効果があるとテレビで見た気がする。

「はい、ありがたく頂戴します」

 ノエルの優しさに俺が微笑みを返すと、彼女は一瞬呆けた顔を見せた。

「そ、それではしばしお待ち下さいね」

 次の瞬間、真っ赤になった顔を誤魔化すように、ノエルはお茶の準備に取り掛かった。だが──。

「あっ⁉」

「っ!」

 心身気もそぞろな状態であったためか、ノエルの手が思いがけず茶器にぶつってしまう。

 俺は反射的にベッドから飛び出し身体強化を施して、地面に落ちるスレスレで茶器を救出した。

「せ、セーフ……」

「あ──も、申し訳ありませんアーサー様!」

「いえいえ。おケガはありませんかノエル様?」

「は、はい。ありがとうございま──あっ⁉」

 茶器を返そうとした瞬間、互いの指先が僅かに触れた。

 するとノエルは反射的に腕を引っ込めてしまい、行き場を失った茶器が再び重力に囚われる。

「危っ⁉ ……ふぅ。し、しっかり持ちましょうね?」

 強化の切れていないアーサーには落下する茶器をキャッチするなど造作も無いが、それでもヒヤリとするのは間違いなかった。

 今度はノエルがしっかりと茶器を受け取るのを確認し、確認──あのー、ノエルさん? それ、茶器じゃなくて僕の手なんですけど?

「……はい。……絶対に離しませんから」

(……なんだか違う意味に聞こえるんですけど?)

 穢れを知らぬノエルの瞳が俺を真正面から見据える。

 熱っぽい潤みを帯びた瞳の奥には、強い決意の色が見えた。


◇◇◇


「アン、お湯を沸かしてくれるかしら?」

 ……お嬢様の命令なら仕方ない。

 大切なノエルをアーサーなどという馬の骨と二人にするのは不安だが、アンはお湯を沸かしにその場を離れた。少年に釘を、きちんと刺してから。

 お湯を沸かす間も、アンは背後に神経を尖らせていた。

「アーサー様? その、お嫌いな食べ物などございますか?」

「いえ、幸い貧乏舌でして。どんなものでも美味しく食べられますよ」

 ……別段、普通の会話に聞こえる。

 だが、油断は出来ない!

 何せこの少年は! 全く! 認め難いことだが! ノエルお嬢様の! 御心を奪ったのだから‼

 ノエルが父ピエールの指示の元、看病に出向いたのは本当だ。

 お上でどのような話し合いが合ったのか、下っ端のアンには分からない。だがノクタヴィア家は、このアーサーという少年の確保に積極的に動くことにしたらしい。

 その一つが、言い方が悪いがノエルによる色仕掛けである。

 既にアーサーにはテレジアと、そして正式な発表はまだだがシャルロットという婚約者がいる。

 だが、あくまで婚約に過ぎないのだ。

 当人同士か、はたまた家、問題を起こせば破棄されることもある。

 特に利害のみで血を繋げようとする貴族の間では婚約も破棄も珍しいものではない。

 つまり当主ピエールは娘にこう言ったに等しい。

 ──アーサーを寝取れと。

(はああぁぁぁぁん⁉ 純真さの化身であるお嬢様にそんなこと言いやがってあのジジイ‼)

 親バカで知られるピエールだが、だてに宰相をしていない。国益のためなら私情を切り捨てるのも訳なかった。

 或いは、ノエルがアーサーに懸想しているのを知ってのことなのかもしれない。

 普段のノエルなら、婚約者のいる男にアピールなどしない。例えどれだけ想っていても、身を引くことだろう。

 だが、そこに大義名分が加わればどうだ?

 ピエールが許したということは、国益にかなうという事だ。

 一方でピエールはアンに別の指示を出していた。

 ──国に仇なすなら殺せ、と。

 三公爵家がこぞって取り込もうとするなぞ、あの少年にどれだけの価値があるのかアンには分からない。

 だが、自分に分からないながら何かがあるのだろう。そんなこと、アンにはどうでも良かった。

 彼女にとって重要なのはノエルが幸せになることだ。その為なら家も国も、枝葉に過ぎない。

(もしお嬢様を悲しませるようなら──)

 アンが昏い決意を滲ませていた、その時であった。

「あっ⁉」

(お嬢様⁉)

 愛するノエルの短い悲鳴。

 慌ててアンが振り返ると、驚愕の表情で固まるノエルと、テーブルから今まさに落ちようとするノエル愛用の茶器が目に映った。

「っ‼」

 茶器が床へと吸い込まれる風景がやけにゆっくりと見える。

 無駄と知りつつも駆け出そうとするアン。

 だが、それよりも速く、ベッドから飛び出したアーサーが茶器をキャッチした。

(っ⁉ 今の動きは──⁉)

 彼が茶器を受け止められたのは、単に自分よりも近かったから──そんな理由で片付けられるものではない。

(……なるほど。さすがにただの虫じゃない訳ね)

 アンはアーサーに対しての評価と、警戒を高めた。

「……ノエル様。お湯が湧きました」

「っ! あ、ああありがとう、アンっ」

 手を握り合う二人の邪魔をするかのように、アンは声を掛ける。

 照れて弾かれたように離れるノエルに対し、アーサーは引き攣った笑みを浮かべている。……気に入らない。

 国に仇なす? 不利益を齎す? どうでもいい。全部私には、どうでもいいことだ。

(アーサーっつったわね。見極めさせてもらうわ。そしてお嬢様に相応しくないと感じた、その時には!)

 こうしてアーサーは知らぬ間に、奇妙な権力闘争の渦中に巻き込まれてゆくのだった。

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